いやな人には会わない

 いやな人には会わない。いやな人に会うと、必ずグロテスクなことになる。たとえば、わたしはその人に会っている不快さに耐えることができなくなり、アルコールを浴びるように飲み、こちらの精神が崩壊して乱暴狼藉を働くとか、罵声をその人に浴びせるとか・・・と、いうようなことになる。若い頃からそういう失敗(と、いうか、必然というか)を繰り返してきて、あるとき、もう、いやな人には会わないと決めたのである。
 しかし、わたしの孤立した貧しい窮状を見かねて、親切心から、わたしにそういう人に会おうと誘う人もいる。そういうときは、どうするか。会わないのが一番だが、わたしに親切にしてくれるその人に対する義理から、どうしても会わなければならなくなるときがある。
 若いときは、そういう場合、会っても、じっと沈黙を守った。だから、変人だと思われた。それで就職の口を次々に失い続け、ますます貧乏になった。そういうことが長いあいだ続いた。
 しかし、三十過ぎに離人症になり、死にかけ、その病から回復したあとは、いやな人に会うのがどうでもよくなった。つまり、無理をして会わなくてもいいと思うようになった。それで、ますます貧乏になった。しかし、生きていると、どうしても会わなくてはならなくなるときがあるのは変わらず、そういうとき、会うと、必ず、わたしの精神は崩壊し、わたしはますます変人だと思われるようになった。
 わたしはどんな人をいやな人だと思うのだろうか。それはおそらくわたしの自己嫌悪の一種なのであり、わたしの自尊心の病なのである。だから、わたしにはいやな人などいないのだ。わたしはわたしの自尊心の病がいやなのだ。