自尊心の病

「自尊心の病」という言葉について

ドストエフスキーが『スチェパンチコヴォ村とその住人』で使っている「偽りの自尊心」という言葉を、わたしが「自尊心の病」という言葉に言い換えて使い始めたのは、『ドストエフスキーのエレベーター――自尊心の病について』(p.26)でも述べたように、1995…

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」という言葉があるが、私にとって「初心」とは、離人症(私の場合は離人神経症)から回復したときの感覚だ。離人症に30歳すぎになった。自尊心の病の果てになった病だった。その数年後に見た離人症から回復したときの風景については何…

松本人志

松本人志氏がスキャンダルを起こして週刊誌で叩かれている。わたしはそのこと自体にはあまり興味を覚えない。漫才師にモラルを求めるのは、魚屋に肉を売れと言うようなものだ。しかし、あることについて不愉快になった。 それは、youtubeである人が松本人志…

小林秀雄の社会学批判

先日、寝転がって、以前読んだことある小林秀雄と江藤淳の対談(『歴史について』、文春文庫、1978、pp.9-75)を読み始めたら、わたしが先のブログ、つまり、「ドストエフスキーの壺の壺――シニフィエはどこにもない」で書いたことと同じことを小林が述べてい…

「ドストエフスキーの壺の壺――シニフィエはどこにもない」

「ドストエフスキーの壺の壺――シニフィエはどこにもない」のリンクを張って欲しいというリクエストがありましたので、リンクを張りました。しかし、スマホでこのリンク先を見ようとしても、なぜか、見ることができません。ご覧になりたい方は、パソコンでご…

叫びとささやき

ツタヤでベルイマンの『叫びとささやき』を借りてきて、初めて見た。わたしが学生の頃、評判になった映画だった。学生の頃に見ても、何も分からなかっただろうと思う。自尊心の病に憑かれた人間に、この映画は分からない。彼らに愛は分からない。彼らは自分…

『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』

本屋で鹿島茂の『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』(朝日新聞出版、2016)を拾い読みし、次々と変なことが書いてあるので、びっくりし、思わず買ってしまった。 その変なことのなかでもいちばん変なのは、鹿島が、小林の「美しい『花』があ…

怪物

久しぶりに映画館に行って映画を見た。「怪物」という映画でした。面白かった。偶然なのだろうが、いつもドストエフスキー講座でわたしが述べている「物語の暴力」と「シニフィエはどこにもない」ということをテーマにした映画だった。

ワイマール・コンプレックス

昨年、NHKで放映された「ウクライナ侵攻が変える世界(1)ノーベル賞作家・アレクシエービッチに聞く」という番組でアレクシェーエヴィッチは次のように述べていた。 「・・・プーチンは大ロシア主義に取りつかれた人間です。それは大セルビア主義や大ドイ…

インテリ

「物語の暴力」について。 不良僧の穴山に、泰淳とおぼしきインテリの柳は、「お前さんなんか『赤』にでもならなきゃ、世の中のことはサッパリわからんのだから、なりたけりゃ、おなりなさい」と言われる(武田泰淳、『快楽』)。世の中を知りたいインテリが…

訂正

以前書いた「神聖不可侵なもの」について、野口剛夫氏から自分の書いたものではない文が引用されているというご指摘を頂いたので、訂正しました。深くお詫びします。なぜそんなことになったのか。自分でもそうなった理由が分かりませんが、いずれにせよ、申…

書けることと書けないこと

一読し、著者に深い尊敬の念を抱きました。このようなことについては、書けることと書けないことがある。著者はその書けないことの限界まで書かれていると思います。ここに書かれているのは、いわゆる「共依存」には違いないのですが、その共依存から身をも…

タコツボ

昔、木下豊房とともに亀山郁夫のスタヴローギン論や『カラマーゾフの兄弟』の翻訳についてロシア文学会あてに亀山との公開討論を申し込んだ。しばらくすると、討論会をしましょうという返事がロシア文学会から来たのだが、直前になって、木下豊房から討論会…

文は人なり

或るとき、と言っても、わたしがずいぶん若い頃だが、トルストイやドストエフスキーの翻訳をしていた工藤精一郎氏から「これを読め」と言って、一冊のソ連の文学雑誌(『文学の諸問題』だったか?)を渡された。そこにはショーロホフが盗作作家だということ…

盗作作家二人

あの世に行ってしまったカミさん、その母親が富山の人で、神戸の地震のあと、彼女の住んでいたアパートが壊れたので引き取って一緒に住んでいた。その人が自分の知っていた堀田善衛のことをいろいろ言うので、わたしは「ああ、良い人なんだな」などと思って…

歴史は繰り返す、あるいは、保守反動は繰り返す

今のロシアを見ていて痛感するのは、ソ連がロシアになって少しは変わるのだろうと期待していたわたしが愚かだったということだ。「ドストエフスキーとニーチェ」で書いたように、ロシアのようなルネサンスを経ていない民族はいつまでも保守反動のままだ。じ…

リトマス試験紙

「ありのままに生きる――引きこもりとドストエフスキー」(『現代思想』12月号、2021)という短い文章で書いたように、自尊心の病とベルクソンのいう持続は同時に分かる。 というか、自分の自尊心の病に気づかない傲慢な人はベルクソンのいう持続も分からない…

「ドストエフスキーを読む」講座について

「ドストエフスキーを読む」講座について言い忘れていたことがありますので、追記します。 昨年度も『罪と罰』(新潮文庫、工藤精一郎訳)について述べましたが、今年も『罪と罰』(ただし、岩波文庫、江川卓訳)について述べます。こんなことをするのは、わ…

プーチンは狂人ではない

プーチンのウクライナ侵攻が始まったので、邦訳された、以前読んだことのあるアンナ・ポリトコフスカヤの本(『プーチニズム――報道されないロシアの現実』と『ロシアン・ダイアリー――暗殺された女性記者の取材手帳』)を再読した。アンナ・ポリトコフスカヤ…

ウクライナ

プーチンがウクライナに攻めこんだので、連日、メディアではそのニュースがあふれている。わたしは学生の頃、ウクライナ文学の専門家だった小松先生からいかにロシアがウクライナにひどいことをしてきたのかということを聞かされてきたので、ウクライナの人…

野いちご

ベルイマンの映画『野いちご』で、主人公の老教授イサクは或る詩を口ずさみはじめるが、途中で詩の文句を忘れる。すると、彼を囲んでいた行きずりの若者たちがその詩を続ける。その詩は或る人のブログ(https://yojiseki.exblog.jp/11966306/)によれば、こ…

土壌主義

拙著『ドストエフスキーのエレベーター――自尊心の病について』で述べたように、ドストエフスキーがアポロン・グリゴーリエフと共に唱えた土壌主義とは、社会の最底辺に生きる人々とともに生きることです。つまり、昇りのエレベーターから降り、自らそのよう…

「ドストエフスキーのエレベーター」

拙著「ドストエフスキーのエレベーター」が出ました。お読み頂ければ有り難いです。

いやな人には会わない

いやな人には会わない。いやな人に会うと、必ずグロテスクなことになる。たとえば、わたしはその人に会っている不快さに耐えることができなくなり、アルコールを浴びるように飲み、こちらの精神が崩壊して乱暴狼藉を働くとか、罵声をその人に浴びせるとか・…

赤木ファイルの公開

アイヒマンはどこにもいる。あなたもわたしもアイヒマンである。ひとりのアイヒマンを首縊りの木に吊しても、二人のアイヒマンをこの世界から追放しても、三人のアイヒマンに罵声を浴びせても、あなたやわたしがアイヒマンでなくなるわけではない。もうすぐ…

赤木俊夫の死

2年前、近畿財務局職員の赤木俊夫氏(54)が自ら命を絶った。彼が残したファイルを財務省は公開しようとしない。 赤木氏は財務省、いや、日本の至るところにいる「アイヒマン」の一人になることを拒否し、自死を選んだのである。 世界中に「アイヒマン」…

イラ菅

菅直人は「イラ菅」と呼ばれていたが、彼が苛立っていたのは、わたしのいう「アイヒマン的なるもの」のためだった。彼のその苛立ちは正しかった。その正しさが分からない、あるいは分かりたくない人だけが、彼を「イラ菅」と呼んだ。

コメント欄復活

このブログのコメント欄を復活させた。その経緯について簡単に述べておこう。 この「はてなブログ」は以前「はてなダイアリー」で書いていたものをそのまま引き継いだものだ。なぜ引き継いだのかといえば、あるとき、「はてなダイアリー」は「はてなブログ」…

ニーチェ

11月28日の公開講座で、ドストエフスキーの回心について述べました。そのさい、キェルケゴールとニーチェもドストエフスキーと同じようなことを言っていると述べましたが、時間切れで、詳しく述べることができませんでした。しかし、ニーチェについては…

あん

朝日新聞というのは自尊心が人一倍強い人が書いているらしく、読むと心がささくれることが多い。しかし、何年かに一度は、そのささくれを収めてくれるような文章が載る。先日読んだドリアン助川氏のものもそういう文章だった。最近起きたALS患者嘱託殺人事件…