取扱説明書

 あるとき突然、ブルーレイで録画していたテレビ放送を見ることができなくなった。そこで、ブルーレイ録画機器の取扱説明書はどこだったか、と思い出しながら、その録画機器の背後を見ると、テレビと録画機器をつなぐプラグが外れていた。そのプラグを差し込むと、再び録画を見ることができるようになり、取扱説明書を見る必要はなくなった。
 なくなったが、思い出したことがあった。それは私が学生の頃、初めてルース・ベネディクトの『菊と刀』を読んだとき、これは日本人をいかに取り扱えばいいかというアメリカ人による「取扱説明書」だなと感じたことだ。日本人というのは、こういう取り扱いをすると手に負えなくなります。こうすれば喜びます。だから・・・というようなことを書いている取扱説明書だと思ったのだ。これでは日本人はまるで未知の危険な動物みたいではないか。そう思って、とても不快になった。
 このときの印象はそのあとも私の頭と心を支配し、たとえば、和辻哲郎の『風土』を読んだときも、これは日本人をいかに取り扱えばいいのかというヒントを日本人以外に与えようとしているのだな、とか、カントの『純粋理性批判』を読んだ(というより、かじった)ときには、これは人間全般をいかに取り扱えばいいかということを教えようとしている取扱説明書だな、と思ったのだ。
 もちろん、私はこういう取扱説明書のような本を全面的に否定するわけではない。それは私の知らない多くのことを教えてくれる有り難い本だ。しかし、それだけでは困る。若い頃、私は人間というものには自由があり、その取扱不能な自由の中にこそ、人間を人間にしている何かがあると信じたのである。このような私がその自由について述べたベルクソンドストエフスキーに惹かれたのは当然のことだ。しかし、一方で、取扱説明書みたいな傲慢な文章を書いたルース・ベネディクトたちに不快感を覚えたのも当然のことなのである。
 今でも、少しでも取扱説明書みたいな文章にふれると、私の内なる赤信号が点滅する。そして激しい無力感に襲われる。いくら抵抗しても無駄なのだ。世間の人の大半は取扱説明書を求めているのだ。このため『菊と刀』、『風土』、『純粋理性批判』などはいまも読み継がれているし、取扱説明書みたいな文章は世間にあふれているのだ。そう思って、無力感に襲われる。
 いまそういう文章のひとつを取りあげながら、私の言いたいことをもう少し具体的に反復しておこう。
 次に引用するのは、『日経DUAL(デュアル)』という情報サイトで紹介された「「ひきこもり」になる子どもの親には共通点がある」という文章の一部だ。以下ではその文章の結論だけを引用している。つまり、「ひきこもり」になる子どもの親には次の8つの「良くない(NG:No goodの略)」共通パターンがあるから、それを避けなさい。避けていれば、子どもの引きこもりを予防できるかもしれない、と著者はいう。

 8つのNGパターン

【ケース1】 子どもの回答を待たずに、先に返事をしてしまう
 子どもが「何年生?」と聞かれているのに、親が「2年生です」などと答えてしまう
【ケース2】 家庭での雑談が少ない
 「早く勉強しなさい」などと一方的に言ってしまう
【ケース3】 子どもの話を聞き流す、最後まで聞かない
 「今忙しいから、ちょっと待って」と、家事の手を休めない
【ケース4】 条件的ほめ&承認をしている
 「○○ちゃんが、××してくれたら、お母さんはうれしい」などと言う
【ケース5】 「知力」だけを育てようとして、「感情」に目を向けない
 「算数が難しい」と言うのを聞いて、「落ちこぼれちゃうよ。塾行かなくちゃね」と答える
【ケース6】 子どもを自分の思い通りに育てようとしている
 「お母さんはこの学校がいいと思う」などと、自分の意見を押し付ける
【ケース7】 子どもの挑戦を回避させようとしている
 子どもから「○○をやってみたい」と言われると、「それは危ないからダメ」などと言う
【ケース8】 “さらに上”を要求する
 97点だったテスト答案を見せられて、「あと3点で満点だったのにね」と言う

 私はこの8つのNGパターンそのものには異論はない。これはすべて私が不登校や引きこもりの会をやっていた頃、カウンセラーたちが不登校や引きこもりの子供をもつ親たちに、猫なで声で説教していたことだ。
 しかし、残念ながら、こういうお説教は何の役にも立たない。こういう8つのNGパターンを繰り返す親は、そういう人なのであり、これまでの長い人生の中で、そういう風に出来上がってしまっているのだ。出来上がっているので、いまさらそれを修正するわけにはいかない。修正するには人格の全面的な破壊と再生、つまり、宗教的回心が必要になるのだが、そんなことができる人が何人いるだろう。それが簡単にできるのなら、この世界は聖人にあふれ、戦争など、すぐなくなるだろう。要するに、お説教されたぐらいで、私たちはころっと変われるわけではない。
 逆に、こういうお説教はむしろ害になる。親がこういうお説教をカウンセラーなどから聞きかじり、借りてきた猫みたいになると、子供は「きもちわるい」と思い、さらに子供と気持が通じなくなるだけだ。誰がわざとらしいやつと口を聞きたいと思うものか。そんなやつは無視するにかぎる。子供もそう思うだろう。
 だから、そんなことをするより、カウンセラーの説教を無視し、これまでどおり、その8つのNGパターンを執拗に繰り返すがいい。そうすれば、かならず怒り狂った子供に殴り殺されそうになるだろう。もし悪運つよく、そのとき殺されなかったら、そのとき初めて、親は回心すればいい。誰でも自分がかわいい。ぎりぎりまで追いつめられて初めて、回心できる。それまでは回心など不可能だから、カウンセラーの説教など聞き流して、子供をいじめ続けるがいい。そして、悪運にも見放されたら、子供に殺されるがいい。
 ところで、話を本題に戻すと、私は以上の8つのNGパターンを提示することじたいに大きな問題があると思う。なぜなら、そんなパターンを平気で提示し、これで引きこもりは予防できるなどと思う人は、子供、いや、人間を取り扱い可能な存在だと考えているからだ。その人には、それがどれほど傲慢なことであるのか分かっているのだろうか。そして、子供たちがその傲慢さにいかに傷ついているのかということに気づいているのだろうか。気づいていないだろう。気づいていないから、そんな傲慢なことが平気でできるのだ。傲慢な人にこんなことをいくら言っても無駄だろうが、取扱説明書を使うのは電気器具ぐらいにとどめてほしい。

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次のサイトから引用させていただきました。深く感謝いたします。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=7673&page=1