希望

 一昨日の朝日新聞夕刊(11月25日)に載っていた記事(下に引用)を読み、いつも同じことを考えている自分に気づいた。
 この親に殺された女性が狂っていたとは思えない。なぜなら、記事にあるように、彼女は14年前に入院したとき、次のようなことを日記に書いていたからだ。

「生きている事がとても苦しい」
「病気は此の病院で本当に治るのでしょうか」
「弱い顔を見せる事ができるのは家族だけです。今ねとても心が疲れ切っています」

 狂人なら、こんなことは言わない。彼女が正気であることは明らかだ。それなのに、彼女は狂人のように振る舞った。だから、統合失調症などと診断され入院させられたのだ。なぜ正気なのにそんな行動を反復していたのか。それは、父親によれば、彼女が小学校からずっといじめられてきたからだ。記事にはこうある。

 長女は3人きょうだいの末っ子。内気で反抗期もなかったが、高校卒業後に就職した眼鏡会社を5カ月で退職。約2年で6、7社を転々とし、ひきこもった。村井さんが長く勤めた石油会社を退職した直後だ。
 突然暴力が始まった。「小学から高校までいじめに遭い、職場でも人間関係で悩んでいたようだった。長い間ため込んだストレスのせいかもしれない」と村井さんは言うが、はっきりした原因はわからない。

 父親は「長い間ため込んだストレス」と言っているが、娘が狂人のようになった原因がいじめだということははっきり分かっていただろうと思う。私がこれまで出会ってきた親御さんたち、また私自身の経験からもそう言うことができる。正気の人間が狂ったようになるのは、これまで受けた暴力(言葉の暴力、無視という暴力、視線の暴力・・・)を胸のうちに、刃物を呑みこむようにして生きているからだ。その刃は、最終的には、自分のいちばん親しい、そしていちばん弱い人、つまり肉親の誰かなどに向けられる。
 そういう人がいないのなら、動物がその暴力の対象になる。酒鬼薔薇聖斗や『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフが猫を殺したのはそのためだ。彼らにとって猫が自分より弱いものだった。
 強い者が弱いものをいじめ、弱いものがもっと弱いものをいじめる。弱いものが個人である場合も、集団である場合も同じだ。民族や国家の場合も同じだ。だから、大国は威張り、小国は怨嗟の炎をもやすのだ。
 この仕組みを変えるにはどうすればいいのか。
 答そのものは簡単だ。いちばん弱いものをいちばん大事にすればいいのだ。
 しかし、そんなことはいくら言っても無駄だ。いちばん弱いものをいちばん大事にする人などいない。いるとすれば、その人はすでに死んでいるだろう。弱いものに配慮していると、自分も落ちこぼれてしまい弱いものになり、暴力を受ける側に回ってしまう。だから、優しい人はこの世界で生きていくことはできない。この世界には他人の一枚上を行こうと思っている人しかいない。そういう人しか生き延びることはできない。
 あなた方はもうすでに忘れているだろうが、胸に手を当てて思い出してほしい。自分がいかに卑怯な人間であり、他人を蹴落として生き延びてきたかということを。蹴落とされた人は、たとえば、その記事の女性のように親に殺されるのだ。また、少数民族は大きな民族に殺されるのだ。
 しかし、私たちがこういうことを考えることができるということは、希望があるということだ。どんな希望か。自分が殺される側に回ってもいいと覚悟を決めることができるかもしれないという希望だ。(以下、引用)

精神障害、暴力の末に…長女殺害「お父が足らんかった」」


 精神障害のある長女(41)を殺害したとして、和歌山市の村井健男さん(81)が7月に執行猶予付きの有罪判決を受けた。家族が20年にわたって長女の暴力を受けた末の事件だった。「私の事件を最悪の事例としてほしい」。同じ境遇にある家族の助けになればと、朝日新聞の取材に体験を語った。
 今年のバレンタインデーの夜だった。
 「お菓子買うてこい」
 市中心部の住宅街にある築50年の一軒家。午後7時半ごろ、2階の部屋から起きてきた長女が言った。村井さんはワッフルを買って来たが、長女は「こんなもんいらん」と拒んだ。
 午後10時すぎには、自宅が気に入らないと大声をあげ始めた。「新しい部屋を借りろ」。長女はベッドに横たわる妻(75)を布団ごしに何度もたたいた。
 妻と長女との3人暮らし。妻は昨年5月から間質性肺炎を患い、足腰も弱っている。布団を頭までかぶり、おびえる妻の姿が目に入った。なぜ暴力を振るうのか、自分が死んだらどうなるのか――。
 足元にあった電気コードで後ろから長女の首を絞めた。ぐったりした長女を見た妻が、別居の長男家族を通じて救急車を呼んだ。駆けつけた警察官に村井さんは現行犯逮捕された。
 「肉体的、精神的に限界を迎えた末の犯行で強く非難できない」。7月17日、和歌山地裁は懲役3年執行猶予5年(求刑懲役6年)を言い渡し、確定した。
   ◇
 村井さんはいまも、この家に妻と住んでいる。
 無数にへこんだ台所の壁や冷蔵庫。妻の髪はストレスで抜け落ち、肩や手に刺されたような傷痕が残る。
 長女は3人きょうだいの末っ子。内気で反抗期もなかったが、高校卒業後に就職した眼鏡会社を5カ月で退職。約2年で6、7社を転々とし、ひきこもった。村井さんが長く勤めた石油会社を退職した直後だ。
 突然暴力が始まった。「小学から高校までいじめに遭い、職場でも人間関係で悩んでいたようだった。長い間ため込んだストレスのせいかもしれない」と村井さんは言うが、はっきりした原因はわからない。
 2001年12月。長女は買い物で帰りが遅くなった妻をとがめ、窓から皿10枚を隣の家に投げつけた。警察に保護され、精神鑑定の結果、「情緒不安定性人格障害」と診断された。「ショックだった。外見もしゃべり方も普通の子なのに」
 暴力は毎日のように続いた。標的になったのは妻だった。肩と左手をハサミで刺す。家中のガラスを割る。パイプ椅子で壁をたたく。「物音がうるさい」と、隣の家に包丁を投げたこともある。耐えかねた妻は「行方不明ということにして」と言って家を出て、別の町で1年半、一人で暮らしたこともあった。
 近所の人や村井さん自身が110番通報した時もあった。その度に精神鑑定を受け、「統合失調症」「パーソナリティー障害」などとも診断された。入退院は11回に及んだ。保健所に相談したが、長女が訪問を拒んだ。「心中すれば楽になれると何度も思った」
     ◇
 起訴後に拘置所に移送されると、長女との良い思い出ばかりがよみがえった。肩をたたいてくれた小学生のころ。初任給で妻にエプロンを、自分には鉛筆立てを買ってくれた。事件直前も「これいいでしょ」とイヤホンを村井さんの耳にあて、クラシックの音楽を聴かせてくれた。
 ある日、面会に来た弁護士から、長女が01年に入院した時につけた日記をアクリル板ごしに見せられた。
 「生きている事がとても苦しい」「病気は此の病院で本当に治るのでしょうか」「弱い顔を見せる事ができるのは家族だけです。今ねとても心が疲れ切っています」
 一番苦しんでいたのは長女だった。「お父が足らんかった。許してくれ」
     ◇
 村井さんは28日午後1時から和歌山県子ども・女性・障害者相談センター(和歌山市毛見)で開かれる講演会「求め続けた希望の光」で体験を語る。「どうすれば娘を救えたのか、参加者と話したい」。自宅を24時間開放し、同じ悩みを抱える人が駆け込む場所にしたいとも考えている。

 問い合わせは「あすなろ共同作業所」( 電話 073・487・5560、メールasunaro2noki@forest.ocn.ne.jp)へ。定員に若干の空きがある。無料。

■研究者「公的支援が不足」
 精神障害がある家族への殺人事件は各地で起きている。動機や背景に酌むべき事情がある、とした執行猶予判決も目立つ。
 東京大大学院の蔭山正子助教(地域看護学)らのチームは埼玉県内に住む精神障害者の家族346世帯466人を調査。約6割に暴力を受けた経験があった。
 「自分さえ我慢すれば」「子どもを犯罪者にしたくない。警察に相談できない」と考え、家族内で抱え込む傾向がうかがえた。蔭山助教は「専門家や支援団体など第三者と接したり、退院先を実家以外にしたりし、閉鎖的な環境になるのを避けてほしい」と話す。
 蔭山助教公的支援が不足しているとも指摘。暴力が起きた際の専門家による緊急訪問サービス▽公的な避難所の設置▽役所などの相談窓口の設置――などを求める。「精神障害者イコール危険人物ではない。暴力をふるう人の矛先の多くは家族に向く。疾患や障害の特性に合った接し方を学ぶことが大切だ」と話す。(西山良太)

■暴力への対処法
【起こりそうな時】
・事前に刃物などを目の届かない場所に置く
・暴力の対象となる家族を遠ざける
・反論しない。話題を変える

【起きている時】
・本人の言動に反応しすぎない
・警察、保健所など第三者に助けを求める
・外出するなど、その場を離れる

【収まった後】
・落ち着くのを待って話をする
・主治医に報告し、薬の量などを相談する
・暴力はだめだと諭す

【普段の生活で】
・穏やかで落ち着いた口調を心がける
・主治医や保健所、家族会など外とのつながりをもつ

※東京大大学院の蔭山正子助教による