離人症

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」という言葉があるが、私にとって「初心」とは、離人症(私の場合は離人神経症)から回復したときの感覚だ。離人症に30歳すぎになった。自尊心の病の果てになった病だった。その数年後に見た離人症から回復したときの風景については何…

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朝日新聞というのは自尊心が人一倍強い人が書いているらしく、読むと心がささくれることが多い。しかし、何年かに一度は、そのささくれを収めてくれるような文章が載る。先日読んだドリアン助川氏のものもそういう文章だった。最近起きたALS患者嘱託殺人事件…

吾輩は猫である

本日の「吾輩は猫である」。 「第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職のように心得ている。全く陽性の気狂(きちがい)に相違ない。第四はと……金田の妻君。あの毒悪な根性は全く常識をはずれている。純然たる気じるしに極(きま)ってる。第五は金田君…

「サウルの息子」

きのう四条の「京都シネマ」で、ネメシュ・ラースローの「サウルの息子」というハンガリーの映画を見た。 平凡な感想かもしれないが、私たちが生命(いのち)に出会うためには、どれほど生命ではないものをおびただしく経験しなければならないのかということ…

「謎とき」シリーズがダメな理由(6)

「ラスコーリニコフ=666」説が無意味である理由 芸術作品を受容するときに私たちが取るべき態度は、森有正の次の言葉に尽きている。 どこでだったか、今ではすっかり忘れてしまったが、どこかフランス以外のところで、あるいはイタリアだったかもしれな…

「謎とき」シリーズがダメな理由(5)

和洋折衷のコミックバンド すでに述べたように、小林秀雄のいう「「アキレタ・ボーイズ」という和洋折衷のコミックバンド」のひとつである江川・亀山コンビが読売文学賞を受賞した。これはそのコミックバンドが社会的に認められたということを意味する。誰が…

「謎とき」シリーズがダメな理由(4)

ソシュールが右翼? 今から考えると、離人症から私が癒えはじめたとき、つまり「[file:yumetiyo:森有正、そして小説について.pdf]」で述べたような出来事が私に生じたとき、私は「自尊心の病」から癒えはじめたのだと思う。言い換えると、60年安保で逮捕さ…

「謎とき」シリーズがダメな理由(3)

離人症患者なのに この連載の第一回で「森はソシュール言語学の正しさを一生を棒に振って証明しただけだ」と述べた。ソシュールの言語学によれば、というか、死産児ではなく、常識が損なわれていないとすれば誰でも分かることだが、われわれが言語の壁を越え…

「謎とき」シリーズがダメな理由(1)

はじめに 鬼束ちひろの「月光」という歌は、こんな風に始まる。 I am GOD'S CHILD(私は神の子供) この腐敗した世界に堕とされた How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろと言うの?) こんなもののために生まれたんじゃない (『や…

「日本教」の消滅(承前) 

これまで述べてきたように、死産児の内面と現在の日本の状況は重なる。それは当然そうなるはずであり、日本人の多数派が死産児ということになれば、その死産児たちが生きている日本の社会は彼らの内面を反映したものになるからだ。この点についてあと少し述…

ドストエフスキーと私

昨日、30分だけだったが、神戸外大ロシア学科の同窓会(楠露会)で話をさせて頂いた。以下はその原稿。 - ドストエフスキーと私 きょうは会のために何か話をしてほしいと山田さんから御依頼を受けましたので、私がなぜドストエフスキー研究者になったのか…

『ドストエフスキー 父殺しの文学』批判(10)

外国人にイソップ言語は分からない すでに述べたように(「亀山郁夫とイソップ言語」)、スターリン体制下の「二枚舌(ないしは面従腹背)(двурушничество)」(亀山郁夫、『磔のロシア──スターリンと芸術家たち』、p.59)と、帝政ロシアで使われた「イソッ…

『ドストエフスキー 父殺しの文学』批判(8)

亀山はなぜジラール理論を使ったのか さて、これまでの批判によって最初の約束を果たすことができたと思う。この批判の第一回目で私は次のように述べた。 先に引用した亀山の序文に明らかなように、亀山はこれからフロイトの「父殺し」の理論、つまり、エデ…

ドストエフスキー占い 

ドストエスキーやバッハは神が創造したものを「保存」しただけだ(ドストエフスキーの「創造」)というようなことを書くと、「萩原もとうとう神がかりになったか」と呆れる人が出てくるかもしれないので、ちょっとひとこと。 バッハが神の創造したものを「保…