歴史について 

 次の文章は、パリに亡命していたロシアの哲学者ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ベルジャーエフが1934年に書いた、『現代世界における人間の運命』(野口啓祐訳、社会思想社、1957)です。ここでベルジャーエフは、ヨーロッパ流の民族主義、とくにナチス・ドイツの発生を憂いながら、同時に、「ヨーロッパ文明のもっとも下劣な部分だけを身につけ」ておどり出てきた日本人などに対する恐怖を述べています。そして、こんなことになってしまったのは、西欧の人々がキリスト教精神を喪失し、東洋人を搾取してきたからだ、と述べています。数は少ないとしても、今もこのベルジャーエフのような、西欧諸国の東洋やアフリカに対する犯罪行為を明瞭に意識している人はいると思います。個人としてであれ集団としてであれ、われわれひとりひとりが、このような歴史意識の中で生きることこそ、他の民族との和解の道をさぐる上でもっとも重要なことだと思います。歴史を忘れるとき、自民族を過大に評価し、自己正当化し、再び他民族とのあいだに争いの種をまき始めます。

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 ここで、西欧人はあらためて、東洋人にたいする過去の悪行(あくぎょう)を反省してみる必要がある。西欧のキリスト教徒が東洋の異教徒にとった態度は、お世辞(せじ)にもキリスト教的とはいえなかった。もちろん、東洋に来訪した宣教師のなかには、本当に英雄的な行為を示したひとがいなかったわけではない。しかしながら、一般的にいって、過去における西欧は、東洋民族にたいし、かならずしもキリスト教的精神をもって臨んだとはいえない。そして、その罰は、西欧人に覿面(てきめん)に下ったのである。もしも、西欧が今後もキリスト教国として存在するつもりなら、東洋にたいしても、みずからキリスト教徒として接しなければならない。今迄(まで)と同じように、相変(あいか)わらず東洋人を搾取(さくしゅ)するならば、それは取り返しのつかない過失(かしつ)となるであろう。白色人種は有色人種にたいして、いつまでもすぐれた文明の取次人(とりつぎにん)となってはいられないのである。中国人も、インド人も、日本人も、アフリカ人もみな懸命(けんめい)に西欧文化を模倣(もほう)している。かれらは唯物論(ゆいぶつろん)を学び、ヨーロッパ流の民族主義を勉強している。しかし、かれらのうちで、キリスト教的な真理の光を採っているものは非常に少い。すでに東洋の古代宗教は滅び、かつてはブルジョワ的、唯物論的ヨーロッパよりはるかに精神的であったヒンズー人でさえが、物質文明のとりこになっている。こうして、ヨーロッパの全人口をはるかにしのぐ巨大な民族のかたまり(注:訳文では「かたまり」に傍点)が、世界史上におどり出た。しかも、ヨーロッパ文明のもっとも下劣な部分だけを身につけておどり出たのである。このために、現代の危機は一層激化され、混乱は全世界をおおうている。恐るべき事態がいつ発生するか、予断を許さない情勢となったのである。(注:最近、漢字を知らない人が増えてきたので、失礼とは思いましたが、漢字にふりがなをつけました)