死産児

このブログを始めた理由

なぜこのブログを始めたのか。その理由についてはすでに2013年10月2日の記事で説明している。しかし、今では他の記事に埋もれて読みにくくなっているので、それを複写し、ブログの最初の部分に掲げておこう。最近は日記帳や忘備録みたいになっているこのブロ…

『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』

本屋で鹿島茂の『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』(朝日新聞出版、2016)を拾い読みし、次々と変なことが書いてあるので、びっくりし、思わず買ってしまった。 その変なことのなかでもいちばん変なのは、鹿島が、小林の「美しい『花』があ…

文は人なり

或るとき、と言っても、わたしがずいぶん若い頃だが、トルストイやドストエフスキーの翻訳をしていた工藤精一郎氏から「これを読め」と言って、一冊のソ連の文学雑誌(『文学の諸問題』だったか?)を渡された。そこにはショーロホフが盗作作家だということ…

野いちご

ベルイマンの映画『野いちご』で、主人公の老教授イサクは或る詩を口ずさみはじめるが、途中で詩の文句を忘れる。すると、彼を囲んでいた行きずりの若者たちがその詩を続ける。その詩は或る人のブログ(https://yojiseki.exblog.jp/11966306/)によれば、こ…

武田泰淳と古井由吉

武田が古井に「(演歌を)自分で歌いますか」と訊くと、古井が「歌います」と答える。すると、武田が「うん、それは話しやすい」という(『生きることの地獄と極楽――武田泰淳対話集)』(勁草書房、1977、p.96)。ドストエフスキーだって、日本人だったら演…

赤木ファイルの公開

アイヒマンはどこにもいる。あなたもわたしもアイヒマンである。ひとりのアイヒマンを首縊りの木に吊しても、二人のアイヒマンをこの世界から追放しても、三人のアイヒマンに罵声を浴びせても、あなたやわたしがアイヒマンでなくなるわけではない。もうすぐ…

赤木俊夫の死

2年前、近畿財務局職員の赤木俊夫氏(54)が自ら命を絶った。彼が残したファイルを財務省は公開しようとしない。 赤木氏は財務省、いや、日本の至るところにいる「アイヒマン」の一人になることを拒否し、自死を選んだのである。 世界中に「アイヒマン」…

(続々)亀山郁夫の「100分de名著」

正月に、たまりすぎたテレビの録画を消去していて、偶然、亀山の「100分de名著」の最終回(第四回)を見てしまった、ということについてはすでに述べた。見なければよかったのだが、見て、不愉快になり、ついブログに不愉快になった理由を書いてしまった。と…

亀山郁夫の「100分 de 名著」

NHKで放送されている「100分 de 名著」はいつも録画していて、あとで見るようにしているのだが、見るのをサボっている。というのも、見ても、がっかりすることが多いので、しだいに録画するだけになったのである。そして、結局は見ないまま消去することのほ…

非政治的人間

佐高:(略)私は今回、公明党を「裏切り常習犯」と口をきわめて批判しました。しかし、創価学会には大衆のエネルギーが充満していて、それはもちろんファシズムに向かうかもしれないけど、逆の方向にいく可能性もあるわけですよね。 辺見:ああ、それじゃ佐…

魯迅

辺見庸:先ほどの中国の話にしても、戦争になれば負けるから話の糸口を見つけろと言っているわけではないのです。ぼくは徹底的な反戦主義者ですが、その立場から言っているのでもない。人間として根本のところでまず相手に、人間というものに興味を持てない…

石原慎太郎

豊洲問題で石原慎太郎に対する怒りがテレビを始めとするメディアで炸裂しているようだが、これは石原が自分でまいた種(タネ)だから、しかたがない。種というのは豊洲問題のことではなく、それ以前の石原の暴言だ。 わたしなどいちばん記憶に残っているのは…

内村剛介

わたしは内村剛介の書いたものをわりあいよく読んできたほうだと思う。ソ連の収容所などに関して、知らないことをいろいろと教えてもらった。これは感謝している。 しかし、あるときから、内村剛介は詐欺師と言ってもいい人ではないのか、と疑うようになった…

いじめ

私は専門のドストエフスキー研究についやした時間よりも不登校とか引きこもりの子供たちや大人たちと付き合った時間の方が長いと思う。そんなことをし始めたのは、私の娘がいじめで不登校になったのがきっかけだが、最初はおそるおそる、そのうち本気で彼ら…

笑い声 

私が大学を定年で退職したある年の3月31日の午後5時過ぎのこと。研究室の整理も終え、やれやれと思いながら、自転車をゆっくりこいで帰ろうとしていたときのこと。 あと10メートルぐらいで校門というところで、自転車の前を横切ろうとした人を避けよう…

文脈

ある男が詐欺にあった好きな女に「お前はバカだなー」と言うとすれば、この「バカ」というのが「記憶力や理解力が世間一般の人に比べてひどく劣っているととらえられること」(『新明解国語辞典』)という辞書的な意味でないことは明らかだ。しかし、では、…

文系不要論

文部科学省が国立大学に、ビジネスに役立たない文系学部は不要だという通知を出したということだ。けっこうなことだ。ついでに、ビジネスに役立たない理系学部も廃止してほしい。理系でもビジネスと無関係の学部はたくさんあるだろう。 こういう実学志向は昔…

モッブ

昔、中野孝次と柄谷行人がある文芸雑誌で対談し、大喧嘩になったことがあった。と言うより、この二人は文字通り水と油なので、大喧嘩になるのが分かっているのに、編集者が面白がって対談をさせたという風に私には思われた。 私はこの二人が好きではなかった…

くたばれ、フロイト、ラカン!

昨夜、テレビをつけると、偶然、『沖縄 うりずんの雨』を撮ったジャン・ユンカーマン監督が沖縄のことを話していた(BS-TBS「週刊報道LIFE」:2015/5/10/pm.21:00-22:00)。要するに、現在、沖縄といわゆる「本土」の関係が悪化しているのは、「本土」の人間…

「一度生まれ」の詩人?

ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相(上)(下)』(枡田啓三郎訳、岩波文庫、1969-1970)というのは、宗教的回心を心理学者の立場から論じた本で、私はこれを学生の頃からくり返し読んできた。で、原書はいつ出版されたのかと思い返してみると、す…

団塊の世代と戦争後遺症

私はこれまで何回か、面と向かって、 「どうして団塊の世代の人にはバカが多いんでしょうね?」 という意味の言葉を投げかけられたことがある。そう言うのは、きまって、私より一回りぐらい若い世代の男性だ。きっと団塊の世代にひどい目にあったのだろう。…

中沢新一と亀山郁夫(3)

これまで見てきたように、中沢新一や亀山郁夫にモラルがないことは明らかだろう。彼らは『地下室の手記』の主人公と同様、自分の欲望を満たすためなら、どんなことでもするだろう。 なぜ彼らはそのような人間なのか。それは彼らに宗教がないからだ。ここで私…

中沢新一と亀山郁夫(2)

「中沢新一と亀山郁夫(1)」で私は「中沢は自分が麻原の共犯者でないことを証明するため、正視できないほどの醜態をさらした」と書いた。それはたとえば、有田芳生が以前、自分のブログで書いていた次のような事態を指している。 地下鉄サリン事件が起きた…

中沢新一と亀山郁夫(1)

中沢新一と亀山郁夫はよく似ている。そう思ったのは、亀山郁夫の『『悪霊』神になりたかった男』(みすず書房、2005)を読んだときだ。亀山のロシア革命を嘲弄した『熱狂とユーフォリア』を読んだとき、すでにそう思ったが、『『悪霊』神になりたかった男』…

優等生の愚かさ

すでに「非暴力を実現するために」で述べたことだが、私は小学校に入って、先生のいう「1+1=2」の意味が分からず、ひどく苦しんだ。また質問しても答えてくれる先生もいなかった。先生は呆然とするだけだった。このため、そういう先生に教えてもらう学…

酒鬼薔薇聖斗

朝日新聞の記事で今月号の『文藝春秋』にいわゆる酒鬼薔薇聖斗事件に関する神戸家裁の少年審判決定全文が掲載されているのを知り、その『文藝春秋』を読んだ。期待通り、そこには少年A(自称「酒鬼薔薇聖斗」)の成育歴がかなり詳しく記されていた。この成育…

勝ちたい心

以前、レヴィナス研究者の内田樹氏に、私も参加しているある研究会で話して頂いた。でも、その話の内容は全部忘れた。ただ、今も記憶しているのは、話がおわったあとの雑談で氏が言った、 「私は知り合いになるとまずいことになる人が分かる。だから、そうい…

何を読むか(4)

『人生、しょせん運不運』(古山高麗雄) このシリーズの初回で、「私は古山高麗雄の脱力した文章が好きだ」と述べたが、古山はいつもいつも脱力していたわけではない。やはり人間なので、腹の立つこともある。そういうときは、全身に力が入ったようだ。とく…

何を読むか(3)

『孤島』(J・グルニエ) 私には若い頃、よく理解できないのに、この本は自分にとって決定的な意味をもつと思うことがあった。なぜそんな風に思ったのか。私に未来を見通す超能力があったからか。ばかな。そう思った理由ははっきりしている。私は狂っていたの…

アイヒマン的なるもの

小林秀雄が『満州新聞』に一九三七年から一九四〇年に書いた文章が見つかったというので、その文章が掲載されている雑誌『すばる』(2015年2月号)を購入した。感想から先に言うと、これまで読んできた小林の文章と同じもので、新しい事実は何もなかった。そ…