2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

プロットの穴と尻の穴 

ドストエフスキーの読者には自明の事柄だが、ドストエフスキーの作品のプロット(諸事実の因果関係)には、無数の「穴」が開いている。「穴」とはもちろん比喩的な言い方で、諸事実の因果関係がしかとは確定できないような事態を、私は「穴」と呼ぶ。この穴…

蜷川譲の疑問

『敗戦直後の祝祭日 回想の松尾隆』(蜷川譲、藤原書店、1998)については「ドストエフスキー研究者 松尾隆の評伝」で紹介した。その本の著者蜷川譲は長瀬隆に対して次のように述べている。このブログでは傍点を打てないので、蜷川による傍点部は太字にする…

映画の少女に恋をした? 

背後でカミさんの悲鳴が聞こえたので、何ごとかと振り向くと、あわてて新聞を隠した。が、観念して、それを私に差し出した。 またも朝日新聞(2010/5/20/夕刊)の詐欺師亀山への提灯記事(映画の少女に恋をした.jpg )。 朝日もずいぶんいいかげんな記事を書…

ドストエフスキー研究者 松尾隆の評伝

私が最近繰り返し読んでいる評伝について述べておこう。 ひとつは『パリに死す 評伝・椎名其二』(蜷川譲、藤原書店、1996)で、これは私が定年になると大学図書館に戻さなければならない本なので、最近未練がましく読み返している。買えばいいのだが、引っ…

ロシア語の語順 

ロシア語を知らない人には、亀山郁夫が『カラマーゾフの兄弟』の或る重要な一節を、「ロシア語は、基本的に語順は自由」と断言しながら論じていることに、なぜ木下豊房が怒り狂っているのか分からないだろう。しかし、それは怒り狂うのが当然なのであり、5…

「リアリティ」とは何か(2) 

すでに述べたように、拙論「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について」は補遺も合わせると9回連載した。といっても、各回ごとに内容が完結するように書いたので、「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について(5)」(ゴーゴリとワ…

國松竜次ギターリサイタル 

カミさんと「國松竜次ギターリサイタル2010──ORIGINAL & ARRANGEMENT」(午後2時ー4時半:学園前「アートサロン空」)。 【演奏曲目】 1)パガニーニの主題による狂詩曲(ラフマニノフ、國松竜次編曲) 2)3つのスペイン民謡(ファリャ、國松竜次編…

「リアリティ」とは何か(1) 

またもや同じ文章を引用する。5月3日のブログの冒頭で、私は次のように書いた。 『ステパンチコヴォ村とその住人』を書いていた頃、ドストエフスキーは自尊心の病というものに強い関心をもっていた。しかし、自分がその病に憑かれていることに気づいていた…

続・自尊心の病

昨日(5月3日)のブログ「自尊心の病」で、私は次のように書いた。 『ステパンチコヴォ村とその住人』を書いていた頃、ドストエフスキーは自尊心の病というものに強い関心をもっていた。しかし、自分がその病に憑かれていることに気づいていたか、というこ…

自尊心の病

「自尊心の病」というのは、私が授業や論文でドストエフスキーの思想を説明するときもう三十年近く使っている言葉で、とても重要な言葉だと思っている。「自尊心の病」とは何か。それは、自分の「自尊心」あるいは「肥大した自尊心」に気づかないということ…

追補・大岡昇平とドストエフスキー

福井勝也の「大岡昇平とドストエフスキー──『野火』を中心に」(『ドストエーフスキイ広場 No.19』)を読んでやりきれない気持になったことについては先のブログ(「大岡昇平とドストエフスキー」)で述べた。しかし、どうも言い足りないので、私の考えをもう…