徒然なるままに

人間ポンプ

今から四十年近く前のことだ。 たしかわたしの一人娘が小学校に入って二年目ぐらいに、父兄参観日に行った。教室に入ったとたん、出たくなった。 じつにイヤーな息が詰まるような空気だった。 どういう風に息が詰まるような空気だったかというと、これが説明…

国葬

このたびの統一教会騒ぎを見ていて思い出したのは、小澤征爾のことだった。昔読んだことなので記憶はあいまいだが、たしか、次のようなことだったと思う。小澤はヨーロッパで音楽修行をしていたとき、ある朝鮮半島出身の音楽家と友人になった。親切心からい…

ウクライナ文学者・小松勝助

いつだったか、ずいぶん昔、東大(いや、筑波大学だったか?)に留学しているウクライナ人の女性から小松勝助のことを教えてくれというメールが来た。なんでも小松勝助のことをウクライナの百科事典に載せたいから調べているということだった。わたしは小松…

ウクライナ

プーチンがウクライナに攻めこんだので、連日、メディアではそのニュースがあふれている。わたしは学生の頃、ウクライナ文学の専門家だった小松先生からいかにロシアがウクライナにひどいことをしてきたのかということを聞かされてきたので、ウクライナの人…

ギター歴

「なぜギターを弾き始めたのですか」と、昔、よく訊かれた。あまりにも頻繁に尋ねられるのでうんざりして、そういうときは決まったように、「そりゃ、女にもてたかったからですよ」と答えることにしていた。そう言うと、相手は、じっとわたしの眼を見て、う…

川端香男里と伊藤淑子

近々、ドストエフスキー入門書みたいなものを出すので、贈呈したい人の住所を調べていたら、亡くなっている人が多いので驚いた。浦島太郎になったような気分だ。自分では気がつかなかったが、妻の看病に明け暮れするようになって以来、人交わりをする余裕を…

神さんに祈りなはれ

京大天皇事件で有名になった中岡哲郎先生が、子供のとき、友達から、天皇もあれをしやはるんやろか、と友達に聞かれた。姉の本などを覗いて、こっそり女体の構造などを調べていた、科学的精神にあふれていた中岡少年は、「当たり前や」と答えた。すると、そ…

ドストエフスキーが分からなかった頃

わたしはドストエフスキーを分かりたいと思い、神戸の外国語大学に入ったのだが、いくらたってもドストエフスキーが分からなかった。しかし、三十過ぎに離人症になったあと、分かるようになった。この「十字路で」という文章はその三十過ぎの頃を書いた文章…

体言止め

最近、五十年ほどかけて書いたことになるドストエフスキー入門書というかドストエフスキー再入門書みたいなものが出来上がって、ほっとしている。そして、わたしに残された人生は短いはずなので、ドストエフスキーの作品の中から好きなものを順に訳しておこ…

もうひとつのブログ

もうひとつのブログを最近、まったく書いていない。 書かなくなったのは、妻の看病と家事で忙しくなって散歩ができなくなり、この散歩の記録が主なブログで書くことがなくなったからだろう。散歩をしよう。

おちょやん

NHKテレビの朝の連続ドラマである「おちょやん」を録画して見ている。 いわゆる「連ドラ」を見るのは初めてだ。 なぜ見始めたのかといえば、第二回目を偶然見たからだ。わたしも住んでいた富田林が舞台になっていた。そこで、これは見なくてはと思い、パソコ…

女の万引き

コロナのために毎年年末に難波でやっていたヘタウマ会が中止になった。ヘタウマ会というのは、関西に住んでいる素人の(プロもまじっているが)ギター好きが集まって、そのヘタな腕前(上手な腕前の者もいるが)を「どうだ、ウマいだろー」と自慢しようとい…

おおチルシスとアマントが

最近、ギターを手にとることが少なくなった。たまに手にとっても、バーデン・パウエルやバリオスなどの悲しい曲ばかり弾いている。好きなはずのソルは弾く気にもなれない。カミさんの看病を五年してカミさんに死なれ、たぶん、その疲れで自分も病気をして以…

頭が良いということ

頭の良い人と悪い人がいるらしい。わたしにはこれが分からない。理屈の立つ人が頭が良いということにはならない。たとえば、ある解決困難な事象Aに対してBとCという二つの相反する結論があるとしよう。例としては、日本国憲法9条(A)に対する賛成(B)と反…

原風景

もう戻ってゆけない場所がある。戻っていってはいけない場所がある。わたしにとって、それは加古川(大川)に流れ込む美濃川の橋のたもと、正法寺から宗佐と下石野に向かう細い道が交差するところだ。そこには貧しい家が一軒あったはずだ。その家を横目に見…

せんせはえらい

私が公開講座をやっていて、これまでいちばん印象に残った出来事は、ある人から「せんせはえらい」と誉められたことだ。その人は石川県あたりの工事現場で働いていたとき、ある人から、「ドストエフスキーの『悪霊』は面白いよ」と言われ、それがずっと記憶…

亀山郁夫に会った

妻が亡くなったあと、何もする気になれず、居間のソファにぼんやり座ったままテレビを眺めている日々が続いた。夜も眠れず、身体のあちこちが痛い。とくに胃が痛い。それで医者に行って、いろいろ調べたが、どこも悪くない。そこで、医者に、妻を亡くして云…

ラッコ

きのうプールで泳いでいると、おじいさん(私より少し上のおじいさん)が、ビート板(バタ足の練習のとき使う楕円形の板)をお腹の上に乗せて、上を向いてばたばた泳いでいた。それで、あれは何だったか、と、思い出そうとしたが思い出せない。そこで、プー…

ハゲタカ

妻は四年前、最初の病院(A病院としておこう)で、余命一週間と宣告されたのち、それが誤診であるということが分かり、しばらく治療を受けていたが、A病院では手に負えないということで、別の病院(B病院としておこう)に移った。妻の病状について回想す…

冷凍保存

ずいぶん久しぶりのブログだ。これから思い出したら書くことにしよう。 昨年の九月、舌癌の手術をした。幸い、初期のもので、すぐ退院できた。しかし、ロシア語が喋りにくくなった。巻き舌のRの音が出ない。日本人の半分ぐらいは巻き舌のRの音が出ないそうだ…

翁長さんの死

翁長さんは理性では日米安保条約はしかたがないと思っていたが、無意識の部分で日本の本土の人間を許すことができなかったということだろう。このため、途中で態度を変えた。これは韓国の人々にも言えることだ。彼らも従軍慰安婦問題で日本との約束を反故に…

オーソレミオ

某日、かみさんを病院に送っていくとき、前の幌付きのトラックの幌に雪が積もっていた。渋滞していたので、その後ろをずっと走っていると、雪がフロントガラスにかかって前が見えなくなった。ワイパーをかけた。奈良ナンバーのトラックだったが、奈良に大雪…

先日、多田智満子の夢を見た。どんな夢だったか、忘れた。にこにこ笑いながら、何か喋っていた。ところが、その朝、かみさんが「昨夜、3時頃、変な夢を見た」という。「どんな夢でしたか」と訊いても、じっと考えているだけだ。「変な夢」と言うだけだ。念…

呆然

神戸には、昔、亡命ロシア人が多かった。私の恩師の奥さんも亡命ロシア人で、かつては「ミス・ハルビン」と言われるほど美しい人だった(らしい)。私はその恩師の葬式のとき、神戸のハリストス教会で奥さんに会っただけだ。そのときも彼女は十分美しかった…

憎い

「ずっと父親を偽善者だと言っていてね」 「そう?」 「でも、結局、その人も牧師だった父親みたいになってね」 「似てしまうわね」 「そうだね、憎んでいると」 「憎まないで生きて行けたらいいな」 「そうね」 「そうだね」

不死

人生、人生 わたしは信じない、迷信も予感も わたしは恐れない、悪意も中傷も わたしは逃げない、死などない 誰も死なない、不死しかない 十七歳であろうと、七十歳であろうと、死を恐れることはない あるのは今と光のみ 死も闇もない わたしたちは皆、すで…

血管腫

四年前の今頃フェイスブックに書いた記事。年を取ると、意外なところに意外なものができる。楽しみです。というのは嘘。 小さな赤いあずき豆みたいなのが右のほっぺたにできて、たいしたことないや、と、あなどって、風呂の中でごしごしタオルでこすったら血…

仁義なき戦い

京都府立医科大学の学長が暴力団組長との交際の件で、マスコミなどにいろいろ取りざたされ、体調を崩し、退任することになった。 暴力団というと、わたしには忘れられない事件がある。 あれは大阪のある大学の夜間部で教え、学生食堂で食事を終え、神戸は大…

習うより慣れろ

わたしは五十年近く前、「習うより慣れろ」と繰り返す関口存男の何とかという本でドイツ語を学んだ。その本は今も、ほこりにまみれて家のどこかにあるはずだ。箱入りの、枕にできるほど分厚い、頑丈な本だった。じっさい枕にして昼寝をした覚えがある。 要す…

エッチ

この前の公開講座のあとの懇親会、と言っても、わたしの場合、酒をがぶがぶ飲んで、わけの分からないことを叫ぶだけだが、その懇親会で、わたしと同じぐらいの年齢の女性に、 「わたし、「エッチ」という言葉は好きではありません」 と、言われた。 そう、わ…