土壌主義

松本人志

松本人志氏がスキャンダルを起こして週刊誌で叩かれている。わたしはそのこと自体にはあまり興味を覚えない。漫才師にモラルを求めるのは、魚屋に肉を売れと言うようなものだ。しかし、あることについて不愉快になった。 それは、youtubeである人が松本人志…

和文和訳

昔、翻訳というものはしょせん、どう転んでもニセモノである、ということを森有正が言っていたので、わたしはあまりにもひどい翻訳は別として、だいたいどんな翻訳でも許容することにしている。 それでも、先行訳の誤訳をそのまま写している、言うなら「和文…

野いちご

ベルイマンの映画『野いちご』で、主人公の老教授イサクは或る詩を口ずさみはじめるが、途中で詩の文句を忘れる。すると、彼を囲んでいた行きずりの若者たちがその詩を続ける。その詩は或る人のブログ(https://yojiseki.exblog.jp/11966306/)によれば、こ…

土壌主義

拙著『ドストエフスキーのエレベーター――自尊心の病について』で述べたように、ドストエフスキーがアポロン・グリゴーリエフと共に唱えた土壌主義とは、社会の最底辺に生きる人々とともに生きることです。つまり、昇りのエレベーターから降り、自らそのよう…

武田泰淳と古井由吉

武田が古井に「(演歌を)自分で歌いますか」と訊くと、古井が「歌います」と答える。すると、武田が「うん、それは話しやすい」という(『生きることの地獄と極楽――武田泰淳対話集)』(勁草書房、1977、p.96)。ドストエフスキーだって、日本人だったら演…

お前はアホか

わたしは常々、左翼、中道、右翼という分け方に疑問を抱いていて、それをやめて別の言い方で人間を分けたほうがいいと思ってきた。なぜなら、左翼でも右翼でもアホな人はアホだし、そうでない人はそうではない。ここでアホとわたしが言うのは、同調圧力に弱…

フェミニズム、マルクス主義、土壌主義

このブログの「吉本隆明の亀山郁夫批判」でも述べたように、ドストエフスキーの唱えた土壌主義というのは、貴族である自分を養い育ててくれた人々(農奴や労働者)に対する恩を忘れないということにすぎない。もっと理屈っぽい言葉で言うなら、そのような人…

吉本隆明の亀山郁夫批判

テレビで亀山の「100分de名著」を見ていて、吉本隆明の「大衆の原像」という言葉を思いだした。それは亀山がドストエフスキーの土壌主義のことをのべていたからだ。 このブログ(「第二の敗戦期」)でも紹介したが、吉本は亡くなる前、亀山の訳した『カラマ…

小津安二郎事件

(なぜか投稿が消えてしまったので再投稿します。「きのうの授業」というのは13日の授業のことです。) 忘れないうちにメモをしておきますが、きのうの授業のあと、ある人からわたしが授業で、小津安二郎の映画を否定的に扱ったと言われ、驚きました。わた…

コヘレト

きょうはカトリック尼崎教会で、小川正巳先生のお通夜だった。享年97歳。先生は私の親父と同じ年に生まれた。私の親父は70過ぎに亡くなったが。 小川先生に入れといわれて私が入った文芸同人誌の『たうろす』の同人は、遅れて中尾が来たのみ。中尾によれ…

「謎とき」シリーズがダメな理由(4)

ソシュールが右翼? 今から考えると、離人症から私が癒えはじめたとき、つまり「[file:yumetiyo:森有正、そして小説について.pdf]」で述べたような出来事が私に生じたとき、私は「自尊心の病」から癒えはじめたのだと思う。言い換えると、60年安保で逮捕さ…

冨原眞弓様に

次の手紙は岩波書店の文庫係気付で冨原眞弓氏に送った手紙だ。しかし、二ヶ月近く経つのにナシのつぶてだ。手紙が冨原氏に渡っていないのか。それとも冨原氏が目下調査中なのか。いずれにせよ、このままだと私自身送ったことを忘れそうなので、忘れないうち…

西部邁と大審問官伝説

前回西部邁がドストエフスキーと同じ立場に立つ思想家だと述べたが、その言葉の意味を理解することができない人がいるかもしれないので、もう少し説明を加える。 と言っても、この説明はじつに簡単だ。西部の著書のどこを開いてもドストエフスキーの思想に出…

西部邁とドストエフスキー

私が西部邁を尊敬するようになったのには二つ理由がある。 ひとつは西部が『大衆の病理』(NHKブックス、1987)や『白昼への意思――現代民主政治論』(中央公論社、1990)などで述べている大衆批判やメディア批判に深く共感したからだ。ここで批判している…