森有正

書かなければならない本当に大切なこと

微熱があるので何をする気にもならず、しかし、洗濯と掃除だけはしなければならないので、朝のうちにやり終え、あとはうつらうつらしながら、昨日受講生の方からいただいた『共助』(基督教共助会出版部)の「森有正追悼号」(1977年2月号)などの複写を読ん…

吉本隆明の亀山郁夫批判

テレビで亀山の「100分de名著」を見ていて、吉本隆明の「大衆の原像」という言葉を思いだした。それは亀山がドストエフスキーの土壌主義のことをのべていたからだ。 このブログ(「第二の敗戦期」)でも紹介したが、吉本は亡くなる前、亀山の訳した『カラマ…

ソンタク

人は自分で自分のふるまいを見ることはできない。したがって、日本人は永遠に「ソンタク」とは何かということを定義することはできない。「ソンタク」とはまさに日本的構造であり、それは日本人の行動全体を規定している。「ソンタク」という言葉を言い換え…

無神論者、それも徹底的な

アナーキストの椎名其二については「ドストエフスキー研究者 松尾隆の評伝」でも少し触れたが、椎名は日本が先の戦争中、妻の母国であるフランスにいた。 椎名は石川三四郎や大杉栄の友人だった。椎名はフランスにとって敵国の外国人であったので、収容所に…

どしゃ降りの一車線の人生

森有正はそのドストエフスキー論で、人生は邂逅(かいこう)、つまり、出会いだという。私もそう思う。邂逅によって、人生が決まる。とくに学校の先生との出会いは大事だと思う。私ひとりの狭い経験にすぎないが、これまで不登校や引きこもりになった子供や…

続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(1)

読者なのか作者なのか、はっきりしろ! 大学などで禄を食む文学研究者の書いた論文を読むと、しばしば、「それがどうした?」という気持になる。要するに、中途半端なのである。「あんたはこの作品を読者として読むのか、それとも作者として読むのか、どっち…

「謎とき」シリーズがダメな理由(6)

「ラスコーリニコフ=666」説が無意味である理由 芸術作品を受容するときに私たちが取るべき態度は、森有正の次の言葉に尽きている。 どこでだったか、今ではすっかり忘れてしまったが、どこかフランス以外のところで、あるいはイタリアだったかもしれな…

「謎とき」シリーズがダメな理由(5)

和洋折衷のコミックバンド すでに述べたように、小林秀雄のいう「「アキレタ・ボーイズ」という和洋折衷のコミックバンド」のひとつである江川・亀山コンビが読売文学賞を受賞した。これはそのコミックバンドが社会的に認められたということを意味する。誰が…

「謎とき」シリーズがダメな理由(3)

離人症患者なのに この連載の第一回で「森はソシュール言語学の正しさを一生を棒に振って証明しただけだ」と述べた。ソシュールの言語学によれば、というか、死産児ではなく、常識が損なわれていないとすれば誰でも分かることだが、われわれが言語の壁を越え…

「謎とき」シリーズがダメな理由(1)

はじめに 鬼束ちひろの「月光」という歌は、こんな風に始まる。 I am GOD'S CHILD(私は神の子供) この腐敗した世界に堕とされた How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろと言うの?) こんなもののために生まれたんじゃない (『や…