2013-01-01から1年間の記事一覧

餓死

年金が減らされるそうだ。また消費税が上がって、これまでよりも老人たちの生活が窮迫するそうだ。けっこうなことだ。もっともっと窮迫させて、老人などみな餓死してしまえばいい。どうせ社会の余計者なのだから。 こう書くと、たぶんいっせいにバッシングを…

全体主義に抗する

「芸術とは何か」で述べたように、私はどのような経験も否定しない。すなわち、その経験の担い手である誰をも否定しない。しかし、私がどうしても否定せざるをえない一群の人々がいる。それは自分が容認できない人々を否定する人々だ。たとえば、自分と同じ…

浮沈空母とプレスリー踊り

私は父親が金物の(貧相な)卸商をしていて、そのため、子供のときから両親が客に対して卑屈に振る舞っているのを目にしてきた。両親が、客の娘に対して「まあ、立派なお嬢様ですこと」とか「さすが頭の良い方でいらっしゃる」というようなことを言っている…

ため息

むかし大阪の東成のYMCAアジア青少年センターで不登校や引きこもりの会をやっていたとき、会も終わり、その帰り、いつものように、そのYMCAの館長の金秀男氏と、そのセンターの近くの立ち飲み屋台で酒を飲んでました。 すると突然金さんが怒り出して。「萩原…

徴兵制

徴兵制について少し。 徴兵制について率直に言えば、私自身、兵隊にとられなかったことを、あり得ない幸運に見舞われたように思っています。というのも、私自身、運動会などでそろって行進するというようなことにも嫌悪を感じる性質でした。これは子供のとき…

再び徒党について 

私が子供の頃は学習塾というようなものはなく、小学校から帰ってくると、鞄を家の中に放り出し、外で遊んだ。遊ぶところはいくらでもあった。山に行ったり川に行ったり、池に行ったり神社に行ったり・・・という風に、遊べるところではどこでも遊んだ。遊ぶ…

「藤枝静男訪問記」他

高山学氏から氏の書かれた「藤枝静男訪問記」(『MILKY WAY』No.2、みろくさんぷ、2013/5/15、p.1)と「藤枝静男訪問記・アンコール.pdf 」(『MILKY WAY』No.3、みろくさんぷ、2013/9/30、p.3)を頂いた。これは高山氏が静岡のフリーペーパーに藤枝静男訪問…

匿名について

私がこんな風にブログを書き始めることになったのは、ドストエフスキーについて意見を交換している、ある掲示板を読んだからだ。それまで私はインターネットの掲示板というものにあまり関心がなかった。インターネットを使うのは、メールを書いたり、研究の…

奨学金問題

大学で育英奨学金を受けて勉強した人は次の三種類に分かれます。 1)大学を出てすぐ企業などに就職し、奨学金を返済できる人。 2)大学院を出てすぐ教育機関(大学や研究所など)に就職したため、奨学金の返済を免除された人。 3) 大学院を出ても、すぐ教…

オクジャワのソ連批判

「初めての恋は」(ブラート・オクジャワ) 初めての恋は、心を燃やす。 二度目の恋は、初めての恋を追う。 三度目の恋は、手が震える。 鍵が錠に合わない、腕にかかえたトランク。 最初の戦争は、誰の罪でもない。 二度目の戦争は、誰かの罪。 三度目の戦争…

芸術とは何か

先に述べた「風立ちぬ」の話の続き。 ドストエフスキーとトルストイのどちらがいいか、とか、ベートーベンとバッハのどちらがいいか、とか、朔太郎と中也のどちらがいいか、とか、ゴッホとマチスのどちらがいいか・・・というような質問は愚問に他ならない。…

教会ひとり

これは某年某月某日「中江藤樹記念館」で撮った写真。 私はこの額縁に収められた藤樹の言葉をそのまま肯定する。これは私に儒教の精神が徹底的に染みこんでいるからだ。 中江藤樹は儒教(孔子が始祖)の一派である陽明学を日本に広めた近江聖人と呼ばれた人…

種をまく

ようやく大根と蕪(かぶ)の種(たね)をまくことができた。大根と蕪は種をまくまえに堆肥と苦土石灰、それに油粕を入れた畝を一週間寝かせる。その一週間寝かせて、さあ種をまこうと思ったとき豪雨があった。種まきは延期。畝を作り直し、ようやく今朝まく…

歴史について 

次の文章は、パリに亡命していたロシアの哲学者ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ベルジャーエフが1934年に書いた、『現代世界における人間の運命』(野口啓祐訳、社会思想社、1957)です。ここでベルジャーエフは、ヨーロッパ流の民族主義、とくにナ…

風立ちぬ

宮崎監督の「風立ちぬ」というアニメ映画を見ました。ドストエフスキーの作品ほどではありませんが、「風立ちぬ」というアニメもポリフォニック(多声的)な内容をもっていると思いました。つまり、この作品をどんな風に見るかによって、見る人の人となりが…

ジラールのドストエフスキー論の意義

受講生からの質問がありましたので答えます。 「ルネ.ジラールの模倣の欲望についての考えを否定することはドストエフスキーの宗教観の源(キリスト)を否定することになる」と私は授業で述べましたが、それはどういう意味か、というご質問です。 ジラールは…

PAについて

英語に'Patient-centred Health Care(PCHC)(患者中心の医療)'という言葉があります。ここから連想して、私は'Ego-centred Argument(自尊心中心的な議論、略して'EA')'、'Problem-centred Argument(課題中心的な議論、略して'PA')'という言葉を作りま…

澤地久枝

「みんな子どもだった」というテレビ番組で澤地久枝が自分の不倫の話をしているのを聞いて、中山あい子の小説「春の岬」を読んだ。これは澤地久枝と不倫関係になった有馬頼義とその夫人をモデルにした小説だ。中に小説の主人公である有馬夫人の親友の冨田夫…

不登校や引きこもりは病気ではない

被害者にならない為の知識-精神薬を学ぶ- 未分類 文字化けしていますが上のブログをクリックして下さい。 そのブログで述べられていることさえ知らない人が多いように思います。 知らないと、しばしば次のようなことが起きます。 子供がさまざまな原因(親…

ユーモア

桑原武夫が「ものいいについて」(1946年)というエッセイで紹介していることだが、中国人の林語堂が「日本人はユーモアが零点だ」と述べているそうだ。これはたしかにその通りで、中国人ではない私でさえ、いつも身にしみて感じていることだ。 私は子供…

続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(5)

「謎とき」シリーズという詐欺商法 素直にドストエフスキーの作品を読めばいいものを、なぜドストエフスキーの読者の多くは江川・亀山コンビの「謎とき」シリーズを買い求めるのか。それはドストエフスキーの作品が謎に満ちているからだ。「おれおれ詐欺」が…

続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(4)

ありのままでいい 前回、マリアとワルワーラ夫人が教会で会った日、そして『悪霊』にスタヴローギンが登場した日はロシア正教の十字架挙栄祭で、旧暦(ユリウス暦)の9月27日だと述べた。また、亀山のように、十字架挙栄祭が9月14日だということにすれ…

続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(3)

タイム・テーブルの話 『謎とき『悪霊』』は107ページから「運命的な一日」と題して、ワルワーラ夫人とその息子ニコライ(スタヴローギン)の話に移る。このあたりの亀山の説明はいたって平凡で、『悪霊』を読めば分かることが述べられているだけだ。 た…

続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(2)

ドストエフスキーの作品は「第二芸術」か 亀山の『謎とき『悪霊』』は446ページもある大冊だが、その最初の40ページで、『悪霊』が書かれた時代の説明、『悪霊』を書いていた頃のドストエフスキーの生活、『悪霊』第一部の粗筋、と言う風な順序で述べら…

続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(1)

読者なのか作者なのか、はっきりしろ! 大学などで禄を食む文学研究者の書いた論文を読むと、しばしば、「それがどうした?」という気持になる。要するに、中途半端なのである。「あんたはこの作品を読者として読むのか、それとも作者として読むのか、どっち…

埴谷雄高

私は埴谷雄高の書くものを一度も良いと思ったことがない。初めて読んだ埴谷の本は『闇の中の黒い馬』だった。私の好きな中村光夫がラジオで誉めていたので買ったのだ。それに、当時、私の家で居候をしていた従兄弟が「はにや、はにや」といつも神さまのよう…

続・「謎とき」シリーズがダメな理由(8)

(承前) (2)マトリョーシャもマゾヒストではない 前回は亀山がいかに常識外れの読み方をするのかについて述べたが、今回もその続きである。 ただ、その前に、これまで亀山批判を行ってきた中で常に感じてきたことについて少し述べておこう。 私が大学や…

続・「謎とき」シリーズがダメな理由(7)

(承前) 亀山が『『悪霊』神になりたかった男』(みすず書房、2005)で述べたマトリョーシャ=マゾヒスト説については、まず「ドストエフスキーの壺の壺.pdf 」で、次に「続・「謎とき」シリーズがダメな理由(2)」で批判した。その批判の根拠は「常識」…

続・「謎とき」シリーズがダメな理由(6)

(承前) これから亀山郁夫の『謎とき『悪霊』』を批判してゆくのだが、本当のことを言うと、こういうことはやりたくない。なぜか。それは、たとえば江川のラスコーリニコフ=666説にせよ、亀山のマトリョーシャ=マゾヒスト説にせよ、それを批判するのは…

続・「謎とき」シリーズがダメな理由(5)

(承前) ドストエフスキーを「ええかげん」に読むというのは、亀山のように無茶苦茶に読むということではない。そこには厳然としたルールがある。そのルールの範囲内で「ええかげん」に読め、ということだ。そして、繰り返しになるが、「自分の全存在をかけ…