「自尊心の病」という言葉について

 ドストエフスキーが『スチェパンチコヴォ村とその住人』で使っている「偽りの自尊心」という言葉を、わたしが「自尊心の病」という言葉に言い換えて使い始めたのは、『ドストエフスキーのエレベーター――自尊心の病について』(p.26)でも述べたように、1995年に大阪府立大学に勤め始めてすぐのことだ。
 しかし、論文で「自尊心の病」という言葉を使い始めたのは何時だろうと思って、調べてみたら、「あなたには癒しでも私には暴力――物語と最初の暴力」(2002)が最初のようだ。
 京大の作田啓一氏がわたしの『スチェパンチコヴォ村とその住人』を論じた「ゴーゴリとファラレイ」(1984)という論文を読み、自分の主宰している「分身の会」に来てくれという手紙をわたしによこし、わたしがその会に参加するようになったのは1984年か翌年の1985年のことだろう。
 わたしはその会に参加している人すべて(と言っても、当時は織田年和、富永茂樹、作田啓一、わたしの四名で、のちに増えたが)に、「あなたには癒しでも私には暴力――物語と最初の暴力」も含む自分の書いた論文をすべてコピーして渡していた。さらに、「分身の会」のメンバーはわたしが会で報告するたび、わたしの言う「自尊心の病」という言葉を繰り返し繰り返し、しつこいほど聴いていたはずだ。
 「自尊心の病」という言葉をわたしの専売特許だと言うつもりはないが、わたしが使っている意味とは異なる意味で使われると混乱を招くので、使うのなら、その言葉は『ドストエフスキーのエレベーター――自尊心の病について』(p.26)で述べたような意味で使ってもらいたいと思う。

 なお、ジラール(『地下室の批評家』、織田年和訳、白水社)も作田啓一(『個人主義の運命――近代小説と社会学』、岩波新書)も「自尊心の病」という言葉は使っていないし、わたしとは異なる意味で「自尊心」という言葉を使っている。