試合筋

 きのう寝ようと布団に入ってNHKの「リオ五輪の星 素顔に迫る! グッと!スポーツ」を見ていたら、体操の加藤凌平選手が出てきた。子供のときから人前であがったことがない、ということだった。試合が近づいてきても、緊張で固くなったりしない。興奮してくるだけだと言っていた。だから本番で力が何倍も出るのだろう。すごいな、と思った。
 あと、「試合筋」の話をしていて、体操選手というのは試合の前に、体重を何キロか増やすらしい。そして、試合直前になると、仲間内でリハーサルの試合をして、本番にのぞむ。そうすると、試合筋によって、普段とは違う演技ができるということだった。
 ギターはどうだろうか?本番前に何キロか体重を増やして、ギター筋をつくったりして・・・メタボになるだけか。

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 試合筋の話の続き。
 ギター演奏の場合は体操と違って、「試合筋」というのはないが、舞台に出ると思わず緊張してしまって失敗するということがよくある。
 こういう場合、「緊張してはいけない」と思うのは逆効果で、ますます緊張してしまう。要するに、アルコール依存症の人が「酒を飲んではいけない」と思うと、ますます酒が飲みたくなるのと同じで、いまの現在の自分に欠けているもの(酒)を意識することによって、その欠けている部分を満たそうとしてしまうからだ。
 欠けているものはどうしようもないとあきらめることができず、それを埋めようとする、このとき、依存症の悪いサイクルに陥ってしまう。
 舞台であがるというのは、それと同じだ。あがってはいけないと思うと、ますます平常心を取り戻そうとして焦ってしまい、ますます緊張してしまう。あがったらあきらめることだ。これがあがりから回復する最良の方法なのである。
 昔、鈴木大介氏のNHKのラジオ番組でゲストの音楽家(サックスの人だったか?)が話されていたように、あがってしまったときは、「みんなあがるんだー」と開き直ることだ。そうすれば、あがりの悪循環から身をもぎ離すことができる。
 こういう事態はジラールのいう「模倣の欲望」の理論によって説明できる。その欲望にかられる人は、私のいう「自尊心の病」に憑かれている。
 模倣の欲望とは自分にないものを誰かが持っているとき、それを所有したいと思う欲望のことで、たとえば、誰かがアイスクリームを食べていると、自分もそれを食べたいと思うようなことだ。
 また、模倣の欲望とは、たとえば、ベッキーさんの道ならぬ恋を見て、自分もそういう恋をしたいと思う、しかし、さまざまな条件により(たとえば、自分はベッキーさんみたいに可愛くないとか、若くないとか、亭主持ちだとか・・・)、それは今のところ不可能なので、彼女をののしって憂さを晴らす、というようなことだ。また、天皇家の人々のようにいつも国民の注目の的になっている人を見て、自分もあんな風に注目されたいと思うが、それは不可能なので、天皇家の人たちは別の世界の人なのだとあきらめ、ますます憧憬の気持をつのらせる、というようなことだ。
 また、模倣の欲望とは、あるとき見た、舞台で緊張もせず、悠々とギターを弾いている福田進一さんのような人を記憶にとどめてしまい、自分もああなりたいと思って、いざ舞台に出ると、自分はその人と異なった存在(たとえば、下手くそであるとか・・・)なので、そうなろうとすればするほど焦ってしまって、ますますボロボロになるというようなことだ。
 だからまず、自分のこの模倣の欲望に気づくことからすべてを始めなければならない。そうすれば、下手は下手なりにちゃんと弾けるようになるのである。また、これが自分の「自尊心の病」から癒えるということなのである。
 と、書いたが、これがなかなかむつかしい。