2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

子供だまし

いやー、驚きましたがな。朝飯を食べてたら婆さんがね、思いつめた顔して、 「わて、あんたに隠してたことあるねん」 「ぷほー、な、なんや」 「わ、ばばちいな、ご飯つぶ、まき散らかさんといて」 「何や、はよ言え」 「あのな、これは前々からのことやけど…

ドストエフスキーを読んではいけない人

ドストエフスキーの愛読者は世の中のはぐれ者である。また、そうでなければドストエフスキーの愛読者にはなれない。 これは私が「誰がドストエフスキーを読むのか」(1994)という長大な論文で述べたことだ。あまりに長大すぎたので、その内容を圧縮し、「ド…

段落問題

いやはや、どこに落とし穴があるか分からない。これだから人の翻訳をあれこれ批判するのはこわい。批判しているつもりが、自分の無知蒙昧ををさらけ出しているんだな。まあ、しかたないか。気を取り直して進もう。 『カラマーゾフの兄弟』のエピグラフのあと…

一粒の麦

みすず書房宛の抗議文にも書いたが、私は亀山郁夫に何の恨みもない。というより、昔からの友人だ。ずいぶん以前、亀山が天理大学に勤務していた頃、そして佐藤優が同志社の大学院生だった頃、佐藤の先生だった渡辺雅司と四人で毎週のように同志社周辺を徘徊…

亀山郁夫の暴力

私が十年ほど前から何とかのひとつ覚えみたいに唱え続けている「物語の暴力」というのは、ある現実を観察し作り上げた物語(あるいは理論)を、ふたたびその現実に適用するとき発生する暴力のことだ。 簡単に言うと、「物語の暴力」とは、実態をあまり知らな…

亀山郁夫の鈍感力

どうやらこの世界には二種類の人間がいるらしい。プラトンが「国家」や「パイドロス」で執拗に述べていたのはこのことだったのだ。若い頃は、その執拗さに閉口したものだ。「分かっているよ、プラトンさん」と呆れていたのだが、まったく分かっていなかった…

みずず書房からの返信

亀山郁夫の『悪霊』論を出版したことに対して抗議のメールを送ると、みすず書房からすぐさま丁重な、しかし儀礼的なメールが来た。みすず書房に了解をとっていないので、そのメールを引用するわけにはゆかない。従って、大意を紹介するだけにすれば、社内で…

不正

「われわれが他人から愛される値打ちがあると思うのは誤りであり、それを望むのは不正である。」(P477) このパスカルの言葉を常に心に刻みつけておくこと。シモーヌ・ヴェイユはこれでもまだ信仰が足りないと言ってパスカルを非難した。そして餓死した…

村上春樹の気配

私が村上春樹の小説を愛読するようになったのは、彼の小説に立ちこめている気配が気に入ったからだ。たとえば、「ノルウェイの森」のキズキという少年のまわりには、そのような気配が立ちこめている。キズキのまわりには、昔、いっしょに遊んでいた神戸の六…

みすず書房へのメール

次に私が2008年2月初めにみすず書房に送ったメールを一部省略して載せる。今読めば、ここで私が自分をキリスト教徒ではないと述べているのは不正確。私はシモーヌ・ヴェイユがキリスト教徒にならなかったのと同じ意味でキリスト教徒ではないということだ。な…

亀山郁夫の悪意

私が初めて亀山郁夫のドストエフスキー論(『『悪霊』神になりたかった男』)を読むきっかけになったのは、ある学生のレポートだった。もちろん、すでに亀山が『ドストエフスキー父殺しの文学』を出しているのは知っていた。しかし、私はそれを本屋で立ち読…

江川卓の妄説

午前中は家事と勉強。午後、「ギタリストたちの饗宴」(荘村清志・鈴木大介・大萩康司:秋篠音楽堂)に行く。前売券が手に入らなかったので、当日券売り出しの一時間前に行って並ぶ。すでに女性が一名並んでいた。その時間を利用して、昔読んだ中村雄二郎の…

亀山郁夫の狂気

謙遜という言葉が死語になったということで思い浮かべるのは亀山郁夫の一連の発言だ。 木下和郎の言っていることは正しい。次を参照。 http://d.hatena.ne.jp/kinoshitakazuo/20091016 長文だけれど次に掲載されているPDFファイルも参照。144頁目から…

人生永遠の書

正宗白鳥が深沢七郎の「楢山節考」を「人生永遠の書」と評したのはその通りで、何の異論もない。「楢山節考」が発表されたときから古典になっていたことは明らかだ。しかし、この古典を今の読者は理解できるだろうか。彼らの多くにとってちんぷんかんぷんで…

村を過ぎる

親父が死んだのは夕方だった。 こういう場合、私の田舎では普通、遺体を棺桶に入れ、病院からいったん自宅に戻す。そして、翌日、自宅あるいは葬儀場で通夜を行い、その翌日葬式という段取りになる。病院で夕方に亡くなると、その日通夜ができないので、葬儀…

ロシアのゴーゴリという作家に『鼻』という作品がある。うっかり客の鼻をそり落としてしまった床屋が、その鼻を捨てようとペテルブルグの町をウロウロする。最近読み返していないので、うろ覚えだが、鼻をチリ紙みたいなものに包んでそっと道に投げ捨てる。…

キミノヨウニ ヤサシイヒトハ モウイナイ

椎名麟三が1938年から1942年まで勤めていた新潟鉄工の東京事務所は有楽町にあり、椎名はそこで詩人の北川省一とともに働いていた。「椎名さんと最後にお会いになったのは?」という編集者の問いに北川はこう答える。 「私が最後に訪ねた時は、千葉かなんかに…

散歩

夕焼け。 日本の風景はどうして花札に似てしまうのかな。

二代目はクリスチャン

マザー・テレサの「たとえ母親があなたを見捨てても、けっして見捨てない方がおられます」という言葉から思い浮かべるのは、「二代目はクリスチャン」という映画だ。B級映画だという人もいるが、B級映画という言葉の意味が分からない。良い映画と下らない映…

人生は空漠たるものか

一昨日は後期最初の『カラマーゾフの兄弟』の講義。インフルエンザ騒ぎで前期最終講義が休講になったため、後期は「大審問官」の途中から始める。講義の最初に、マザー・テレサの生涯を紹介した「あの人に会いたい」というNHKテレビの放送録画を見てもらう。…

平地人

今では記憶して居る者が、私の外(ほか)には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃(にしみの:岐阜県南部)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。 女房は…

小林秀雄とお光さま

小林:「さっき、僕のおっ母さんは天理教だと言ったろ。それがね、晩年、病気になってから、お光さま(世界救世教のこと)に転向したんだ。それだから、僕もお光さまになった。」(中略) 小林:「お袋は医者も薬も軽んじていたが、晩年はもうお光さまのおさ…

誤診

きのうは京都国際会館で児童精神医学会総会。門会長が「三年前から製薬会社の後援を受けない学会にした」という旨の挨拶をする。言うは易く行うは難し。門さんの言葉に感動。製薬会社の後援を受けながら、精神科医の多剤投与を批判することはできない。 その…