自尊心の病

試合筋

きのう寝ようと布団に入ってNHKの「リオ五輪の星 素顔に迫る! グッと!スポーツ」を見ていたら、体操の加藤凌平選手が出てきた。子供のときから人前であがったことがない、ということだった。試合が近づいてきても、緊張で固くなったりしない。興奮してくる…

取扱説明書

あるとき突然、ブルーレイで録画していたテレビ放送を見ることができなくなった。そこで、ブルーレイ録画機器の取扱説明書はどこだったか、と思い出しながら、その録画機器の背後を見ると、テレビと録画機器をつなぐプラグが外れていた。そのプラグを差し込…

希望

一昨日の朝日新聞夕刊(11月25日)に載っていた記事(下に引用)を読み、いつも同じことを考えている自分に気づいた。 この親に殺された女性が狂っていたとは思えない。なぜなら、記事にあるように、彼女は14年前に入院したとき、次のようなことを日記…

井伏鱒二

私は高校の頃、井伏鱒二が好きで、その作品はだいたい読んだ。愛読するようになったのは、高校の図書館で偶然、井伏の「鯉」という短篇を読んだからだ。「鯉」というのは、青木南八という友人の死を悼んだ私小説だ。 「鯉」にとても感心したため、「鯉」のよ…

自尊心などありません

年を取ると、いろんなことを思い出すものだ。さっき、ふらふらと夕闇の中を散歩をしていると、変なことを思いだした。 三十すぎのころだったか、「あなたには自尊心というものがないの!」と、突然、私と同じぐらいの年のロシア文学研究者に怒鳴られたことを…

トリクルダウン

アベノミクスの経済政策として有名になった「トリクルダウン」については、すでにドストエフスキーがそのポリフォニー小説に登場する人物の口を借りて、激しく批判させている。 『罪と罰』で、ラスコーリニコフの妹と結婚しようとしていたルージンは、こうい…

もっともらしい記事

私は朝日新聞を、字が読めるようになってから、ということは、もう60年くらい読んでいる。しかし、朝日がつくづくイヤになり、他の新聞に乗り換えたことも何度かある。しかし、他の新聞では物足りなくなり、朝日に舞い戻るということを何度かくり返してき…

歴史主義

朝日新聞に再掲載されている漱石の『それから』もそろそろ終わりにさしかかり、わたしはすっかり明治の人間になったつもりで、毎日それを読んでいたのだが、先日、その百六回目を読み、自分が明治の人間ではないことを改めて感じせてくれる一節に出会った。 …

DVにさらされる子どもたち

昨年の今頃、NHK(総合・大阪)で、「DVにさらされる子どもたち〜見過ごされてきた面前“DV”の被害」という番組を見て、フェイスブックに次のような文を書いた。今も同じ気持なので再録します。 - 昨夜見た番組。寝ようと思ってテレビをつけて見始めたら、最…

平和ボケと超自我

きのうの終戦記念日、朝日新聞に安倍首相の「戦後70年の安倍談話(全文)」が、日本政府の英訳付きで掲載された。そして、そのちょうど裏がわの紙に、岩波書店による「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する 柄谷行人」という全面広告が印刷されていた。そ…

文学とは何か

文学とは何か。それは概念で述べる物語(社会学、政治学、経済学など)に抵抗しながら、人間をありのままに捉えようとする言葉によって物語を作ろうとする働きのことだ。 たとえば、誰それはマルクスの何とかいう理論を知らないまま、ああいうことを言ってい…

くたばれ、フロイト、ラカン!

昨夜、テレビをつけると、偶然、『沖縄 うりずんの雨』を撮ったジャン・ユンカーマン監督が沖縄のことを話していた(BS-TBS「週刊報道LIFE」:2015/5/10/pm.21:00-22:00)。要するに、現在、沖縄といわゆる「本土」の関係が悪化しているのは、「本土」の人間…

勝ちたい心

以前、レヴィナス研究者の内田樹氏に、私も参加しているある研究会で話して頂いた。でも、その話の内容は全部忘れた。ただ、今も記憶しているのは、話がおわったあとの雑談で氏が言った、 「私は知り合いになるとまずいことになる人が分かる。だから、そうい…

古館伊知郎とプロレス的構造

子供の頃はプロレスが好きで、とくに、力道山や東富士が好きだった。家にテレビがないので、近所の金持の家に上がりこんで見せてもらった。その状態がずっと続き、家にテレビが来てからもプロレスは見続けた。しかし、あるとき、誰かから「プロレスというの…

何を読むか(3)

『孤島』(J・グルニエ) 私には若い頃、よく理解できないのに、この本は自分にとって決定的な意味をもつと思うことがあった。なぜそんな風に思ったのか。私に未来を見通す超能力があったからか。ばかな。そう思った理由ははっきりしている。私は狂っていたの…

なぜ書くのか

わたしはなぜものを書くのか。これはものを書きはじめた頃からいつも自分に向けてきた疑問だった。それが何であれ、小説であれ論文であれ、ものを書くときにはいつも自分に「自分はなぜこれを書いているのか」と問いかけてきた。わたしにとって書くとは、な…

親殺し・子殺し

以前、精神に障害を抱えた三男の暴力に悩んだあげく、その三男を殺してしまった父親の記事(2014年12月4日付朝日新聞朝刊)を読み、どうして父親はそんな風に思い詰めてしまったのか、と不審に思った。そのあと、朝日新聞(2014年12月30日朝刊)に以下のよう…

読書心得

自分の自尊心に気づいていない人は、いつも相手の一枚上を行こうとする。と言うより、誰かの一枚上を行くチャンスを常にうかがっている。 誰かが失策を犯す。すると、ここぞとばかりに批判する。まるで「自分ならそんなことはしない」と言いたげに批判する。…

聞いてほしい 心の叫びを

NHKスペシャル『聞いてほしい 心の叫びを 〜バス放火事件 被害者の34年〜』(初回放送=2014年2月28日(金)午後10時00分〜10時49分:語り=山根基世 朗読=余貴美子)。 最近、再放送があったので見ました。見ていて、昔、不登校や引きこもりの会をやってい…

死の受容

私は昔、キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』における「死の受容」の各段階を不登校児およびその伴走者である親の心理に当てはめて述べたことがあります。その大要は大阪のある不登校児をもつ親の会の会報に「お父さんのための不登校講座」というふざけた名前…

断罪

韓国で修学旅行生を乗せたフェリーが沈没し、多数の人命が失われた。今現在、韓国ではマスコミやそのマスコミにあおられた人々が、その事故の犯人捜しにやっきになっている。修学旅行生より先に逃げ出した船長がわるいとか、そういう沈没するようなフェリー…

正義感、じつは自尊心の病

以下のHPからの引用にあるように、正義感が原因でいわゆる「引きこもり」になる人は多い。毎日少しずつ不満をためこんでゆき、あるとき、職場や学校に行けなくなる。身体が動かなくなる。職場や学校の環境が良くないことは明らかなのだが、その良くない環境…

『沖縄ノート』3

小説などのフィクションを除いて、私がある文章の価値を判断する基準は、それがどれほど私のいう「物語の暴力」を含むか否かということだ。たとえば、このブログの「続・自尊心の病」で述べたように、自らの自尊心の病に気づいていない者は、自分がさまざま…

佐藤泰志

「書くことの重さ」という映画を見た(大阪、十三の第七芸術劇場:午前10時〜12時、稲塚秀孝監督の挨拶あり)。 佐藤泰志は私より二歳下だが、私とほぼ同時代を生きた。佐藤より一歳下で同じ北海道出身の稲塚秀孝監督がこの映画を撮った。このドキュメン…

PAについて

英語に'Patient-centred Health Care(PCHC)(患者中心の医療)'という言葉があります。ここから連想して、私は'Ego-centred Argument(自尊心中心的な議論、略して'EA')'、'Problem-centred Argument(課題中心的な議論、略して'PA')'という言葉を作りま…

スタヴローギンと「広い心」

次の文章はここ十年ぐらい私が『悪霊』の講義(市民講座も含めた講義)のとき受講生に配布している資料です。私の講義ノートからの抜粋にすぎませんが、講義では、この配付資料にそってもう少し詳しく喋ります。ここは『悪霊』の中でももっとも重要な箇所の…

心の声

若い頃。 顔を見ただけで「私の会いたい人はこの人ではない」と思う人がいる。そして少し言葉を交わし、「やっぱり、思っていたとおりだった」と思う。一方、顔を見ただけで「私の会いたい人はこの人だ」と思う人もいる。そして少し言葉を交わし、「やっぱり…

ピアソラ

月刊誌とか週刊誌を買うのは年に一、二度だ。買っても読まないのが分かっているので買わないのだが、それでも、どうしても読みたい記事があるときは買う。そんなことは年に一、二度ぐらいしかない。年に一、二度買う月刊誌や週刊誌も、目当ての記事を読むと…

ドストエフスキーと私

昨日、30分だけだったが、神戸外大ロシア学科の同窓会(楠露会)で話をさせて頂いた。以下はその原稿。 - ドストエフスキーと私 きょうは会のために何か話をしてほしいと山田さんから御依頼を受けましたので、私がなぜドストエフスキー研究者になったのか…

話しても分からない

自尊心の病に憑かれた人には話しても無駄だ。そんな人は相手の言うことを分かろうとはしない。話せば話すほどその人を激昂させるだけだ。だから、私はそんな人には何も話さない。沈黙するか、さっさとその場を立ち去るだけだ。私のことを無愛想だという人が…