2014-01-01から1年間の記事一覧

ピナ・バウシュ

きょう、BSから録画していた「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」というドキュメント映画を見た。大げさではなく、これほど深く感動した映画はない。ほとんど最初から最後まで泣き続けた。これに類似した感動を味わったことがあるだろうか。そう思って…

○○を売るのが商売

インターネット上(http://hon.bunshun.jp/articles/-/2488)に「公開対談 綿矢りさ×道尾秀介 小説家は幸福な職業か?」(第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL:別册文藝春秋 2014年5月号より)という対談が掲載されていた。二人とも読んだことのない若い小説…

最後の忠臣蔵

インフルエンザに罹ってしまった。身体中が痛くて何をする気にもならないので、BSから録画しておいた映画を見ながら病が過ぎるのを待っている。私はあまりアメリカ映画が好きではなく、好んでみるのは英国、イタリア、フランスのものが多い。日本映画もいい…

献血の列

阪神・淡路大震災が起きて二・三日たったころ、梅田から阪急の西宮北口まで電車が通じたという話を聞いて、阪急の六甲まで行った。かみさんの高齢の母親が阪急六甲駅近くのマンションというかアパートというか、その中間ぐらいの住宅にひとりで住んでいたか…

読書心得

自分の自尊心に気づいていない人は、いつも相手の一枚上を行こうとする。と言うより、誰かの一枚上を行くチャンスを常にうかがっている。 誰かが失策を犯す。すると、ここぞとばかりに批判する。まるで「自分ならそんなことはしない」と言いたげに批判する。…

聞いてほしい 心の叫びを

NHKスペシャル『聞いてほしい 心の叫びを 〜バス放火事件 被害者の34年〜』(初回放送=2014年2月28日(金)午後10時00分〜10時49分:語り=山根基世 朗読=余貴美子)。 最近、再放送があったので見ました。見ていて、昔、不登校や引きこもりの会をやってい…

リルケ

(略)ある農婦の夫は大酒のみで、彼女を虐待し、息子のほうはろくでなしだった。この農婦が自分の運命を語ったときは感動したよ、とリルケは思い返すように言った。こうした苦しみを背負いながらも、彼女は愛情に満ちて、悲しみにやつれてはいなかった。彼…

白蓮

人間は自分のエゴイズム(私利私欲)を超えてふるまうことはできない。できる人は、人から阿呆あるいは聖人と呼ばれる。この意味で、白蓮は阿呆でも聖女でもなかった。彼女は徹底的にエゴイズムを貫いた、普通の、あまりにも普通すぎる人間である。この普通…

出でよ、阿呆

ヴェイユが言うように、この人物は「真実を語っているのか、そうでないのか」ということだけが重要だ。それ以外のことはほんとうにどうでもいいことだ。しかし、真実を語るためには、自分の生きている世界の共通感覚(常識)が分からなければいけないととも…

分かりやすく話す

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0531.html 「学ぶことの意味を探して〜神田一橋 通信制中学の歳月〜」 昨日放送されたこの番組は予告編を見ただけで、本編を見損ねた。再放送を見よう。 でも、これまで放送された、これと同種類の番組を見ると、いつ…

死の受容

私は昔、キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』における「死の受容」の各段階を不登校児およびその伴走者である親の心理に当てはめて述べたことがあります。その大要は大阪のある不登校児をもつ親の会の会報に「お父さんのための不登校講座」というふざけた名前…

ヒットラーの手法

「内部の、そして外部の敵を探せ、そうすれば、われわれは団結できる!」 このヒットラーの手法こそ、ドストエフスキーが『悪霊』で描いたピョートルの手法である。 オウム真理教はこのやり方を反復した。尼崎の大量殺人鬼・角田美代子もこのやり方を反復し…

小止みなく

学生にレポートを書かせると、「・・・にも関わらず」と書いてくるので、これは間違いで「・・・にも拘わらず」と書かなければいけない、と、もう四十年ぐらい注意してきた。でも、最近ではNHKの字幕に「・・・にも関わらず」と出るようになった。教師も平気…

断罪

韓国で修学旅行生を乗せたフェリーが沈没し、多数の人命が失われた。今現在、韓国ではマスコミやそのマスコミにあおられた人々が、その事故の犯人捜しにやっきになっている。修学旅行生より先に逃げ出した船長がわるいとか、そういう沈没するようなフェリー…

正義感、じつは自尊心の病

以下のHPからの引用にあるように、正義感が原因でいわゆる「引きこもり」になる人は多い。毎日少しずつ不満をためこんでゆき、あるとき、職場や学校に行けなくなる。身体が動かなくなる。職場や学校の環境が良くないことは明らかなのだが、その良くない環境…

もはやそれ以上

もはやそれ以上(黒田三郎) もはやそれ以上何を失おうと 僕には失うものとてはなかったのだ 河に舞いおちた一枚の木の葉のように 流れてゆくばかりであった かつて僕は死の海をゆく船上で ぼんやり空を眺めていたことがある 熱帯の島で狂死した友人の枕辺に…

ドストエフスキーと似非科学(2)

人間の生は一回性しかもたない。従って、フロイトのように、人間の生、とくに心をあたかも機械のようにあつかうのが間違いであることは明らかだ。それはそうなのだが、フロイト理論がすべて間違いかと言えば、そうとも言えないところがある。たとえば、私た…

ドストエフスキーと似非科学(1)

すでに述べたことだが、いまだに似非科学を用いてドストエフスキーの作品を論じる人があとをたたないので、今一度述べておこう。 科学と似非(えせ)科学は、再現性があるかないかで区別がつく。たとえば、最近話題になっているSTAP現象やSTAP現象で生成され…

利益相反

最近よくマスコミなどで使われるようになった「利益相反」とは、中立の立場を守らなくてはならない者が、その中立性に違反して振る舞うということだ。簡単に言うと、「利益相反行為」とは「えこひいき」するということだ。つまり、中立的にふるまわなくては…

「ドストエフスキーを読む」開講のお知らせ

http://www.osakafu-u.ac.jp/extension/evt20140426.html

十字路で

何年かに一回ぐらい思い出す顔がある。と言っても、なつかしい顔ではない。昔、ある町の十字路で見かけた男の顔だ。十字路と言っても、車が行き交うような十字路ではない。坂の多いその町の、坂を登り切ったところにあった狭い十字路のことだ。車がようやく…

『沖縄ノート』3

小説などのフィクションを除いて、私がある文章の価値を判断する基準は、それがどれほど私のいう「物語の暴力」を含むか否かということだ。たとえば、このブログの「続・自尊心の病」で述べたように、自らの自尊心の病に気づいていない者は、自分がさまざま…

新聞

私が新聞に載ったのは後にも先にも一回きりだ。 それは中学生の頃、たしか当時の郵政省のきもいりで「郵便友の会」というのが出来、なぜか私がその会の会長になったときのことだ。 会長といっても、会員はたしか四人だけだ。いや、もっといたかもしれないが…

『沖縄ノート』2

次に引用するのは、左翼のあいだで悪名の高い藤岡信勝氏の発言だが、私はほとんど違和感を覚えなかった。ここから浮かび上がってくるのは大江健三郎氏の小説家としての想像力がその『沖縄ノート』を書かせたという事実だけだ。大江氏は一種の小説として『沖…

『沖縄ノート』1

私が学生の頃読んだ大江健三郎の『沖縄ノート』(岩波新書)。当時は大江の記述をそのまま信じ、軍部というのはひどいことをするものだと思っていた。 ところが、後年、当時の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕氏と渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次の弟である赤松秀…

佐藤泰志

「書くことの重さ」という映画を見た(大阪、十三の第七芸術劇場:午前10時〜12時、稲塚秀孝監督の挨拶あり)。 佐藤泰志は私より二歳下だが、私とほぼ同時代を生きた。佐藤より一歳下で同じ北海道出身の稲塚秀孝監督がこの映画を撮った。このドキュメン…