2009-01-01から1年間の記事一覧

「大きな引き出し」

【亀山訳7】 彼は二度結婚し、三人の子どもをもうけた。長男のドミートリーは最初の妻とのあいだに生まれた子どもで、残りの二人、すなわちイワンとアレクセイは二度目の妻とのあいだに生まれた。フョードルの最初の妻は、かなりの資産家でこの土地の地主で…

致命的なプロットの誤訳

【亀山訳6】 第一部 第一編 ある家族の物語 1 フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ アレクセイ・カラマーゾフは、この郡の地主フョードル・カラマーゾフの三男として生まれた。父親のフョードルは、今からちょうど十三年前に悲劇的な謎の死をとげ、…

名前について

亀山は序文でも「アレクセイ・カラマーゾフ」と訳していたが、本文でもそう訳している。 アレクセイ・カラマーゾフは、この郡の地主フョードル・カラマーゾフの三男として生まれた。父親のフョードルは、今からちょうど十三年前に悲劇的な謎の死をとげ、当時…

島尾敏雄の「青春」

あと一年少しで定年なので少しずつ研究室にある本の整理をしているのだが、なかなか片付かない。定年後は病院とか図書館が近くにある賃貸の公団住宅に引っ越し、体力と運と命があれば、スーパーの駐車場などで車の交通整理をしながら余生を過ごすつもりだ。…

構造的誤訳

【亀山訳5】 これらの問いに答えようにも、わたし自身混乱しているので、ここはいっさい解答なしで済ませることにする。むろん、勘のするどい読者は、そもそものはじまりからわたしがそういう腹づもりであったことをとっくに見抜いて、愚にもつかない御託を…

ユマニスム

ドストエフスキーがめざしたもの。ドストエフスキーとリルケは似ている。 ユマニスムから出発するとすべてが実にいやらしい、下品なものになってしまう。これが人間の創造の秘密であり、そこにユマニスムの力の根源が在る。リールケがすべてをささげて戦おう…

おいしいヤキイモの巻

「ヤキイモ、ヤキイモ、おいしいなー」 「あんまりがっついたらノドにつめるわよ」 「ぐっ」 「ほら、いわんこっちゃない!はい!水!」 「ぶんぶんぶん」 「え?なに?水じゃないの?」 「んーーー」 「ヤキイモは牛乳派だそうです」 「あーもー、この子は…

スタヴローギン症候群、ハチマキ訳

【亀山訳4】 もっともわたしは、こんなくそ面白くもない曖昧模糊とした説明にかまけず、序文なしでいきなり話をはじめてもよかったのだ。ひとは気に入れば、最後まできちんと読みとおしてくれるだろうから。 しかし、ここでひとつやっかいなのは、伝記はひ…

「怪物」亀山郁夫

「怪物」亀山郁夫 いつからだろうか、背後に「神」を感じることができないような文章に耐えられなくなったのは。小説はもちろん、論文でもそうだ。雑文でも同じだ。私はそのような文章に耐えられない。たとえば、日本語で書く作家で私が繰り返し読むことがで…

好きな作家

「きょうは犬の日で紅茶をサービスしまーす。紅茶の日でもあるし」 「犬の日?」 「11月1日は、ワンワンワンってことでみたい」 「ほー、知らなかったなぁ」 「でも11月11日のほうが、ワンワンワンワンって多くていい気もするが・・・」 「そういえば…

「トンボ文」と命名

【亀山訳3】 もしもみなさんがこの最後のテーゼに同意せず、「いや、そんなことはない」とか、「かならずしもそうとは限らない」とでも答えてくれるなら、わたしの主人公アレクセイ・カラマーゾフのもつ意義について、わたしとしてはきっと大いに励まされる…

奇人変人は害になる?

【亀山訳2】 なかでも、最後の問いがもっとも致命的である。というのは、その問いに対して、わたしは次のように答えるしかすべがないからだ。「小説をお読みになれば、おのずからわかることですよ」と──。 しかし、読み終わったあとでもやはり答えが見つか…

アレクセイなんて偉大じゃない?

以下は亀山訳『カラマーゾフの兄弟』を点検するさいの作業手順。 1)作業はドストエフスキーが区切った一段落ごとに行う(テキストはナウカ版ドストエフスキー全集)。 2)亀山訳を読み、ロシア語原文との違いを点検する。 3)必要があれば、原文を見なが…

子供だまし

いやー、驚きましたがな。朝飯を食べてたら婆さんがね、思いつめた顔して、 「わて、あんたに隠してたことあるねん」 「ぷほー、な、なんや」 「わ、ばばちいな、ご飯つぶ、まき散らかさんといて」 「何や、はよ言え」 「あのな、これは前々からのことやけど…

ドストエフスキーを読んではいけない人

ドストエフスキーの愛読者は世の中のはぐれ者である。また、そうでなければドストエフスキーの愛読者にはなれない。 これは私が「誰がドストエフスキーを読むのか」(1994)という長大な論文で述べたことだ。あまりに長大すぎたので、その内容を圧縮し、「ド…

段落問題

いやはや、どこに落とし穴があるか分からない。これだから人の翻訳をあれこれ批判するのはこわい。批判しているつもりが、自分の無知蒙昧ををさらけ出しているんだな。まあ、しかたないか。気を取り直して進もう。 『カラマーゾフの兄弟』のエピグラフのあと…

一粒の麦

みすず書房宛の抗議文にも書いたが、私は亀山郁夫に何の恨みもない。というより、昔からの友人だ。ずいぶん以前、亀山が天理大学に勤務していた頃、そして佐藤優が同志社の大学院生だった頃、佐藤の先生だった渡辺雅司と四人で毎週のように同志社周辺を徘徊…

亀山郁夫の暴力

私が十年ほど前から何とかのひとつ覚えみたいに唱え続けている「物語の暴力」というのは、ある現実を観察し作り上げた物語(あるいは理論)を、ふたたびその現実に適用するとき発生する暴力のことだ。 簡単に言うと、「物語の暴力」とは、実態をあまり知らな…

亀山郁夫の鈍感力

どうやらこの世界には二種類の人間がいるらしい。プラトンが「国家」や「パイドロス」で執拗に述べていたのはこのことだったのだ。若い頃は、その執拗さに閉口したものだ。「分かっているよ、プラトンさん」と呆れていたのだが、まったく分かっていなかった…

みずず書房からの返信

亀山郁夫の『悪霊』論を出版したことに対して抗議のメールを送ると、みすず書房からすぐさま丁重な、しかし儀礼的なメールが来た。みすず書房に了解をとっていないので、そのメールを引用するわけにはゆかない。従って、大意を紹介するだけにすれば、社内で…

不正

「われわれが他人から愛される値打ちがあると思うのは誤りであり、それを望むのは不正である。」(P477) このパスカルの言葉を常に心に刻みつけておくこと。シモーヌ・ヴェイユはこれでもまだ信仰が足りないと言ってパスカルを非難した。そして餓死した…

村上春樹の気配

私が村上春樹の小説を愛読するようになったのは、彼の小説に立ちこめている気配が気に入ったからだ。たとえば、「ノルウェイの森」のキズキという少年のまわりには、そのような気配が立ちこめている。キズキのまわりには、昔、いっしょに遊んでいた神戸の六…

みすず書房へのメール

次に私が2008年2月初めにみすず書房に送ったメールを一部省略して載せる。今読めば、ここで私が自分をキリスト教徒ではないと述べているのは不正確。私はシモーヌ・ヴェイユがキリスト教徒にならなかったのと同じ意味でキリスト教徒ではないということだ。な…

亀山郁夫の悪意

私が初めて亀山郁夫のドストエフスキー論(『『悪霊』神になりたかった男』)を読むきっかけになったのは、ある学生のレポートだった。もちろん、すでに亀山が『ドストエフスキー父殺しの文学』を出しているのは知っていた。しかし、私はそれを本屋で立ち読…

江川卓の妄説

午前中は家事と勉強。午後、「ギタリストたちの饗宴」(荘村清志・鈴木大介・大萩康司:秋篠音楽堂)に行く。前売券が手に入らなかったので、当日券売り出しの一時間前に行って並ぶ。すでに女性が一名並んでいた。その時間を利用して、昔読んだ中村雄二郎の…

亀山郁夫の狂気

謙遜という言葉が死語になったということで思い浮かべるのは亀山郁夫の一連の発言だ。 木下和郎の言っていることは正しい。次を参照。 http://d.hatena.ne.jp/kinoshitakazuo/20091016 長文だけれど次に掲載されているPDFファイルも参照。144頁目から…

人生永遠の書

正宗白鳥が深沢七郎の「楢山節考」を「人生永遠の書」と評したのはその通りで、何の異論もない。「楢山節考」が発表されたときから古典になっていたことは明らかだ。しかし、この古典を今の読者は理解できるだろうか。彼らの多くにとってちんぷんかんぷんで…

村を過ぎる

親父が死んだのは夕方だった。 こういう場合、私の田舎では普通、遺体を棺桶に入れ、病院からいったん自宅に戻す。そして、翌日、自宅あるいは葬儀場で通夜を行い、その翌日葬式という段取りになる。病院で夕方に亡くなると、その日通夜ができないので、葬儀…

ロシアのゴーゴリという作家に『鼻』という作品がある。うっかり客の鼻をそり落としてしまった床屋が、その鼻を捨てようとペテルブルグの町をウロウロする。最近読み返していないので、うろ覚えだが、鼻をチリ紙みたいなものに包んでそっと道に投げ捨てる。…

キミノヨウニ ヤサシイヒトハ モウイナイ

椎名麟三が1938年から1942年まで勤めていた新潟鉄工の東京事務所は有楽町にあり、椎名はそこで詩人の北川省一とともに働いていた。「椎名さんと最後にお会いになったのは?」という編集者の問いに北川はこう答える。 「私が最後に訪ねた時は、千葉かなんかに…