自尊心などありません

 年を取ると、いろんなことを思い出すものだ。さっき、ふらふらと夕闇の中を散歩をしていると、変なことを思いだした。
 三十すぎのころだったか、「あなたには自尊心というものがないの!」と、突然、私と同じぐらいの年のロシア文学研究者に怒鳴られたことを思いだした。
 なぜそんなことを言われたのか。ふらふら歩きながら考えたが、いくら考えても思い出せない。と、いうことを思い出した。
 つまり、当時も、いくらその理由を考えても分からなかった、ということを思い出した。
 若い頃、私は自尊心が強く、まわりの者、と言っても、自分より目上の者にはいつも批判的だった。要するに、生意気だった。
 「お前は生きて行けなくなるだろうよ」と、あるとき、小島輝正に言われた。小島というのは、神戸大学の教師のフランス文学者で、私が入っていた同人誌の編集長をしていた。私は、「あほらし」という顔をしていたに違いない。小島は、こりゃだめだ、と、さじを投げたのに違いない。
 その私が「あなたには自尊心というものがないの!」と言われたのだ。それは私が離人症から癒え、世界を受け入れ、生意気でなくなった頃のことだろう。要するに、私は回心したのだ。
 私は思わず、「ええ、そんなものはないです」と答えようとしたが、我慢した。そんなことを言うと、火に油をそそぐことになるだろう。そう思ったのだ。
 それから何十年かがたったある日、その女性研究者のことが、ある新聞に載っていると人に教えてもらい、読んだ。他のロシア文学者の論文を盗んで訴えられたという記事だった。訴えた男も私の知り合いだった。くそまじめな男だった。私は好きだった。
 私はつくづく思った。ルネ・ジラールの模倣の欲望の理論というのは正しい。徹底的に正しい。自尊心の強いやつは、かならず人の物を盗むことになるのだ。私も離人症にならず、自尊心がぺちゃんこにならなかったら、その女性と同じようなことをしていたに違いない。だから、自尊心などない方がいいのだ。夕闇の中をふらふら歩きながら、そう思った。

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 と書いたが、その訴訟の結果はどうなったのか、知らない。その後、その女性は大学を定年まで勤め上げ、退官したので、訴訟が取り下げられたのか。それとも、その男の被害妄想だったのか。本当のところを知りたい、とも思わない。だから、上に書いたことは、夕暮れの散歩者の妄想だというくらいに思ってほしい。
 ただ、上で述べた事件の直後、訴訟には至らなかったが、同じ大学で、別の盗作事件があったことを、盗作された本人から聞くことがあった。その人も信頼できる人だったので、嘘をついているとは思えなかった。当時、模倣の欲望をかきたてるようなアノミー的な状況がロシア文学会にあったのだろうか。そのころ、私は不登校とか引きこもり当事者の会で忙しく、ロシア文学会には行っていなかった。だから、当時の学会の空気がよく分からなかったのだが。