アイヒマン的なるもの

このブログを始めた理由

なぜこのブログを始めたのか。その理由についてはすでに2013年10月2日の記事で説明している。しかし、今では他の記事に埋もれて読みにくくなっているので、それを複写し、ブログの最初の部分に掲げておこう。最近は日記帳や忘備録みたいになっているこのブロ…

統一教会

いつも行くプールのあるビルの下で元総理の安倍晋三氏が山上某によって射殺された。精神鑑定すべきは山上ではなく、統一教会から利益を得ていた国会議員だ。正気であれば誰でもそう思うはずだ。

タコツボ

昔、木下豊房とともに亀山郁夫のスタヴローギン論や『カラマーゾフの兄弟』の翻訳についてロシア文学会あてに亀山との公開討論を申し込んだ。しばらくすると、討論会をしましょうという返事がロシア文学会から来たのだが、直前になって、木下豊房から討論会…

赤木ファイルの公開

アイヒマンはどこにもいる。あなたもわたしもアイヒマンである。ひとりのアイヒマンを首縊りの木に吊しても、二人のアイヒマンをこの世界から追放しても、三人のアイヒマンに罵声を浴びせても、あなたやわたしがアイヒマンでなくなるわけではない。もうすぐ…

(続)誰が菅総理の声を消したのか

本日おこなわれている衆議院の原子力問題調査特別委員会で、東電の現社長は、菅元総理が誰が菅総理の声を消したのかを東電に再調査するよう求めたのに、それを拒否した。

赤木俊夫の死

2年前、近畿財務局職員の赤木俊夫氏(54)が自ら命を絶った。彼が残したファイルを財務省は公開しようとしない。 赤木氏は財務省、いや、日本の至るところにいる「アイヒマン」の一人になることを拒否し、自死を選んだのである。 世界中に「アイヒマン」…

イラ菅

菅直人は「イラ菅」と呼ばれていたが、彼が苛立っていたのは、わたしのいう「アイヒマン的なるもの」のためだった。彼のその苛立ちは正しかった。その正しさが分からない、あるいは分かりたくない人だけが、彼を「イラ菅」と呼んだ。

読売新聞と産経新聞の誤報

ようやく菅直人の率直な声が聞けた。読売・産経の嘘つき(と、体言止めで書きたくなる)。 菅:・・・というのも、東電は事故が起きてから最初の24時間のテレビ会議の記録を、いまだに公表していないんです。かなりの混乱があり、とても、おもてには出せない…

朝日新聞という病

門田隆将の『新聞という病』という本がよく売れているそうだが、私のこの文章はそれとは関係がない、というか、たぶん根っこのところではつながっているのだろうが、さしあたり、直接、関係はない。 朝日新聞は私がものごろころついた頃から、私のまわりにあ…

いじめ

私は専門のドストエフスキー研究についやした時間よりも不登校とか引きこもりの子供たちや大人たちと付き合った時間の方が長いと思う。そんなことをし始めたのは、私の娘がいじめで不登校になったのがきっかけだが、最初はおそるおそる、そのうち本気で彼ら…

文脈

ある男が詐欺にあった好きな女に「お前はバカだなー」と言うとすれば、この「バカ」というのが「記憶力や理解力が世間一般の人に比べてひどく劣っているととらえられること」(『新明解国語辞典』)という辞書的な意味でないことは明らかだ。しかし、では、…

神聖不可侵なもの

最近、内田樹が「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」という文章を書いていた。私はその文章に違和感を覚えたので、その理由について書いておきたい。なぜなら、その違和感は私が最近の政治状況にしばしば覚える違和感でもあるからだ。 日本人には最期に結論を言うと…

中沢新一と亀山郁夫(3)

これまで見てきたように、中沢新一や亀山郁夫にモラルがないことは明らかだろう。彼らは『地下室の手記』の主人公と同様、自分の欲望を満たすためなら、どんなことでもするだろう。 なぜ彼らはそのような人間なのか。それは彼らに宗教がないからだ。ここで私…

中沢新一と亀山郁夫(1)

中沢新一と亀山郁夫はよく似ている。そう思ったのは、亀山郁夫の『『悪霊』神になりたかった男』(みすず書房、2005)を読んだときだ。亀山のロシア革命を嘲弄した『熱狂とユーフォリア』を読んだとき、すでにそう思ったが、『『悪霊』神になりたかった男』…

アイヒマン的なるもの

小林秀雄が『満州新聞』に一九三七年から一九四〇年に書いた文章が見つかったというので、その文章が掲載されている雑誌『すばる』(2015年2月号)を購入した。感想から先に言うと、これまで読んできた小林の文章と同じもので、新しい事実は何もなかった。そ…

何を書くか

わたしが下らないと思う作家は、前に述べたように、間違ったことを書き、その間違いを他人から指摘されても訂正も謝罪もしない、厚顔無恥そのものの作家だ。それは誰かと問われれば、わたしは即座に十人以上の作家や学者を挙げることができる。そのような作…

匿名について

私がこんな風にブログを書き始めることになったのは、ドストエフスキーについて意見を交換している、ある掲示板を読んだからだ。それまで私はインターネットの掲示板というものにあまり関心がなかった。インターネットを使うのは、メールを書いたり、研究の…

カナリアとしてのドストエフスキー論

これまで亀山郁夫のドストエフスキーの翻訳やドストエフスキー論を読んできて痛感したのは、「いくらなんでもここまではしないだろう」という一線を亀山が平気で踏みこえてしまっているということだ。たとえば、亀山による『悪霊』のマトリョーシャ解釈や『…

野村修也委員に委員の資格はあるのか?

前回述べたように、国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)での質疑応答を聞いてきた私は、その二回目の、論点整理(平成 24年 6月 9日発表)に非常に驚き、同時に、怒りを覚えさえした。その怒りの理由について前回は詳しく書けなかったので…

誰が菅総理の声を消したのか

私が怪我をし手術を受け入院しているあいだに、「国会事故調」(「国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」)の二回目の聞き取り調査も一巡し、委員会の委員によって第二回目の論点整理が行われた。しかし、それは論点整理とも言えない杜撰なものにな…

昭和天皇が亡くなる直前のマスコミと菅包囲網

このブログはある理由のため、しばらく休むつもりでいたのだが、朝日新聞の秋山惣一郎記者の菅批判があまりにも狂った代物だったので、黙っていることが不可能になり、思わずその菅批判について書いてしまった。書いてしまうと、もはや菅擁護の気持は押さえ…

金光翔への集合暴力(1)

前回「コップの中の嵐」で、次のように述べた。 言うまでもないことだが、長瀬が私に対して集団で行おうとしたことこそ、ジラールが繰り返し論じている模倣の欲望による集合暴力なのである。自分の自尊心に気づいていない集団の成員が、結局そのため、模倣の…

コップの中の嵐

長瀬隆からの返信を一ヶ月待っているが、来ないので、この文章を書く。ドストエフスキーに関心のない人にはつまらないコップの中の嵐だろう。しかし、ジラールのいう模倣の欲望を明らかにしている話だと思うので、ドストエフスキーやジラールに興味のある人…