お詫び

いつだったか、わたしが癌の手術をした頃だったので、今から4年前ぐらい前だったか、このはてなブログがリニューアルされることになり、ブログの文章とつなげていたリンクが切れてしまった。リンクを復活するのも手間がかかるので、放っている。ご容赦頂け…

「自尊心の病」という言葉について

ドストエフスキーが『スチェパンチコヴォ村とその住人』で使っている「偽りの自尊心」という言葉を、わたしが「自尊心の病」という言葉に言い換えて使い始めたのは、『ドストエフスキーのエレベーター――自尊心の病について』(p.26)でも述べたように、1995…

当ブログの題名の由来

「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮れ」 (私訳:もはやこの世には何の用もないと思い定めた私なのに、秋の夕暮れ、鴫が水辺から飛びたつのを見ていると、今更ながらこの世のはかなさが身に沁みる)。

このブログを始めた理由

なぜこのブログを始めたのか。その理由についてはすでに2013年10月2日の記事で説明している。しかし、今では他の記事に埋もれて読みにくくなっているので、それを複写し、ブログの最初の部分に掲げておこう。最近は日記帳や忘備録みたいになっているこのブロ…

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」という言葉があるが、私にとって「初心」とは、離人症(私の場合は離人神経症)から回復したときの感覚だ。離人症に30歳すぎになった。自尊心の病の果てになった病だった。その数年後に見た離人症から回復したときの風景については何…

松本人志

松本人志氏がスキャンダルを起こして週刊誌で叩かれている。わたしはそのこと自体にはあまり興味を覚えない。漫才師にモラルを求めるのは、魚屋に肉を売れと言うようなものだ。しかし、あることについて不愉快になった。 それは、youtubeである人が松本人志…

大阪講座「ドストエフスキーを読む」の開講案内(最新版)

大阪で講座「ドストエフスキーを読む」を開講します。 前回に引き続き『悪霊』を読みながら、ドストエフスキーの持つ唯一無二の魅力を味わい、生きることの意味を問うていきます。 講師 萩原俊治 (大阪府立大学名誉教授) 時間 14:30〜16:00 日程 2024年 1…

奈良で「ドストエフスキーとバフチン」の講座を開きます

「ドストエフスキーとバフチン」 東大寺そばの日本庭園が美しいカフェでお茶菓子をいただきながら、ドストエフスキー作品(今回は『悪霊』)を読み深めていく講座です。ロシアの思想家バフチンの「ポリフォニー論」による解説とドストエフスキーの思想的・政…

大阪講座「ドストエフスキーを読む」の開講案内

大阪で講座「ドストエフスキーを読む」を開講します。 前回に引き続き『悪霊』を読みながら、ドストエフスキーの持つ唯一無二の魅力を味わい、生きることの意味を問うていきます。 講師 萩原俊治 (大阪府立大学名誉教授) 時間 14:30〜16:00 日程 2024年 1…

渡辺謙の演技論

さっきテレビを点けると、NHKテレビで俳優の渡辺謙が大河ドラマの「独眼竜政宗」を演じたときの経験を語っていた。要するに、そのドラマを演じているとき彼に分かったのは、伊達政宗という歴史的な人物の一生を見渡しながら、ここはこう演技すべきであると計…

小林秀雄の社会学批判

先日、寝転がって、以前読んだことある小林秀雄と江藤淳の対談(『歴史について』、文春文庫、1978、pp.9-75)を読み始めたら、わたしが先のブログ、つまり、「ドストエフスキーの壺の壺――シニフィエはどこにもない」で書いたことと同じことを小林が述べてい…

「ドストエフスキーの壺の壺――シニフィエはどこにもない」

「ドストエフスキーの壺の壺――シニフィエはどこにもない」のリンクを張って欲しいというリクエストがありましたので、リンクを張りました。しかし、スマホでこのリンク先を見ようとしても、なぜか、見ることができません。ご覧になりたい方は、パソコンでご…

野見山暁治

年とともに本の読み方が変わってきた。 本から透けて見える著者の人間を読むようになった。 下らないやつが書いた本は、いくら巧みに述べられていても、下らない。下らないから、そういう本を書いたやつは下らないと分かる。そして、その本を読むのがイヤに…

ジャニー喜多川と黒柳徹子

昨夜、テレビをつけたら、偶然、市川崑が監督した映画『犬神家の一族』をやっていた。面白いので、ずるずる最後まで見てしまった。わたしはホラー映画や怪談を扱った映画が大好きなのである。 その『犬神家の一族』をずるずる最後まで見てしまったのは、わた…

叫びとささやき

ツタヤでベルイマンの『叫びとささやき』を借りてきて、初めて見た。わたしが学生の頃、評判になった映画だった。学生の頃に見ても、何も分からなかっただろうと思う。自尊心の病に憑かれた人間に、この映画は分からない。彼らに愛は分からない。彼らは自分…

『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』

本屋で鹿島茂の『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』(朝日新聞出版、2016)を拾い読みし、次々と変なことが書いてあるので、びっくりし、思わず買ってしまった。 その変なことのなかでもいちばん変なのは、鹿島が、小林の「美しい『花』があ…

怪物

久しぶりに映画館に行って映画を見た。「怪物」という映画でした。面白かった。偶然なのだろうが、いつもドストエフスキー講座でわたしが述べている「物語の暴力」と「シニフィエはどこにもない」ということをテーマにした映画だった。

講座・ドストエフスキーを読む

ドストエフスキーの小説はなぜこんなに面白いのか。 思想的・政治的・文学的観点による説明もいれながら、ドストエフスキー読書体験が持つ唯一無二の魅力を味わい、生きることの意味を問うていきます 講師 萩原俊治 (大阪府立大学名誉教授) 時間 14:30〜16:0…

講座・ドストエフスキーとバフチン

ロシアの思想家バフチンの「ポリフォニー論」による解説とドストエフスキーの思想的・政治的・文学的観点について述べながら、生きることの意味を問うていきます 東大寺そばの日本庭園が美しいカフェでお茶菓子をいただきながらの講座です 講師 萩原俊治(大…

和文和訳

昔、翻訳というものはしょせん、どう転んでもニセモノである、ということを森有正が言っていたので、わたしはあまりにもひどい翻訳は別として、だいたいどんな翻訳でも許容することにしている。 それでも、先行訳の誤訳をそのまま写している、言うなら「和文…

人間ポンプ

今から四十年近く前のことだ。 たしかわたしの一人娘が小学校に入って二年目ぐらいに、父兄参観日に行った。教室に入ったとたん、出たくなった。 じつにイヤーな息が詰まるような空気だった。 どういう風に息が詰まるような空気だったかというと、これが説明…

ワイマール・コンプレックス

昨年、NHKで放映された「ウクライナ侵攻が変える世界(1)ノーベル賞作家・アレクシエービッチに聞く」という番組でアレクシェーエヴィッチは次のように述べていた。 「・・・プーチンは大ロシア主義に取りつかれた人間です。それは大セルビア主義や大ドイ…

インテリ

「物語の暴力」について。 不良僧の穴山に、泰淳とおぼしきインテリの柳は、「お前さんなんか『赤』にでもならなきゃ、世の中のことはサッパリわからんのだから、なりたけりゃ、おなりなさい」と言われる(武田泰淳、『快楽』)。世の中を知りたいインテリが…

訂正

以前書いた「神聖不可侵なもの」について、野口剛夫氏から自分の書いたものではない文が引用されているというご指摘を頂いたので、訂正しました。深くお詫びします。なぜそんなことになったのか。自分でもそうなった理由が分かりませんが、いずれにせよ、申…

書けることと書けないこと

一読し、著者に深い尊敬の念を抱きました。このようなことについては、書けることと書けないことがある。著者はその書けないことの限界まで書かれていると思います。ここに書かれているのは、いわゆる「共依存」には違いないのですが、その共依存から身をも…

講座「ドストエフスキーとベルクソン」の募集

23年度の講座「ドストエフスキーとベルクソン」の募集を開始します 拙著『ドストエフスキーのエレベーター――自尊心の病について』で、わたしはドストエフスキー論を、ベルクソンのいう「持続」とわたしのいう「自尊心の病」を軸にしながら述べています。 …

講座「ドストエフスキーを読む」

23年度の講座「ドストエフスキーを読む」の募集を開始します。 今年度はドストエフスキーの『白痴』を読んでゆきます。 授業は受講生との対話によって進行させたいと思います。 授業の内容について質問用紙を配布します。受講生は自宅でそれに書き込み、次…

国葬

このたびの統一教会騒ぎを見ていて思い出したのは、小澤征爾のことだった。昔読んだことなので記憶はあいまいだが、たしか、次のようなことだったと思う。小澤はヨーロッパで音楽修行をしていたとき、ある朝鮮半島出身の音楽家と友人になった。親切心からい…

統一教会

いつも行くプールのあるビルの下で元総理の安倍晋三氏が山上某によって射殺された。精神鑑定すべきは山上ではなく、統一教会から利益を得ていた国会議員だ。正気であれば誰でもそう思うはずだ。

タコツボ

昔、木下豊房とともに亀山郁夫のスタヴローギン論や『カラマーゾフの兄弟』の翻訳についてロシア文学会あてに亀山との公開討論を申し込んだ。しばらくすると、討論会をしましょうという返事がロシア文学会から来たのだが、直前になって、木下豊房から討論会…