私の小説

ドストエフスキーが分からなかった頃

わたしはドストエフスキーを分かりたいと思い、神戸の外国語大学に入ったのだが、いくらたってもドストエフスキーが分からなかった。しかし、三十過ぎに離人症になったあと、分かるようになった。この「十字路で」という文章はその三十過ぎの頃を書いた文章…

なぜ書くのか

わたしはなぜものを書くのか。これはものを書きはじめた頃からいつも自分に向けてきた疑問だった。それが何であれ、小説であれ論文であれ、ものを書くときにはいつも自分に「自分はなぜこれを書いているのか」と問いかけてきた。わたしにとって書くとは、な…

十字路で

何年かに一回ぐらい思い出す顔がある。と言っても、なつかしい顔ではない。昔、ある町の十字路で見かけた男の顔だ。十字路と言っても、車が行き交うような十字路ではない。坂の多いその町の、坂を登り切ったところにあった狭い十字路のことだ。車がようやく…

村を過ぎる

親父が死んだのは夕方だった。 こういう場合、私の田舎では普通、遺体を棺桶に入れ、病院からいったん自宅に戻す。そして、翌日、自宅あるいは葬儀場で通夜を行い、その翌日葬式という段取りになる。病院で夕方に亡くなると、その日通夜ができないので、葬儀…

ロシアのゴーゴリという作家に『鼻』という作品がある。うっかり客の鼻をそり落としてしまった床屋が、その鼻を捨てようとペテルブルグの町をウロウロする。最近読み返していないので、うろ覚えだが、鼻をチリ紙みたいなものに包んでそっと道に投げ捨てる。…