このブログを始めた理由

 なぜこのブログを始めたのか。その理由についてはすでに2013年10月2日の記事で説明している。しかし、今では他の記事に埋もれて読みにくくなっているので、それを複写し、ブログの最初の部分に掲げておこう。最近は日記帳や忘備録みたいになっているこのブログだが、最初は目的があって書いていたのだ。

匿名について


 私がこんな風にブログを書き始めることになったのは、ドストエフスキーについて意見を交換している、ある掲示板を読んだからだ。それまで私はインターネットの掲示板というものにあまり関心がなかった。インターネットを使うのは、メールを書いたり、研究のための資料調べをするためだった。
 しかし、あるとき、ドストエフスキー研究者の木下豊房から、そのドストエフスキー掲示板で亀山郁夫ドストエフスキーをめぐる仕事に関して信じがたいことが書かれているというメールをもらった。そこでその掲示板を読んでみると、たしかにそこでは亀山の『カラマーゾフの兄弟』の翻訳やドストエフスキー論を激賞する投稿が並んでいた。しかし、私は、亀山の本を出している出版関係者か亀山と利害を一にする人々の投稿だろうと思って、うち捨てておいた。
 ところが、あるとき、亀山批判を展開している木下豊房のハングル名は「朴」だろうという投稿があった。木と下をくっつけると、朴になる。つまり、木下というのは通名で、本名は朴だという投稿なのである。要するに、木下は在日なのだから亀山を批判するようなバカなのだ、という風な論理をその投稿者は展開していた。私は驚き、すぐさま実名でその掲示板に投稿し、その投稿者に質問をした。木下が在日であるというのは事実なのか。また、それが事実であるとしても、それと木下の亀山批判が間違っているという貴女の主張とどのような関係があるのか、と。
 すると、その掲示板の管理者があわてて、その「木下=朴」説を唱えた投稿を削除した。その女性も投稿しなくなった。いや、それが女性であったのかどうかさえ分からない。その女性言葉を使う投稿者は匿名であったからだ。
 私は一件落着と思い、その掲示板でしばらく亀山批判を展開したのち退場しようと思った。ところが、ある投稿者が私に、実名で投稿するのは困る、匿名で投稿してほしい、と提案した。他の投稿者たちも全員賛成のようであった。なぜなら、私以外は全員、匿名での投稿であったからだ。私はその提案を断った。仮面舞踏会みたいなことは私にはできない、それは無責任だ、と言った。すると、その掲示板の管理者が、実名でも無責任なことを言う人はいる、と言った。これは話にならないと思ったが、とくに反論はせず、そのまま実名でその掲示板にしばらくのあいだ書き込み、そして退場した。
 これから以降、私は匿名掲示板というものに興味をもち、ときどき読むようになった。何に興味をもったのか。それは匿名で書く人々の心理に興味をもったのである。亀山のドストエフスキーをめぐる仕事に関しても、インターネット上で、匿名でさまざまなことが論じられていた。ホームページやブログでも同様だった。匿名記事の中には正確な亀山批判もあったが、大半が無責任な亀山賛美だった。その余りの無責任さにあきれ、私は実名で亀山を批判するため、このブログを始めたのだ。
 それは必ず実名でなければならなかった。実名で言ってはならないことは、匿名でも言ってはいけないのだ。だから、匿名で発言する理由は何もない。匿名でないと発言できないという人は、ふだん仮面をかぶって生きているのだ。その仮面の下には、「すべてが許されている」という、ドストエフスキーのいう「死産児」が隠されている。その「死産児」を明らかにしたくないため、彼らは匿名でしか発言できないのだ。
 こう言うのが言い過ぎであることを私は認識している。匿名で発言する人の中にも、実名で発言するときと変わらない人がいることも私は知っている。また、実名で発言することによって、自分や自分の周囲の者が不利益をこうむるため、匿名で発言している人がいることも知っている。彼らが死産児であるかどうかは私には分からない。
 しかし、私の見るところでは、匿名の発言者の大半はドストエフスキーのいう「死産児」なのである。彼らは自分のことは棚に上げて、他者をくそみそにやっつける。とくに、先の「木下=朴」説を唱えた投稿者のように、社会的弱者を徹底的に攻撃する。私はそのような匿名の発言者を認めることができない。それは、彼らの暴力を認めることになるからだ。
 ところで、最近、そのような暴力にあふれた匿名掲示板のひとつ「2ちゃんねる」に書き込んでいる者の実名がインターネット上に流出し、大騒ぎになった。政治家、マスコミ関係者、出版社関係者、大学の研究者などの名前も流出したという。私はひどい発言をした者の名前とその発言内容をすべて公表してほしいと思う。これによって、ドストエフスキーのいう「死産児」がどれほど現在の日本にあふれているのかということが明らかになるだろう。また、彼らに反省を迫ることも可能になるだろう。
(その流出騒動について述べているブログがこちら。残念なことに、このブログもまた匿名の人物によって書かれている。)

初心忘るべからず

 「初心忘るべからず」という言葉があるが、私にとって「初心」とは、離人症(私の場合は離人神経症)から回復したときの感覚だ。離人症に30歳すぎになった。自尊心の病の果てになった病だった。その数年後に見た離人症から回復したときの風景については何度も書いたことがある。その風景を見たときの感覚を一言で言えば、「生きている感覚を味わうだけで十分である」ということだ。離人症のときは、生きている感覚を味わうことができず、自分の目の前で言い争ったり仲良くしたりしている人を見ても、動物園のお猿を見ているような感じしか受けなかった。それが、離人症が治ったとき、同じ人間の振るまいとして感じるようになったのだ。また、それまで疎遠であった景色も、実感をともなって感じることができるようになった。要するに、私はゼロから無限大の存在になったのだ。ゼロから見ると、限りなくゼロに近い0,0000000...1でさえ無限大なのである。このほんの一歩が私にとっての「初心」だ。だから、嫉妬したり、言い争ったりしている人を見ると、ずいぶんぜいたくなことをしていると思ってしまう。そういう人を見ると、私は「初心」にかえって、もっと大事なことに自分の一歩を使いたいと思う。もっと大事なこととは人を愛するということだ。

フェミニズム、マルクス主義、土壌主義

 このブログの「吉本隆明の亀山郁夫批判」でも述べたように、ドストエフスキーの唱えた土壌主義というのは、貴族である自分を養い育ててくれた人々(農奴や労働者)に対する恩を忘れないということにすぎない。もっと理屈っぽい言葉で言うなら、そのような人々との「有機的」なつながりを認識して生きるということにすぎない。
 しかし、なぜ貴族たちはそのような恩あるいは有機的なつながりを忘れるのか。それは彼らが傲慢であるからだ。私の言葉で言えば、自尊心の病に憑かれているからだ。彼らは自分たちはたいしたものだと錯覚し、自分を養い育ててくれた人々をバカにする。私はこのような事態について、「『貧しき人々』と隠された欲望」(1989)で述べた。要するに、マルクス主義思想の核心とはそのような恩を忘れるな、ということに過ぎないのである。
 また、このマルクス主義に対して述べた私の考えはフェミニズムにも当てはまる。要するに、男どもよ、自分を養い育ててくれた、あるいは、自分を産んでくれた女をバカにするな、ということがフェミニズム思想の核心なのである。
 私たちはしばしば自分がひとりで育ってきたように思い、思い上がる。そして、自分が足台にし、踏みつけにして、のし上がってきた人々のことを忘れ、忘恩のふるまいをする。お前はそれほど偉いのか、というのが、ドストエフスキーの土壌主義にこめられた怒りなのである。
 したがって、彼の土壌主義はマルクス主義フェミニズムと対立する思想ではなく、マルクス主義フェミニズムを支える思想にすぎない。しかし、ドストエフスキーはそのマルクス主義フェミニズムが物語の暴力、すなわち、硬直したイデオロギーになるとき、激しく批判する。そのような彼の批判が『地下室の手記』を始めとする彼の小説の中で述べられている。

公開講座再開のお知らせ

大阪府立大学公開講座ドストエフスキーを読む」シリーズを私の病気(舌癌)の手術と治療ため中断していましたが、手術も無事終えました。そして、公開講座の受講生とのコミュニケーションには支障のない程度にはお喋りの能力も回復しましたので、今年度から公開講座を再開します。大阪府立大学のサイトで通知があると思いますので、それを見て、受講の申し込みをして下さい。今の予定では講座は今年の五月から二十回やります。今年度読むドストエフスキーのテキストは『カラマーゾフの兄弟』(原卓也訳、新潮文庫)です。

ドストエフスキーとニーチェ

 三島由紀夫をはじめ、ニーチェの思想に共感する人は多いけれど、学生だった昔から、私にはそういう人がよく分からなかった。学生の頃は何となくイヤだなあ、と、思っていただけだが、ドストエフスキーが分かるようになってからは、ニーチェの思想は回心前のドストエフスキーの思想なんだと思うようになった。ニーチェドストエフスキーを読んでからまもなく発狂したのだけれど、病気のためもあるだろうが、ドストエフスキーを読んだショックもあって、つまり、自分の思想が完全に間違っていたことが分かったショックもあって、発狂したのではないのかと私は疑っている。
 というようなことを、昔、コロンビア大学で行われたドストエフスキー学会で会った、ドゥートキンさんというドストエフスキーニーチェの関係について論文を書いたロシアの研究者と話をしようとしたのだけれど、毎晩、酒を浴びるように飲んで、しよーもない話をしただけだった。そのあと、彼は日本に来て私に会おうとしたらしいが、私はそのことをあとで知っただけだった。残念でした。
 ニーチェのことは公開講座でもときどき質問が出るので、何度か答えている。その一部を下に紹介しておこう。ここではロシア語で書いてあるので分からないかもしれないが、ドゥートキンさんの論文も批判的に参考にしている。

西尾幹二の訳したニーチェ『アンチクリスト』――これは名訳だが――で傍点が付されている文字は太字にしました。
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【質問】
 ニーチェの超人思想はまちがっていた、すでにドストエフスキーによって乗り越えられていたというのは、ニーチェの著作などに何か記述があるのでしょうか。
【回答】
 それはニーチェが発狂する直前に残した著書『アンチクリスト』(1888)です。ご質問についてはすでに昨年度の講義で回答しています。今年度初めて受講される方のために、その回答をコピーアンドペーストしておきます。その回答の注にある「解答と回答」というのは昨年度の「解答と回答」のことですのでお間違いのないようご注意願います。
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【質問】
 産業革命以降、神が死に、人々が競争し合う時代に入ったとのご指摘でしたが、ルネサンスからそれは始まっていたのではないでしょうか。
 その前提での質問ですが。
 以前、ロシアはルネサンスを経なかった、このためソ連は崩壊した、と、お話しされ、納得しました。中世からの解放によって近代的な個が確立され、集団主義に流されない個人主義が発達したことはプラスの側面です。その一方で、神が死に、隣人愛を失った個人が互いに競い合い、自尊心の病に冒され、地球規模で悲惨な状況が展開するに至っているのも事実です。
 神なき世界では、利己主義に陥らない個人主義は不可能なことだとお考えですか。それとも、神なき時代でも隣人愛は可能だとお考えですか。あるいは神の世の復権がわれわれの救いとなるとお考えでしょうか。
【回答】
 西欧に固有の個人主義(individualism)というのはもともとキリスト教から発生したものです。社会人類学者のデュモンはこう述べています。
 「インドのいかなる宗教も十分に成さなかったことで、キリスト教には本来的に備わっていたものがある。それは、キリストにおける、またキリストによる友愛であり、そこから生じる平等である。ただし、この平等はトレルチが強調するように「神の御前においてのみ存在する」ものなのだ。それは社会学的用語で言えば、人格的超克による個人の解放であり、大地にありながらも心を天上界に置く共同体における、世俗外個人の結合である。この表現はほぼそのままキリスト教を言い表しているといえるであろう。」1
 要するに、個人主義とは「大地にありながらも心を天上界に置く」キリスト者、つまり「世俗外個人」が身に帯びる価値観のことです。このような価値観は「世俗外個人の結合」である教会の権威(聖職者の権威)が維持されていた時代には、俗人をも支配していました。これが「神の生きていた世界」です。
 しかし、教会による人間の生への抑圧が過ぎたため、イタリアでルネサンス運動が起きます。これは13世紀末から15世紀末にかけてイタリアに起こり、その後、西欧全体に波及していった芸術や思想の革新運動のことです。このルネサンスの人間中心主義(ヒューマニズム)がそれまでの教会による神中心主義を凌駕しはじめるとともに、教会の腐敗が人びとの目にあまるものになり、教会は急速に権威を失い始めます。
 そして、1517年、ルターが宗教改革を行うのですが、このとき、それまで世俗外個人であった聖職者の権威も失墜し、聖職者と俗人とのあいだの壁が取り払われます。それと同時に、デュモンに依拠しながら作田啓一がいうように、「世俗外個人が世俗内個人へと移行してゆき、初めてイデオロギーとしての個人主義(individualisme)が成立」2します。
 このような西欧の個人主義はその後、人間の理性を重視する合理主義(=啓蒙主義)というかたちをとって、ニュートンなどによる科学革命(17世紀)へと発展します。そして、その科学革命によって実現された科学技術による産業革命(18世紀半ばからイギリスで始まる)によって、教会の唱えるキリスト教の非科学性が俗人にも明らかになってゆきます。こうして、教会と聖職者の権威がおおきく失墜するのと反比例するかたちで、個人主義が「「神のもの」である精神的存在としての個人」3のものではなくなり、神のものではない、したがって、もはや個人とは呼べない「個体」の「個人主義」へと変容してゆくのです4。
 以上から、西欧の個人主義には二種類あるということが分かると思います。ひとつは、神とともにある世俗外あるいは世俗内個人であり、もうひとつは近代産業社会に見られるような、個体の、もはや個人主義とも言えない、無神論的な個人主義です。この二つの個人主義の違いについては、あとでもう少し詳しく述べます。
 ここでロシアの社会と個人主義の関係について簡単に述べてみますと、いわゆる「タタールのくびき」(ロシアがモンゴル帝国によって約250年間支配されたこと:1236-1480)のため、ロシアにルネサンスの波は及びませんでした。このため、ルネサンスの人間中心主義も特権階級であった知識人の一部にだけ伝わり、文盲が大半を占めるロシアの民衆に伝わることはなかったのです。また、このため、個人主義はロシア社会には浸透せず、現在も、個人が尊重されない集団主義がロシア民族の特徴になっています。
 これはルネサンスの影響を受けなかった日本も同じです。ロシアとは違うかたちですが、思想の左右を問わず、日本でも集団主義は根強い。日本的集団主義土居健郎のいう「甘え」、丸山真男のいう「タコツボ」、森有正のいう「二項関係」などと呼ばれるものとして残っています。
 ところで、授業でも述べましたように、そのような個人を軽視するロシア民族の特徴が、ソ連を根底から腐敗させ、崩壊に導いたのです。
 つまり、ドストエフスキーがその『カラマーゾフの兄弟』の大審問官伝説で予言したように、ソ連という国家を支えていたマルクス主義とは、結局、それまで貴族や資本家に専有されていた富を国民に平等に再配分するための全体主義のことです。その全体主義に抵抗する個人主義というものがソ連には存在し得なかったので、その全体主義に同調していったのです。
 もっとも、ソ連国民には、そのマルクス主義というイデオロギーを批判することは許されなかった。批判すれば、国家を支えているイデオロギーが根底から揺らぐからです。しかし、仮にロシア人に個人の自由と尊厳を重んじるルネサンス風の精神が浸透していたとすれば、そのマルクス主義イデオロギーの、個人の自由を制限する全体主義は激しい抵抗に遭っていたでしょう。そして、ロシア革命が起きたとしても、ロシアは帝政時代よりも個人の自由を重んじる体制になっていたでしょう。しかし、そうはならず、マルクス主義という全体主義をロシア民族の集団主義が支えることになり、何千万という人々が粛正などによって殺されてゆきました。また、そのソ連マルクス主義がモデルとなって世界に(それも、そろいもそろってルネサンスを経ていない後進国に!)広がり、一億人以上の犠牲者を生み、今も北朝鮮などで犠牲者を生み続けています。
 このようなソ連の歴史が示しているのは、マルクス主義では、富を平等に再配分するという「正義」のためなら、すべてが――殺人さえも許されているということです。そこには倫理はありません。あるのはマルクス主義の理論だけです。富の平等な再配分ということがマルクス主義の倫理と言えば言えるのですが、その倫理さえも守られず、ソ連ではジョージ・オーウェルが『動物農場』で描いたような権力者による専制政治が反復され、富が権力者とその周辺にいる人びとに独占されていました。このような、人がそこで生きることが不可能な倫理なき国家が国民に支持されず、崩壊してゆくのは当然でした。ソ連は、敵国によってではなく、国家の内なる敵、つまり、模倣の欲望にかられた、倫理なき人々によって崩壊していったのです。

 さてご質問に戻りますと、ご質問は次の三点です。
① 神なき世界で利己主義に陥らない個人主義は不可能か。
② 神なき時代で隣人愛は可能か。
③ 神の復権がわれわれの救いとなるか。
順に答えてゆきます。
① 神なき世界で利己主義に陥らない個人主義は不可能か。
 不可能です。神なき世界では、個人主義(individualism)そのものが成立しません。なぜなら、先に述べたように、神なき世界に存在するのは、個人ではなく個体にすぎないからです。そして、個体がもつことができるのは、個人がもつ利己主義(egoism)ではなく、自己中心主義(egotism)だけです。ジラールによれば、自尊心(orgueil)とは「伝統的な利己(エゴ)主義(イズム)(l’egoisme, au sens traditionnel du terme)ではなく「自己(エゴ)中心性(ティスム)」のことです5。つまり、個人の自尊心、つまり、利己主義(egoism)による模倣の欲望は神によって抑制されますが、個体の自尊心、つまり、神のない個体の自己中心主義(egotism)の模倣の欲望を抑制するものは何もありません。個体にはすべてが許されています。これに対して、個人にはすべてが許されているわけではありません。個人の利己主義は神によって抑制されます。
 くり返しになりますが、近代産業社会の個体が個人になるためには、人間を超越する存在(超越者あるいは神)が必要です。ここで個体というのは(個体という言葉は異様なので、私はそれと同じ意味で、しばしば、それを個人と呼びますが)、他人とのあいだに切れ目をいれない、模倣の欲望に憑かれた存在のことです。個体は他人とのあいだに切れ目がないので模倣の欲望に憑かれるのですが、逆に、模倣の欲望に憑かれると他人とのあいだに切れ目がなくなる、とも言えるのです。他人とのあいだに切れ目がないということと、模倣の欲望に憑かれているということは同じ事態を指しています。このような事態をさらに別の言葉で言えば、それは自己中心主義という言葉になります。
 要するに、自己中心主義とは、「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」という風に、自分よりも一枚上を行っている者を見ると、それが物であれ精神であれ、その他者が所有しているものを自分のものにしてしまおうという欲望、つまり、模倣の欲望に憑かれているということです。そして、そのような欲望を抑制するものは何もない(あるとしても、ばれなければいい)という確信をもっていることです。
 このような自己中心主義が、相手とのあいだに切れ目を入れる、「人は人、自分は自分」という個人主義になることはありません。自己中心主義が個人主義になるためには、その自己中心主義を成立させている模倣の欲望が抑制されなければなりません。そして、私たちは模倣の欲望を抑制できる人のことを謙虚な人と呼びます。
 それでは、どうすれば、私たちは模倣の欲望から解放され、謙虚になることができるのか。これはどうすれば回心できるのか、と問うのと同じことです。回心とは自己中心主義者が個人主義者になることです。また、謙虚とはもちろん、うまく世の中を渡るために装う謙虚のことではありません。それは悔い改め、心から、自分を何の価値もない愚か者だと思っていることです。つまり、自己をそのような無への運動の中に置くことを指して、謙虚と呼ぶのです。
 しかし、こんなことをいうと、そんなこと、不可能だ、という人がいるかもしれません。お前がこれまでさんざん言ってきたように、今の社会は神なき社会であり、個人などいない。いるのは模倣の欲望に憑かれた個体ばかりだ。要するに、ニーチェが『ツァラトゥストラ』(1883)などで言うように、現代社会において「神は死んだ」のだから、われわれは回心することも謙虚になることもできないのではないのか。そういう人がいるかもしれません。私もそういう人間のひとりです。そのような絶望の言葉に対しては、それはそうかもしれないが、そこまで絶望することはない、と答えておきましょう。そして、そのような絶望を慰撫するため、以下、長い注釈をつけます。
 
 ニーチェ(1884-1889[発狂]-1900)は、発狂する直前の著書『アンチクリスト』(1888)で、先に述べた無への運動を弱者の強者に対するルサンチマン(恨み)にすぎない、と述べました。ニーチェはこう言います。
 「・・・キリスト教はすべての弱者、賎者、出来損ないの味方に組し、強い生命が持っている自己保存本能に抗議することを己れの理想として来たのであった。精神性の最上の諸価値は罪深いものであり、人を惑わすものであり、誘惑であると感じるように説き聴かせることによって、キリスト教は、最強度の精神力に恵まれた人びとの理性をも破壊してしまった。最も痛ましい実例――パスカルの腐敗。パスカルは自分の理性が腐敗したのは原罪によるものと信じていたが、じつは単に、彼のキリスト教によって理性の腐敗を招いたにすぎないのに!――」6
 要するに、ここでニーチェは、キリスト教が、富や権力を獲得することができない社会的弱者の、社会的強者に対する嫉妬や羨望、すなわち、「ルサンチマン」(ressentiment:恨み)を代弁しているというのです。つまり、キリスト教は、彼ら社会的弱者が身に帯びた弱さこそ尊いのである、すなわち、社会的に無に近い弱者ほど神に近い存在である、といった奇怪な論理によって無への運動を推奨している、というのです。
 このヒトラーの言葉を連想させるようなニーチェの言葉は、社会的弱者を攻撃するために吐かれたのではありません。その言葉は社会的弱者の社会的強者に対する嫉妬や羨望を利用して宗教的革命を起こそうとしたキリスト者に向けられているのです。このようなキリスト者の態度は、結局、貧民の富者に対する嫉妬や羨望、つまり、ルサンチマンを利用してロシア革命を起こした無神論者のレーニンたちの態度と同じです7。要するに、ニーチェは弱者のルサンチマンを利用して人を扇動するな、と述べているだけなのです。したがって、このようなニーチェの態度は、富裕なユダヤ人に対する貧民のルサンチマンを利用してユダヤ人を虐殺していったヒトラーとは対極にあるものです。
 ここでニーチェのいう「キリスト教」とは、イエス・キリストの弟子たちが奉じていた信仰のことです。驚くべきことに、ニーチェによればイエス・キリストの弟子たちはキリスト教徒ではありません。ニーチェはこう言います。
 「つき詰めていけば、キリスト教徒はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだのだ。「福音」は、十字架上で死んだのだ。この一刻を境にして、以後「福音」と呼ばれたものは、すでに、この人物が身をもって生きたものの反対物であった。すなわち「悪しき音信」であり、福音であった。キリスト教徒であることのしるしを「信仰」のうちに、例えばキリストによる救済信仰のうちに見るがごときは、ばかばかしいほどの誤りである。ひとえにキリスト教実行、十字架上で死んだ人が身をもって生きたような生活のみが、キリスト教的なのだ。・・・今日なおそのような生活は可能である。ある種の人間には必要でさえある。本当の、根源的なキリスト教はいつの時代にも可能であるだろう。・・・信仰ではなくて、行為である。とりわけ、多くを行為しないこと、別種の存在になりきることだ。・・・意識の諸状態、例えば何かを信じたり何かを真理と見做したりすることは――心理学者なら誰でも知っていることだが――本能の価値に比べればまったく取るに足らぬことであり、五級どころの意味しかない。」8
 そしてニーチェは、心理学の「本能」という言葉を使いながらキリスト教批判を続けるのですが、シューバルトが批判しているように9、このような心理学によるキリスト教批判は的はずれです。なぜなら、ニーチェが批判しているキリスト者の無への運動とは、そもそも、ニーチェが推奨する、ルサンチマンの放棄そのものを指すからです。
 したがって、「つき詰めていけば、キリスト教徒はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだのだ」というニーチェの言葉はまちがいです。
 それにもかかわらず、ニーチェルサンチマンを放棄できたのはイエス・キリストだけだ、イエス・キリストを信仰するキリスト教徒たちはそのことを理解していなかった、というのです。これはどういうことでしょうか。彼はこう言います。
 「イエスの模範的な死に方、ルサンチマンの感情をことごとく超え出たあの自由感、超越感を、彼らは理解しなかったのである。――そもそも弟子というものがいかにイエスを解することが少なかったかの一つのしるしである!」10
 つまり、イエスだけが模倣の欲望に憑かれていなかった、とニーチェは言うのです。
 なるほど、ペテロのような弟子たちはイエスへの模倣の欲望に憑かれていました11。そして、ニーチェが『アンチクリスト』で述べているように、ルサンチマンの感情を超え出ることはできなかったのかもしれません。しかし、たとえばドストエフスキーのような、模倣の欲望を超越したキリスト者がいることも確かです。たとえば、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマやマルケルが模倣の欲望を超越したキリスト者ではないと言えるでしょうか。
 したがって、私たちが念頭に置くべきは、ニーチェが批判しているような模倣の欲望に憑かれた自称キリスト者のことではなく、イエス・キリストその人であり、そのイエス・キリストの振る舞いを正確に理解していたドストエフスキーのようなキリスト者なのです。そして、ニーチェが「本当の、根源的なキリスト教はいつの時代にも可能であるだろう。・・・信仰ではなくて、行為である」と言うように、信仰ではなく、行為そのものが重要なのです。
 この「行為そのものが重要なのです」という言葉は、ドストエフスキーの影響、とくに『カラマーゾフの兄弟』のゾシマの影響だと私は推測します12。ゾシマは信仰よりも「行動の愛」を人びとに推奨しました13。しかし、残念なことに、ニーチェはその「行動の愛」を、心理学の「本能」という言葉を使って無神論的に説明しようとしています。シューバルトがニーチェを批判したのはこのためです14。
 ところで、誰も、なんの苦労もなく、模倣の欲望から解放され、謙虚になれるわけではありません。模倣の欲望から解放されるためには、まず、模倣の欲望に憑かれ、「大きな罪」を犯し、心が砕かれなければなりません。ここでいう「大きな罪」とは客観的に大きな罪という意味ではなく、その人にとって背負いきれないと思うほど「大きな罪」という意味です。
 たとえば、客観的に見れば、何でもない小さな罪が、ある人に、それまでのその人の愚かな振る舞いをすべて想起させるきっかけになり、その小さな罪が「大きな罪」に思われるということもあるでしょう。その一方で、強盗殺人というような客観的に大きな罪が、その強盗殺人は飢えた妻子を養うためには行わざるを得なかった振る舞いだ、と思っている人にとっては、「大きな罪」にならないこともあり得ます。要するに、ここでいう「大きな罪」とは、その人のそれまでの世界観あるいは生き方を根底から揺るがすような罪のことです。それはその人の過去負荷性によって、ひとつひとつ質的に異なります。
 このような「大きな罪」を犯したとき、私たちに初めて模倣の欲望から解放される機会が訪れるのです。そう気づくのが死刑台の上であるとか、『悪霊』のステパン先生のように、死の直前になるかもしれません。しかし、それでもその人はほんの一瞬であるかもしれませんが(そもそも私たちの人生そのものがほんの一瞬なのですが)、模倣の欲望から解放され、謙虚になることができるのです。そして、そのとき初めて私たちは自分を超えた存在に気づくかもしれないのです。
 では、なぜ私たちはそのとき、自分を超えた存在に気づくことができるのか。それは自分が何の価値もない愚かな存在だと思うからです。自分が何者かであり、そう捨てたものじゃない、などと、腹の底で思っているかぎり、自分を超えた存在に気づくことはありません。また、そういう人は、自分がその超越者によって生かされているということにも気がつくことがない。その超越者をキリスト教文化圏の人々は唯一の「神」と呼び、それ以外の文化圏の人々は別のさまざまな名前で呼ぶのです。日本人としては西行漱石などが回心の例として挙げられますが、いま説明は省きます。
 要するに、超越者あるいは神が最初からあるのではなく、模倣の欲望に憑かれた自己中心主義者が、その欲望から解放されるとき、超越者あるいは神がその人に訪れるのです。このとき、その人はもはや個体でも自己中心主義者でもなく、自他のあいだに線を引くことができる個人主義者になっています。
 個人主義という言葉は利己主義や自己中心主義と混同して使われることも多いのですが、私はこのような自他の生の持続をありのままに認めることができる人のことを個人主義者と呼びます。また、くり返しますが、利己主義は個人主義に含まれます。一方、自他の生の持続をありのままに認めることができず、いつも他者を模倣し、いまの自分をありのままに認めることができない人を、私は自己中心主義者と呼びます。このような人は他者をありのままに認めることもできません。彼らが認めるのは、他者のもつ、自分の模倣の欲望を満たしてくれるような、つまり、自分より一枚上をゆく精神や物だけです。
 以上述べた内容を図式化しますと、次のようになります。

① 模倣の欲望による自我の拡大(ロマン主義:ありのままの自己への嫌悪)
→他者との切れ目消滅(=依存症的人間関係:他者は自分の欲望を満たすために存在する)
→「個体」の自己中心主義(=ごう慢)
② 模倣の欲望に気づくことによる自我の縮小(無への運動:ありのままの自己を受容)
→他者との切れ目が生まれる(=隣人愛:ありのままの他者を受容)
→「個人」の個人主義(=謙虚)
                                   
 したがって、次の、
② 神なき時代で隣人愛は可能か。
 という問に対しては、「神なき時代」というものがあるとすれば、「不可能だ」、と答えるしかありません。しかし、ニーチェも『アンチクリスト』で述べているように、そんな時代はありません。いつでも神は私たちの前に現れます。ニーチェはその人生の総決算ともいうべき『アンチクリスト』という著書で、キリスト教の神がキリスト教会の偽善者たちによって殺されたと述べているだけです。もっとも、これまで述べてきたように、現代社会には神なき個体があふれているように見えます。しかし、それはそう見えるだけで、その個体たちも個人になりたいと祈っているのかもしれないのです。
 したがって、次の、
③ 神の復権がわれわれの救いとなるか。
 という問いに対しては、「はい」、と答えることになります。私たちが自己中心主義のまま生きるということは、自分を孤立させ、世界を地獄のようにするだけだからです。そのような地獄のような世界に救いはありません。

 

1 ルイ・デュモン、『個人主義論考――近代イデオロギーについての人類学的展望』、渡辺公三・浅野晃一訳、言叢社、p.50、1993
2 作田啓一、『個人』、三省堂、1996、pp.33-34
3 作田、p.34
4 作田啓一も私と似た意味で「個体」という言葉を使っています(作田前掲書)。
5 ルネ・ジラール、『地下室の批評家』、織田年和訳、白水社1984、p.73
6 『アンチクリスト』、『ニーチェ全集第四巻(第Ⅱ期)』所収、西尾幹二訳、白水社、1987、p.170:訳文の傍点は太字にした。以下同様。
7 拙稿でこのような模倣の欲望について詳しく述べています:萩原俊治、「『貧しき人々』と隠された欲望」、『むうざ』第八号(ロシア・ソヴェート文学研究会発行)、1989
8 『アンチクリスト』、p.220
9 「解答と回答(10)」、p.14、脚注5参照。
10 『アンチクリスト』、pp.222-223
11 「解答と回答(4)」、p.8
12 ドストエフスキーニーチェの関係を論じた研究者の大半は、ニーチェドストエフスキー後期の長編小説(『悪霊』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』)を知らなかったと考えています(В.В.Дудкин и К.М.Азадовский, Достоевский в Германии(1846-1921), Литературное Наследство, т.86, М.,1979, с.659-740)。しかし、ドストエフスキーを自分の師と考えていたニーチェが、ドストエフスキーの代表作である『カラマーゾフの兄弟』を読んでいなかったとは考えにくい。また、ニーチェが『カラマーゾフの兄弟』を読んでいなかったとすれば、このゾシマの説教を想起させるニーチェの言葉も理解不能になります。このため、私はニーチェが他のドストエフスキーの作品と同様、フランス語訳で『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたと推測します。
13 「解答と回答(7)」、pp.34-36
14 「解答と回答(10)」、p.14、脚注5
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ドストエフスキーを読む(2017)」解答と回答(9)(2017年9月16日配布)・萩原俊治

 

 

吉本隆明の亀山郁夫批判

  テレビで亀山の「100分de名著」を見ていて、吉本隆明の「大衆の原像」という言葉を思いだした。それは亀山がドストエフスキーの土壌主義のことをのべていたからだ。

 このブログ(「第二の敗戦期」)でも紹介したが、吉本は亡くなる前、亀山の訳した『カラマーゾフの兄弟』の解説を読んで、『カラマーゾフの兄弟』が「ぜんぜん読めていない」と言った。

 どこがどう読めていないのか吉本は語っていないのだが、言わんとすることは何となく分かる。吉本にとって、亀山のドストエフスキー論はあまりにも軽薄にすぎるのだろう。

 そのことは、たとえば、吉本の「大衆の原像」についての考えを思いだしてみるだけでも分かる。吉本は大衆の原像という言葉でドストエフスキーの土壌主義と同じことを言っている、というのが私の見方だ。

 しかし、吉本の「大衆の原像」論と言っても、いまや骨董品みたいに古くなってしまったかもしれないので、少し紹介しておこう。以下は、私の公開講座で出た質問に私が答えたものだ。言いたいことのいわば十分の一ぐらいしか言っていないのだが、言いたいことはだいたい分かって頂けるだろう。(引用した『未成年』は新潮文庫十九刷改版の工藤精一郎訳であり、丸括弧でその巻数と頁、さらに行という具合に示している)

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【質問】
 ロシアのナロード吉本隆明の「大衆の原像」は似ているというお話がありました。吉本は大衆を偶像化していたのではないかと思います。また、かつての「大衆と知識人」論争も単なる民主主義・資本主義が成熟化してゆく過程では、それなりの根拠をもっていましたが、完全に成熟化した現代においては、もはや存在しないのではないのかと思いますが、先生のご意見をお聞かせ下さい。
【回答】
 ご質問はふたつです。
① 吉本は大衆を偶像化していたのではないか。
② 完全に成熟化した現代(の日本)においては、かつての「大衆と知識人」論争はもはや存在しないのではないのか。
 いずれのご質問に対しても、答は「否」です。その理由をこれから述べます。
 ただ、ここであらかじめお断りをしておきますと、私が吉本隆明を熱心に読んだのは学生の頃からの十年間ぐらいで、そのあと、とくに理由はありませんが、まったく読まなくなった。したがって、私は読まなくなったあとの吉本については何も知りません。しかし、吉本のいう「大衆の原像」についてははっきりとした記憶があります。そこで、まずご質問に答えるため、吉本のいう「大衆の原像」について、『未成年』の一節を紹介しながら説明しようと思います。
 『未成年』を紹介するのは、『未成年』という小説を背後で支えている思想がドストエフスキーのいう「土壌主義」であり、その「土壌主義」と吉本のいう「大衆の原像」が意味する思想は、結局同じものであるからです。

 『未成年』の第二部第九章第一節のおわりに、賭博場から追い出され、自暴自棄になったアルカージイが放火を試みようとし、しかし、塀から転がり落ち、気絶する場面があります(下:99:6)。
 気絶したアルカージイは夢を見ます。
 彼は夢の中で、トゥシャールの寄宿学校に訪ねてきた母親を思いだしているのです。
 農奴であった母親は初めてその寄宿学校に息子を訪ねてきたのですが、貴族の子弟が学んでいるその寄宿学校でどう振る舞ってよいのか分からず、おろおろするばかりです。母親は息子に菓子などの入った包みを渡します。息子はその貧しい包みを恥じるだけです。そして母親を邪険に扱います。彼は農奴であった母親を恥じているのです。母親を恥じるということは、その母親の息子である自分をも恥じているということです。貴族の息子たちと比べて、あまりにもみじめな存在である自分を恥じているのです。母親は別れ際に息子に祈りを捧げ、お金を渡します。そこはこんな風に描かれています。
 
 「おお、主よ・・・天なる神よ・・・天使たちよ、聖母マリヤよ、聖ニコラよ・・・この子を守らせたまえ・・・主よ、天なる神よ!」と母はしきりとわたしに十字を切り、早くわたしの体中を十字で清めようとしながら、早口にくりかえした。「わたしのかわいい坊や、わたしのだいじな坊や!あっ、そう、坊や(【ここは誤解を招く訳なので次のように訂正】あっ、そうそう、坊や)・・・」
 母は急いでポケットに手をさしこむと、空色の格子縞のハンカチをとりだした。ハンカチははしがかたく結ばれていて母はその結び目をとこうとしたが・・・なかなかとけなかった・・・
 
 二十コペイカ銀貨を包んだハンカチごと息子に渡した母親はもう一度十字を切り、そして、アルカージイを驚かせる行動を取ります。
 
 母親はもう一度十字を切り、もう一度なにやらお祈りをつぶやくと、不意に・・・まったく思いがけなく、わたしにもおじぎをしたのである。上でトゥシャール夫妻にしたと同じように、深々と、ゆっくりと、長いおじぎを――わたしはこれを永久に忘れることができない!わたしはがくがくふるえた、そして自分でもどうしてかわからなかった。このおじぎで母はなにを言おうとしたのか?『わたしに対する自分の罪を認めたのか?』――それからかなりすぎてからわたしの頭にふとこんな考えがうかんだことがあったが――わたしにはわからない。しかしそのときは、わたしは恥ずかしさにさっと真っ赤になってしまった。『みんな上から見てる、ラムベルトにまたなぐられるかもしれない』
 
 なぜ母親は自分におじぎをしたのか。アルカージイはこのことを忘れることができません。これからもずっと母親がなぜ自分におじぎをしたのかと考え続けるでしょう。
 やがて母親は帰ってゆきます。
 包みに入った食べ物やハンカチの中の二十コペイカ銀貨は寄宿学校の仲間に奪われ、アルカージイには母親のくれたハンカチだけが残されます。彼はそのハンカチを枕の下に隠します。ある晩、そのハンカチを取り出し、顔をおしあて、接吻します。
 
 『お母さん、お母さん』とわたしは思い出しながら、口の中でつぶやいた、すると胸が万力でしめつけられるように、ぎりぎり痛んだ。目をつぶると、唇をふるわせている母の顔が見えた。それは母が寺院にむかって十字を切り、それからわたしに十字を切ってくれた母の顔だった。ところがそのときわたしは、『恥ずかしいよ、みんなが見てるじゃないか』と言ったのである。『お母さん、お母さん、たった一度だけぼくのところに来てくれましたね・・・お母さん、遠くから訪ねてきてくれたお母さん、あなたは今どこにいるのです?おぼえているでしょうか、あなたが訪ねてくれたあのかわいそうな子供を・・・今ちょっとだけでいいからぼくに顔を見せてください、せめて夢の中にでも現れてください、一言ぼくにあなたを愛していると言わせてください、あなたを抱きしめて、青い目に接吻するだけでいいのです。そしてもう決してあなたを恥じてはいない、とあなたに言いたいのです。(略)』
 
 「もう決してあなたを恥じてはいない、とあなたに言いたいのです。」と、アルカージイは言うのですが、これはどういうことでしょうか。なぜそんな気持になったのか。おっかさんが恋しいからそんなことを言ったのさ、と冷笑する方もおられるかもしれません。たしかにそうかもしれません。しかし、ここにはそれだけではない理由がある。それが吉本隆明のいう「大衆の原像」です。これは大衆を偶像化するということではありません。アルカージイのように、おじぎをした母親について考え続けるということです。
 母親はなぜアルカージイにおじぎをしたのか。それはアルカージイが自分たちのような農奴の身分を脱して、社会的に上昇して行こうとしている、いや、すでに上昇していると思っているからです。なるほど、アルカージイにしてみれば、自分は貴族の子弟たちから低く見られる、ある貴族の男の私生児にすぎません。しかし、農奴であった母親から見れば、息子のアルカージイは貴族と同じなのです。それが証拠に、アルカージイは貴族の子弟が入る寄宿学校で学んでいます。このため、無学な、文盲といってもいい母親は、貴族である息子におじぎをしたのです。アルカージイがこのおじぎを一生忘れることはないでしょう。
 この母親や「おじぎ」が吉本隆明のいう「大衆の原像」なのです。つまり、自分が足場にしてのしあがってきた、その足場になった人々のことを吉本は「大衆」といい「原像」というのです。ですから、正確にいうと、「大衆の原像」ではなく、「大衆という原像」なのです。
 吉本はいつどこで「大衆の原像」という思想を得たのか。鹿島茂は私が最近読んだ吉本隆明論の中ではもっとも正確な吉本隆明論のひとつを書いているのですが、彼は吉本の文章を引用しながら次のように述べています。
 
 私が個人的に一番好きな文章である「別れ」(『背景の記憶』平凡社ライブラリー)から引用してみましょう。佃島で近所のがき連中と楽しく遊びくらしていた黄金時代に終わりがやってきたときの回想です。
 
 わたしは五年生になると早速、親たちから知合いの先生の私塾に行けといいつけられた。なぜ素直に応じたのかよくわからない。(中略)
 わたしはあの独特ながき仲間の世界との辛い別れを経験した。別れの儀式があるわけでも、明日からてめえたちと遊ばねえよと宣言したわけでもない。ただひっそりと仲間を抜けてゆくのだ。もちろん気恥ずかしいから勉強に行くんだなどと口に出さない。すべては暗黙のうちに了解される。昨日までの仲間たちが生き生きと遊びまわっているのを横目にみながら、少しお互いによそよそしい様子で塾へ通いはじめた。わたしが良きひとびとの良き世界と別れるときの、名状し難い寂しさや切なさの感じをはじめて味わったのはこの時だった。これは原体験の原感情というべきものとなって現在もわたしを規定している。この世はどこもかも別ればかりだといいたいばあいもあれば、良きひとびとの世界からおのれを引き剥がす理不尽への異議申し立てであるばあいもある。いまもどこかで見知らぬ子どもたちがこの感じを体験しているかもしれない。その私塾の先生はわが生涯の最大の優れた教師だったが、そんなことはまだ知るよしもなかった。
 
 おそらく、吉本はこの階級離脱の瞬間の「原体験の原感情」をもとにして、「大衆の原像」を練り上げていったのだと想像できます。それは魂が最終的に戻ってゆくユートピアであると同時、その特有な「封建的優性」によって、せっかく獲得したと思い込んだ西欧的な思想・倫理を一瞬にして骨抜きにしてしまう腐食性の悪夢でもあります。しかし、この「大衆の原像」をいたずらに抑圧したり、あるいはないものと決め込んだりしては、芸術も文学も社会運動も始まりはしないのです。抜け目なくて貪欲、しかし、一方では、倫理的にもっともまっとうな「封建的優性」も同時に持ち得るのが、「大衆」の「原像」なのです。そして、その真の姿を自らのうちに取り込んで、これを否定的な媒介として止揚する以外に方法はないのです。1
 
 ここで鹿島のいう「封建的優性」とは、あとでも述べるように、「日本の封建制の優性遺伝子的な因子」2のことです。ここでは日本におけるインテリの西洋崇拝とその文化の模倣を指しています。
 私の誤読にすぎないのかもしれませんが、この鹿島の解説で私が同意できないところは、「大衆の原像」が止揚されるべき「否定的な媒介」であるという箇所です。それ以外は同意できます。
 なぜ、「大衆の原像」が止揚されるべき「否定的な媒介」であるという鹿島の読みに私が同意できないのか。それは吉本自身が「大衆の原像」を止揚されるべき、また否定されるべきものであるとは思っていないからです。私のこの読みが正確なものであるとすれば、鹿島のこのような読み方こそ、吉本が激しく非難した「普遍ロマンチシズムの虚偽」(「日本のナショナリズム」)であり、永遠に「大衆の原像」に触れ得ないインテリの傲慢な読み方です。
 要するに、吉本は「大衆の原像」を否定すべきものだとは考えず、それをそのまま認めろ、と言うのです。そのような「大衆の原像」が自分の中にもあることを認めろ、そのとき初めて私たちは思想的に「自立」できるというのです。吉本のいう「自立」とは、ドストエフスキー風に言いますと、日本の土壌から乖離しないでものを考えることができるようになる、ということです。これをもっと簡単に言うと、日本人として、自分の頭でものを考えることができるようになる、ということです。
 このため、吉本は繰り返し、自分は「インテリゲンチャ」あるいは「知識人」ではないと述べています。吉本は知識人ではないのか、と、あとで触れる呉智房のように不審に思う人がいると思いますが、吉本のいう「インテリゲンチャ」あるいは「知識人」というのは、ドストエフスキーの言葉で言えば、日本の土壌から乖離した西欧の文化によって思想的に生きている人々のことです。
 ちなみに、フランス哲学を東大で研究していた森有正もまた、そのような日本のインテリを徹底的に批判し、フランスの文化を、つまり、フランス人の共通感覚を身につけようとして、日本での家族も職も捨て、単身フランスに亡命しました。しかし、それは無残な結果におわり、森の家族が悲惨な目にあっただけでした。
 森の場合は、吉本のように日本人の「大衆の原像」を求めようとしたのではなく、いわばフランス人の「大衆の原像」を求めたと言えるのです。それは森が日本でおフランスかぶれの贋インテリとして生きることに耐えることができなかったからでした。
 立場は違いますが、吉本も日本のインテリに対して森と同じような批判を持っていました。
 たとえば、昭和八年、獄中にいた日本共産党最高幹部の佐野学と鍋山貞親は、その転向表明である「共同被告同士に告ぐる書」で、自分たちが日本の土壌から乖離して生きていたことを自己批判し、天皇制と日本民族への忠誠を誓います。
 彼らが転向したのは、コミンテルンソ連共産党の指導下にあった共産主義インターナショナル)の指令通りに動くことはできないと思ったからです。つまり、日本とソ連が戦争になるとき、自分たち共産党員は日本のためにではなくソ連のために戦わなくてはならない、というコミンテルンの指令に従うことなど到底できないと思ったからです。彼らにとっていかにソ連が思想的に正しいとしても、自分の親兄弟のいる故郷である日本がソ連に負けるような反日活動などできないと思ったからです。
 吉本はこのような転向者に「大衆的動向からの孤立にたいする自省があった」(「転向論」)と評価します。
 つまり、通常、大半の大衆は素直に国家の命令に従って国家のために戦う。自分はそのような大衆から孤立して、日本のためではなくソ連のために戦うことなどできない。そう判断した彼らを、吉本は評価したのです。
 佐野学と鍋山貞親ドストエフスキーの小説の登場人物で言えば、『悪霊』のシャートフのような人物であると言えます。シャートフは西欧の革命思想を知ったため、ロシアに革命を起こそうとします。しかし、それがロシアの土壌から乖離した振る舞いであることに気づき、転向し、ロシアの愛国者になります。このような意味で、転向した佐野学と鍋山貞親はシャートフに似ています。
 一方、吉本は、小林多喜二宮本顕治、蔵原惟人のような「非転向」者はまったく評価しません。なぜなら、彼らは生涯、マルクス主義に忠誠を誓い、日本の土壌から乖離したままその生を終えたからです。吉本はこう言います。

 社会的危機にたった場合、民族と階級とをいたちごっこさせねばならなくなる佐野、鍋山の転向と、原則論理を空転させて、思想自体を現実的な動向によってテストし、深化しようとしない小林、宮本などの「非転向」的な転回とは、日本的転向を類型づける同じ株から出た二つの指標である。
 わたしは、佐野、鍋山的な転向を、日本的な封建制の優性3に屈したものとみたいし、小林、宮本の「非転向」的転回を、日本的モデルニスムス4の指標として、いわば、日本の封建的劣性5との対決を回避したものとしてみたい。何れをよしとするか、という問いはそれ自体、無意味なのだ。そこに共通しているのは、日本の社会構造の総体によって対応づけられない思想の悲劇である。(同前)

 要するに、吉本は佐野や鍋山の転向組を日本の社会構造において優性なかたちであらわれている「封建制」(天皇制に象徴される保守的な制度)に屈した者と見、一方、小林、宮本などの非転向組を、日本社会に劣性なかたちであらわれている「封建制」(とくにアカデミズムなどに現れている西欧崇拝)との対決を回避したと見ているのです。
 私は以上のような吉本に同意します。
 ところが、吉本はその後、フロイト学説をふりまわす上野千鶴子に賛同し、自閉症児に「物語の暴力」をふるいました6。なぜあれほど「日本的モデルニスムス(近代主義)」を批判した吉本が、「日本的モデルニスムス」を信奉する上野に同調し、フロイト学説を無批判に受けいれたのか。私にはその理由が分かりません。誰にでもまちがいはあるという程度のことでしょうか。どうもそれだけではなかったように思います。つまり、吉本は私のいう「自尊心の病」に憑かれていた(私は吉本の自尊心に満ちた文章にはしばしば赤面せざるをえなかった)。このため、その病に支えられた、これも私のいう「物語の暴力」と無縁でいることができなかった。このため、つい上野の珍妙な振る舞いに同調してしまった。そんな風に思います。
 それにも拘わらず、ドストエフスキーの土壌主義やハイエクの思想を正当なものと見なしている私にとって、「日本的モデルニスムス」を批判した吉本の「大衆の原像」という思想そのものは正当なものと思われます7。したがって、たとえば、呉智英が吉本を、自分自身を大衆と見なしていると言って批判するのは的はずれだと思います。
 呉はこう言います。
 
 本書の冒頭から問題にしてきたように、吉本隆明は「大衆の原像」つまり「本当の大衆の姿」を著作の中で何度も論じている。『異端と正系』(現代思潮社、一九六〇)収録の小論「知識人とは何か」ではこんなことを言っている。
 
 庶民や大衆が日常体験を根強くほりさげることにより、知識人の世界、雰囲気、文化から自立しなければならないとおもう。かれら[知識人]のふりまく文化、イデオロギーを、擬声[虚構]的なものとして退けなければならない。

 ここには「庶民」と「大衆」が並列して出てくる。両者を区別して使っているようにも見えず、「海洋」が単に「海」を意味するように、語調を整えるためだけに並列したのだろう。吉本隆明はこの頃はまだ「大衆の原像」をキーワードとしてそれほど強調していない。それはともかく、吉本がここで言う「知識人」とは、引用を省略した前の部分で言及しているフランスの哲学者サルトルなどのいわゆる「進歩的知識人」を念頭に置いているのだが、それでもここに見るように限定詞抜きの知識人一般にも広げている。
 要するに、吉本隆明は、大衆は日常体験を掘り下げることによって知識人から自立しなければならない、と言うのである。吉本という知識人がそういうのである。大衆がそう言うのではない。大衆が我々は知識人から自立しなければならないと言ったというような話は聞いたことがない。そう言った時既に知識人の世界に一歩足を踏み入れているだろう。8
 
 このようにいう呉は、吉本が自らを大衆と見なしているということの意味をまったく理解していません。このため呉は、吉本が自分はインテリではないというとき、激しく吉本を非難するのです。
 
 その数頁前では(吉本は:萩原)こんなことも言っている。

 わたしは、谷川雁[詩人、評論家]もふくめて、インテリゲンチャ(わたしはインテリゲンチャではないが)が、大衆論をやるばあいに、サークル運動や、大衆記録を種にして大衆の性格を論ずるのが不可解でならない。

 サークル運動(勉強会などの啓発運動)や大衆記録を批判することは今問題にしないとして、吉本隆明は自分がインテリゲンチャではないと言うのである。「インテリゲンチャ」とはロシア語の「知識層」という意味である。この言葉には十九世紀ロシアの歴史的事情が反映している。一個人が「知識人」であるというだけではなく、それが一つの階層として出現し、傾向や程度はそれぞれだったとしても社会の現状に批判的な意識を持つという含意がある。「インテリ」と略して言うことも多く、一般的に「知識人」という意味で広く使われており、それで特に問題はないのだが、「あるベクトルを持った知識人」ぐらいに理解しておけばもっと正確だろう。
 それにしても、驚くべきは、吉本隆明が「わたしはインテリゲンチャではない」と宣言していることである。じゃあ、吉本は大衆なのか。東京工業大学を卒業し、詩人であり、評論家であり、著作が何冊もあって、しかも大衆なのか。理解に苦しむ発言である。
 これは今言った「ベクトル」に関わってくる。前節で論じた「思想的弁護論」にこんな一節がある。
 
 「進歩的知識人」によれば、これらの大衆は未熟な啓蒙すべき存在であり、憲法感覚とやらを身につけねばならず、憲法=法国家を守らねばならないとされるのである。

 私は、進歩的知識人だろうと保守的知識人だろうと、そして大衆だろうと、憲法の思考方法という意味での憲法感覚を身につけていた方がいいと思う。(略)

 という風に呉の吉本批判は続いてゆきます。
 呉はなぜこのようにまちがった吉本批判をするのか。それは、呉には、吉本のいう「日本的モデルニスムス」の意味がよく分からなかったからだろうと思います。このため、呉には、吉本がなぜ大衆を思想的に「啓蒙」するのはまちがっているというのかが分からない。吉本がそういうのは大衆をアンタッチャブルな偶像として奉っているからではありません。
 吉本によれば、大衆を思想的に「啓蒙」できると思う人は、日本の土壌から目をそむけて生きているのです。そのような人は、呉のように、吉本がなぜ大衆を思想的に「啓蒙」するのがまちがっていると言うのかが分からない。また、森有正がなぜフランスに「亡命」したのかも分からない。つまり、そういう人には日本の知識人というものが大衆から孤立した、人工的な、したがって空虚な存在であるということも分からない。
 このため、呉のような人々には依然として、大衆と、大衆から切り離された、しかし、空虚な存在ではない知識人というものが存在し続けているのであり、したがって、彼らにとっては、知識人が大衆の前衛となって大衆を啓蒙し指導すべきか否か、というような「大衆と知識人」論争が、今もなお可能性としては成立しうるのです。もっとも、それは成立しうるとしても、空虚な仮想空間の中で成立するのにすぎません。


1 鹿島茂、『吉本隆明1968』、平凡社新書、2009、pp.420-421
2 『吉本隆明全集5』、晶文社、2014、p.369
3 すでに述べたように、ここで吉本のいう「優性」とは、生物学において「優性遺伝子」という言葉で使われる「優性」のこと。反対語は「劣性」。
4 日本的モデルニスムス:欧米の思想・文化を無批判に受けいれること。
5 封建的劣性とは、日本の封建的な社会に外部(外国)から入ってきて、その封建制によって変形させられて存在するもののこと。
6 拙稿、「物語はなぜ暴力になるのか」、『言語と文化』第四号、大阪府立大学言語センター、2005、309
7 「ドストエフスキーを読む(2017)」配付資料2(2017年5月6日配布)参照。
8 呉智英、『吉本隆明という「共同幻想」』、筑摩書房、2012、pp,113-114