私の論文

中也の「皺」の理論について

ベルクソンと中也の関係について授業でときどき話をしますが、その話の下敷きになっている拙稿「中也の「皺」の理論について」を読みたいと言われる受講生がおられましたので、pdfファイルにして掲載します。クリックして下さい。拡大すると、少しは読みやす…

なぜ書くのか

わたしはなぜものを書くのか。これはものを書きはじめた頃からいつも自分に向けてきた疑問だった。それが何であれ、小説であれ論文であれ、ものを書くときにはいつも自分に「自分はなぜこれを書いているのか」と問いかけてきた。わたしにとって書くとは、な…

続・「謎とき」シリーズがダメな理由(1)

はじめに 前回掲げた学生用配布資料「スタヴローギンと「広い心」」はあくまで私の講義ノートの一部であり、じっさいの講義ではそのノートに対して口頭で補足を行いながら講義をすすめる。前回掲げた配付資料に欠けているのは、なぜスタヴローギンが善悪の区…

「謎とき」シリーズがダメな理由(3)

離人症患者なのに この連載の第一回で「森はソシュール言語学の正しさを一生を棒に振って証明しただけだ」と述べた。ソシュールの言語学によれば、というか、死産児ではなく、常識が損なわれていないとすれば誰でも分かることだが、われわれが言語の壁を越え…

「リアリティ」とは何か(1) 

またもや同じ文章を引用する。5月3日のブログの冒頭で、私は次のように書いた。 『ステパンチコヴォ村とその住人』を書いていた頃、ドストエフスキーは自尊心の病というものに強い関心をもっていた。しかし、自分がその病に憑かれていることに気づいていた…

自尊心の病

「自尊心の病」というのは、私が授業や論文でドストエフスキーの思想を説明するときもう三十年近く使っている言葉で、とても重要な言葉だと思っている。「自尊心の病」とは何か。それは、自分の「自尊心」あるいは「肥大した自尊心」に気づかないということ…

ドストエフスキー占い 

ドストエスキーやバッハは神が創造したものを「保存」しただけだ(ドストエフスキーの「創造」)というようなことを書くと、「萩原もとうとう神がかりになったか」と呆れる人が出てくるかもしれないので、ちょっとひとこと。 バッハが神の創造したものを「保…

「引きこもり」私感

きなりさんという方からコメントを頂いたけれど、きなりさんによって指摘された問題が私の力を超えていて、正確に応答することができなかった。自分以外の誰かを助けることができればいいのだが、それは私たちには不可能だ。これは人間にとって、自分のエゴ…

名前について

亀山は序文でも「アレクセイ・カラマーゾフ」と訳していたが、本文でもそう訳している。 アレクセイ・カラマーゾフは、この郡の地主フョードル・カラマーゾフの三男として生まれた。父親のフョードルは、今からちょうど十三年前に悲劇的な謎の死をとげ、当時…

亀山郁夫の暴力

私が十年ほど前から何とかのひとつ覚えみたいに唱え続けている「物語の暴力」というのは、ある現実を観察し作り上げた物語(あるいは理論)を、ふたたびその現実に適用するとき発生する暴力のことだ。 簡単に言うと、「物語の暴力」とは、実態をあまり知らな…

不正

「われわれが他人から愛される値打ちがあると思うのは誤りであり、それを望むのは不正である。」(P477) このパスカルの言葉を常に心に刻みつけておくこと。シモーヌ・ヴェイユはこれでもまだ信仰が足りないと言ってパスカルを非難した。そして餓死した…

みすず書房へのメール

次に私が2008年2月初めにみすず書房に送ったメールを一部省略して載せる。今読めば、ここで私が自分をキリスト教徒ではないと述べているのは不正確。私はシモーヌ・ヴェイユがキリスト教徒にならなかったのと同じ意味でキリスト教徒ではないということだ。な…