拳々服膺
わたしは常々、左翼、中道、右翼という分け方に疑問を抱いていて、それをやめて別の言い方で人間を分けたほうがいいと思ってきた。なぜなら、左翼でも右翼でもアホな人はアホだし、そうでない人はそうではない。ここでアホとわたしが言うのは、同調圧力に弱…
わたしが下らないと思う作家は、前に述べたように、間違ったことを書き、その間違いを他人から指摘されても訂正も謝罪もしない、厚顔無恥そのものの作家だ。それは誰かと問われれば、わたしは即座に十人以上の作家や学者を挙げることができる。そのような作…
わたしはなぜものを書くのか。これはものを書きはじめた頃からいつも自分に向けてきた疑問だった。それが何であれ、小説であれ論文であれ、ものを書くときにはいつも自分に「自分はなぜこれを書いているのか」と問いかけてきた。わたしにとって書くとは、な…
きょう、BSから録画していた「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」というドキュメント映画を見た。大げさではなく、これほど深く感動した映画はない。ほとんど最初から最後まで泣き続けた。これに類似した感動を味わったことがあるだろうか。そう思って…
(承前) これから亀山郁夫の『謎とき『悪霊』』を批判してゆくのだが、本当のことを言うと、こういうことはやりたくない。なぜか。それは、たとえば江川のラスコーリニコフ=666説にせよ、亀山のマトリョーシャ=マゾヒスト説にせよ、それを批判するのは…
これまで述べてきたように、死産児の内面と現在の日本の状況は重なる。それは当然そうなるはずであり、日本人の多数派が死産児ということになれば、その死産児たちが生きている日本の社会は彼らの内面を反映したものになるからだ。この点についてあと少し述…
前回、ドストエフスキーのいう「偶然の家族」について少し述べた。この偶然の家族は、日本の死産児について論じるために無視することのできない現象なので、再び取り上げておこう。 ドストエフスキーはその後半生のほとんどを費やして、この偶然の家族に深く…
自尊心の病に憑かれた人には話しても無駄だ。そんな人は相手の言うことを分かろうとはしない。話せば話すほどその人を激昂させるだけだ。だから、私はそんな人には何も話さない。沈黙するか、さっさとその場を立ち去るだけだ。私のことを無愛想だという人が…
「われわれが他人から愛される値打ちがあると思うのは誤りであり、それを望むのは不正である。」(P477) このパスカルの言葉を常に心に刻みつけておくこと。シモーヌ・ヴェイユはこれでもまだ信仰が足りないと言ってパスカルを非難した。そして餓死した…
今では記憶して居る者が、私の外(ほか)には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃(にしみの:岐阜県南部)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。 女房は…
小林:「さっき、僕のおっ母さんは天理教だと言ったろ。それがね、晩年、病気になってから、お光さま(世界救世教のこと)に転向したんだ。それだから、僕もお光さまになった。」(中略) 小林:「お袋は医者も薬も軽んじていたが、晩年はもうお光さまのおさ…
シモーヌ・ヴェイユを読み続ける。 「それでも彼女は、人々の注意が、自分の思想よりもむしろ、自分という人間に向けられるのを残念に思わずにおれなかったようである。・・・自分の知性をほめ上げたりするのは、「彼女は真実を語っているのか、そうでないの…