平和ボケと超自我

 きのうの終戦記念日朝日新聞に安倍首相の「戦後70年の安倍談話(全文)」が、日本政府の英訳付きで掲載された。そして、そのちょうど裏がわの紙に、岩波書店による「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する 柄谷行人」という全面広告が印刷されていた。それは私が以前、佐藤優の件で、金光翔を擁護するために批判した岩波の岡本厚(今は社長)が柄谷にインタビューしたものだった。内容は、世界平和を実現するため、まず、日本人であるわれわれが憲法九条を文字通り実行しよう、という呼びかけだった。
 こういう風に紙の裏表で柄谷と安倍首相の記事が印刷されていたため、左翼の朝日が保守の安倍政権を左翼の岩波と組んでやっつけようとしているのだな、と、私は考えなくてもいいことまで考えてしまった。
 ところで、せっかくの柄谷の呼びかけだが、私にはこの呼びかけに応じる資格がない。なぜなら、私は柄谷のような天使のような人間ではないので、憲法九条の絶対平和主義によって、この汚い欲望に満ちた世界が変わるとは思わないからだ。エゴイストの私が考えることといえば、まず、自分と自分が属している集団を外敵から守ることであって、その次に考えるのは、その外敵(たとえば、北朝鮮や中国)が私と同じようなエゴと煩悩に満ちた人間の集まりだということだ。これは国連だって同じことだ。柄谷はそのインタビューで、国連に日本が憲法九条を実行すると宣言するだけで世界の状況は良い方に変わると述べているが、国連がそんな宣言に連帯して行動するとは思わない。ええ、ご立派なことですね、でも、勝手にやって下さい、と言われるだけだと思うのは、私が下卑た人間だからか。
 政治の役目は、欲望に満ちたこの世界から、自分が所属する集団とその集団の成員を守ることだ。だから、柄谷は政治について語っているのではなく、地上では実現不可能なエデンの園について語っているのだ。つまり、柄谷は新興宗教の教祖のように振る舞っているのだ。私は彼のその宗教に帰依するつもりはない。
 もちろん、柄谷がそんな風に語りたいのなら、そう語ればいい。それは柄谷の自由だ。ただ、柄谷の次の言葉は困る。

 現在の政権が本気で戦争をする気があるなら、たんに憲法の解釈を変えるのではなく、九条そのものを変えるべきですね。むろん、それはできない。変えようとする政権や政党のほうが壊滅します。それは、戦争を拒否する無意識の「超自我」が存在するからです。憲法九条はいわば「虎の尾」です。今の政権は、これを踏んでしまったのではないですか。(『朝日新聞』、2015年8月15日、朝刊、全面広告)

 私が困ると思ったのは、柄谷がフロイトのいう「超自我」の存在を信じているということではない。柄谷だって、それはフロイトの作った仮説あるいは物語にすぎず、超自我というものがじっさいに存在しているとは思っていないだろう。それより、私が困ると思ったのは、柄谷がここで、日本人には、憲法九条という戦争を拒否する無意識の「超自我」が形成されていると言ったことだ。
 なるほど、超自我と言えば、立派なことのように思われるかもしれないが、それは「平和ボケ」と言っても同じことだ。憲法九条があるので日本人には戦争を拒否する超自我が形成され、そのため戦争することができなくなり、外敵に攻撃されても反撃できない。これは「平和ボケ」ということに他ならないが、超自我という言葉を使うのなら、こういう風に最後まで説明してほしい。
 しかし、いずれにせよ、こういう似非科学の言葉を使って読者を惑わすのはやめてほしい。「反精神分析」などで述べたように、フロイトラカンの無意識の理論は似非科学にすぎない。そこで述べたように、似非科学の言葉が困るのは、そういう言葉を使っていると、私たちが現実の人間や集団にちゃんと向かい合うことができなくなるからだ。つまり、一種の妄想に憑かれてしまう。つまり、神がかりになる。神がかりになるのは宗教の信者だけではない。人間という動物は、すべてのものを神のように奉ることができる。
 柄谷は安倍政権がすすめる安保法制に冷水を浴びせるため、憲法九条はすでに日本人の超自我になっているぞ、と言ったのだ。しかし、似非科学の言葉を使うと、すべてが無意味になる。似非科学の言葉によって述べられる平和主義は、空虚で非現実的な平和主義にすぎないからだ。
 非現実的なゆがみをともなった平和主義ほど危険なものはない。似非科学の言葉を使ったわけではないが、よく似た例として、平和主義のための平和主義に熱中し、結局、ヒットラーに国土を占領されたフランスが挙げられる。その非現実的な平和主義に熱中したひとりであったシモーヌ・ヴェイユはその自分の過ちを許すことができず、フランス軍に志願したが、あまりにも不器用なため、また女性であったため、兵士になることができなかった。そして、その自責の念が、結局、彼女の命を奪った。私たちはヴェイユと同じ過ちをくり返したくない。