文は人なり

或るとき、と言っても、わたしがずいぶん若い頃だが、トルストイドストエフスキーの翻訳をしていた工藤精一郎氏から「これを読め」と言って、一冊のソ連の文学雑誌(『文学の諸問題』だったか?)を渡された。そこにはショーロホフが盗作作家だということが書いてあった。詳しい内容はもう忘れたが、『静かなるドン』だけではなく、彼のそれ以外の作品も盗作だというのである。わたしはあまり驚かなかった。なぜなら、全体主義国家であったソ連太鼓持ちになっていたショーロホフに、なぜ『静かなるドン』のような作品が書けるのかと疑問に思っていたからだ。文は人なり、なのである。