聞いてほしい 心の叫びを

 NHKスペシャル『聞いてほしい 心の叫びを 〜バス放火事件 被害者の34年〜』(初回放送=2014年2月28日(金)午後10時00分〜10時49分:語り=山根基世 朗読=余貴美子)。
 最近、再放送があったので見ました。見ていて、昔、不登校や引きこもりの会をやっていた頃のことを思い出して、思わず、大声でうめいてしまいました。同じ。まったく同じ・・・
 新宿バス放火事件の被害者。全身にやけどを負い、死ぬべきところを奇跡的に助かった被害者Aさんが、あまりやけどを負わなかったBさんに言う。
 「あなたは幸運だったわね。」と。
 Bさんはとても悲しく思う。Aさんには私のことは分からないと思う。
 AさんもBさんも、それまで回りの人から「大変だったわね。でも、よかったわね。」と言われてひどく傷ついてきたのだった。「いいことなどなにもないのに、どうしてよかったわね、などと言えるのだろう。」と。それなのに、AさんはBさんに「あなたは(私より)幸運だったわね。」という。Bさんを傷つけてしまったAさんは、被害者同士でもわかり合うのはむつかしいと思う。
 これは不登校や引きこもりの人たちの集まりでも繰り返されてきた悲劇だ。
 「あなたは私より運がいい。」「私はあなたより運が悪い。」という言葉によって繰り返される悲劇。不幸の程度を彼らは競い合う。このため、お互いがお互いの悲しみの中に閉じこもる。あなたには私の苦しみは分からない、と思い、互いが疎遠になり、相手を信頼できなくなる。
 そういう人たちもAさんも徹底的に間違っている。
 苦しみをもつ者同士の分かり合うのがむつかしいのではない。そこにはむつかしいことは何もない。相手の苦しみをそのまま受け入れ、聴くだけでいい。それができないので、つい自分の苦しみと相手の苦しみを比べてしまう。そして感情を波立たせる。
 苦しみや悲しみ、それに喜びなどの感情を比べることはできない。私たちは喜んだり苦しんだりしている人の感情を、ありのままに受けとめるだけでいい。それが共感するということだ。比べるのは共感ではない。
 でも、生徒に点数を付けるのを職業にしている教師は何でも比べようとする。またそんな風な教育を受けてきた人々(私たちの大多数)も、すべてを比べようとする。それは自分の自尊心の病に気づいていないからだ。気づいていないので、模倣の欲望に憑かれ、相手と自分を比べようとする。不幸においてさえも、自分と他人を比べようとする。より不幸な自分の方がより悲惨であり、だから、相手よりも多くいたわられるべき存在なのだ、と思う。ここにあるのは自尊(エゴイズム)だけだ。私たちの多くは、自分がそのような自尊に取り憑かれているという自分に気づかない。これが、私のいう自尊心の病に憑かれているということだ。
 ベルクソンはわたしたちの持続の中にある生を比較することはできないと言った。なぜなら、その生は質的なものにすぎないからだ。質的なものを比較することはできない。比較するためには、その質的なものの外に出て、その質を量的に、すなわち概念として捉えなければならない。しかし、その概念はその質的なものの影にすぎない。そんなものを比較しても、比較したことにはならない。この自明の真理を理解できない人が大半である、というのがベルクソンが百年前にもらした嘆きだった。