全体主義に抗する

 「芸術とは何か」で述べたように、私はどのような経験も否定しない。すなわち、その経験の担い手である誰をも否定しない。しかし、私がどうしても否定せざるをえない一群の人々がいる。それは自分が容認できない人々を否定する人々だ。たとえば、自分と同じ思想をもたない人々を粛正してゆくスターリンのような人々。また、粛正しないまでも、自分の容認できない人々を社会的に抹殺しようとする人々。すると、私自身、すべての人がどのような人も否定してはいけないという思想をもっていることになる。これこそ私の恐れる全体主義的な思想だ。私は結局、構造的には、自分と同じ思想をもたない人々を粛正していったスターリンがもっていた思想と同じ思想をもっていることになる。
 このような全体主義的な思想から身をもぎ離すのにはどうすればいいのか。答はひとつしかない。それはスターリンのような全体主義者によって自分が粛正されるのを容認すること、これしかない。これが無(ケノーシス)を身にまとうということだ。これは思想でさえない。なぜなら、それは無であるのだから。このような非暴力しか暴力を収束させることはできない。