佐藤泰志

 「書くことの重さ」という映画を見た(大阪、十三の第七芸術劇場:午前10時〜12時、稲塚秀孝監督の挨拶あり)。
 佐藤泰志は私より二歳下だが、私とほぼ同時代を生きた。佐藤より一歳下で同じ北海道出身の稲塚秀孝監督がこの映画を撮った。このドキュメントをまじえた映画作品は、佐藤の誕生から自死にいたる41年間をたどったものだ。
 私は佐藤の作品をほぼリアルタイムで読んできた。どこでだったか、たしか神戸大倉山の図書館で佐藤の作品が掲載された文芸雑誌を手に取り、はじめて読んだ。なんて下手くそな、と思うと同時に、ものや人に対する感じ方があまりにも自分に似ているのに少し驚いた。作品が雑誌に載ると必ず読むようになった。
 佐藤は、私がたぶんもうそろそろだめだろう、と思っていたとき、死んだ。佐藤は精神を病んでいた。これも私と同じだった。私も小説を書くことに行き詰まって精神を病んだ。いや、病んでいたからこそ、小説を書き始めたのだ。そしてそれが行くところまで行って、病が自分にも分かるものになっただけだ。今になって思えば、そのことが分かる。当時は、分からなかった。自分の病を周囲のせいにしていた。しかし、悪かったのは私なのだ。自らの自尊から抜け出せなかった自分自身なのだ。私の場合、病になることによって、その自尊がぺちゃんこになり、結局、そのためにドストエフスキーがわかるようになった。ドストエフスキーが分かるようになったのはおまけみたいなものだ。いちばん有り難かったのは自分が小説を書くという病から抜け出すことができたことだ。しかし、佐藤は抜け出すことができなかった。今の日本では、心に自尊という病を抱えていなければ小説など書けるものではない。私はドストエフスキーのように自尊という病そのものと格闘している日本の作家の作品を読んだことがない。漱石が少しやっているが、中途半端と言わざるを得ない。
 この映画を見るのは私にとって苦痛だった。行こうか行くまいかずいぶん迷った。それも朝の十時からだ。きょうの午後、公開講座もあった。体力的にもつか心配だったが、思い切って行った。十三は久しぶりだ。映画館の場所を探していると、映画館の近くに有馬屋という飲み屋があった。すっかり忘れていたが、これは昔、非常勤講師で走り回っていたときよく行った飲み屋だ。非常勤仲間の玄善充というフランス文学をやっている人物に連れて行かれ、彼とよく飲んだくれた店だ。おでんと酒がうまかった。朝で店は閉まっていたので飲まなかったが、病が治ったあと通った店なので、なんだか変な気がした。
 映画を見ると、昔の自分の姿をもう一度目の前に突き付けられたような気持ちになった。これは佐藤を見下げていうのではなく、彼は自尊の病に倒れ、私は幸運にも倒れなかったというだけのことだ。これは運にすぎない。雨に濡れたり濡れなかったりするというのとおなじようなことだ。
 映画のパンフレットには私にとって未読の、佐藤が高校生の頃書いた「市街戦のジャズメン」という小品が掲載されていた。ジャズと革命にあこがれていた高校生の心象風景がつづられている。ここにはのちの佐藤の水晶のような文体はない。しかし、その若々しい背伸びした文章は佐藤と私が生きた時代の空気を正確に掬い取っていた。
 この映画を見終わったあと、あるいは病気でなくても小説は書けるのかもしれないと思った。なぜ思ったのか。理由をつきつめるとまた書けなくなるので、つきつめるのは止めておこう。(2014/01/12、改稿)