続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(1)

読者なのか作者なのか、はっきりしろ!

 大学などで禄を食む文学研究者の書いた論文を読むと、しばしば、「それがどうした?」という気持になる。要するに、中途半端なのである。「あんたはこの作品を読者として読むのか、それとも作者として読むのか、どっちなんだ。はっきりしろ!」と言いたくなるような論文がじつに多い。そんな論文を書く人は、小説や詩を書くということがどういうことなのか、何にも考えたことがないか、考えたことがあるが、考えていると論文が書けなくなるから考えないふりをしているかだろう。
 昔、学生の頃、神戸の『たうろす』という同人誌で編集手伝いをしていた頃、何を間違ったのか、その手の論文を掲載してほしいと言って持ってくる大学の先生がいた。断ればいいものを、私にはその理由が分からなかったが、誰かの紹介だということで掲載ということになった。結局、その論文の著者は高い掲載料をふんだくられたあげく、合評会では「死んだほうがましとちゃいますのん?」と言われるのと同じような罵詈雑言を浴びせられた。
 合評会は熱燗の日本酒を飲みながらやり、最初に詩の批評をやり散文はあとに回されることになっていたから、散文の合評をやる頃には、同人の半分ぐらいは酔っ払っている。口の悪いやつほど酒癖がわるいので、いや、酒癖がわるいやつほど口が悪いので、その先生の論文の合評をやる頃には、酒に火、いや、火に油をそそぐという風で、阿鼻叫喚と言ってもいいようなむごたらしい風景になった。当然のことながら、そういう目にあった先生はムンク「叫び」のような顔になったまま帰り、二度と来なかった。と書くと、面白おかしく書いているんだろうと疑われるかもしれないが、私はまだ抑制して書いているつもりである。事実はもっとひどかった。私はその先生が阪急六甲で久坂葉子みたいに電車に飛び込まないか心配した。
 なぜ、その先生は集中砲火を浴びたのか。それはやはり始めに言ったように、「あんたはこの作品を読者として読むのか、それとも作者として読むのか、どっちなんだ。はっきりしろ!」という点がはっきりしない論文であったからだ。
 すでに述べたことを反復するが、読者として読むのなら次の森有正のように読まなくてはならない。

 どこでだったか、今ではすっかり忘れてしまったが、どこかフランス以外のところで、あるいはイタリアだったかもしれない、ぼくはある女体の彫像を見ていた。その作品はいくら見ていても倦きないほどぼくをひきつけた。ぼくは何度もそのまわりをまわった。ぼくには、その彫像の美しさにひかれると共に、そのひかれる根拠のつかめない焦燥の念があった。それで何度もそのまわりをぐるぐるまわり、終いに疲れてしまって、部屋の隅にあった椅子に腰をおろした。その瞬間にぼくは、自分が同じような経験を何度もしたことを思い出した。それは、ある時はカテドラルであった。ある時は一個の彫刻、ある時は一枚の絵であった。明るい太陽をうけて真自に輝くシャルトルの大伽藍、鳩の群がる外陣部のほうから斜めに見える実に密度の高い、しかも均整のとれたパリのノートル・ダムのうしろ姿、モンパルナスのアトリエにあるひなびてしかも高貴なプールデルのサント・パルプ。ルーヴルにあるアヴィニオンのピエタ、その他、数かざりない同じような経験がにわかによみがえってきた。
 そこには一つの共通した事態があった。限りなくひかれながら、そのひかれる根拠が深くかくされている、というその事態であった。その瞬間にぼくは、自分なりに、美というものの一つの定義に到達したことを理解した。それは、ぼくにとって、人間の根源的な姿の一つであった。それはそれで一つの理解ではあろうが、ぼくにとって一番大切だったのは、そういう数かぎりのない作品が、一つ一つ美の定義そのものを構成しているのだ、という驚くべき事態であった。換言すれば、一つ一つの作品が、「美」という人間が古来伝承してきた「ことば」に対する究極の定義を構成しているという事実だった(「霧の朝」)

 要するに、私がこの森の文章を引用しながら言いたいのは、芸術作品の場合、作品全体が作品の美を定義しているのであって、作品外の知識はその作品の受容を妨げる雑音にすぎないということだ。たとえば、その作品は何年に出来たとか、作者はこういう人間であったとか、この作品は別の作者のこれこれという作品の影響を受けているとか、というような知識は雑音にすぎない。言うまでもないことだが、小説や詩もまた言語で作られた芸術作品だ。だから、私たちはすばらしい作品に出会うと、森のように振る舞う。

ぼくには、その彫像の美しさにひかれると共に、そのひかれる根拠のつかめない焦燥の念があった。それで何度もそのまわりをぐるぐるまわり、終いに疲れてしまって、部屋の隅にあった椅子に腰をおろした。

 このことが分からない人があまりにも多い。何度言っても分からない。だから、私は何度も繰り返して言うのだ。この森に起きたことと同じことが私たちが文学作品に出会ったときにも起きるのだ。私の例を挙げると、たとえば、何の予備知識もなく、朔太郎の『月に吠える』を初めて読んだとき、ドストエフスキーの『貧しき人々』を初めて読んだとき、私は森と同じような気持になった。だから、他の人も同じではないかと私は想像する。そして、この鑑賞者としての立場はそのまま作者の立場でもある。つまり、作品が完成してしまえば、作者は鑑賞者としてその作品を鑑賞するだけになる。もちろん作品を制作してゆく過程では、作者は制作者であるとともに鑑賞者となる。未来のあり得べき完成した作品を思い浮かべながら制作してゆくのだ。この制作者と鑑賞者の往復運動が、作品の完成とともに終結し、作者は鑑賞者になる。これが作者と作品の臍の緒が切れるということであり、作品が別の生き物になるということだ。
 従って、完成した作品について言えば、鑑賞者と作者のあいだに違いはない。作者自身、自分の作った作品ではあるが、自分以外の不思議な力が加わって出来た作品(作品とはそういうものだが)であるとすれば、先の森と同じように自分の作品に「ひかれる根拠のつかめない焦燥の念」に襲われるだろう。
 だから、作者ではない、鑑賞者がある完成した作品について論じるときは、その完成した姿だけについて論じるべきなのだ。森が言うように、その作品の美を定義しているのは、その作品だけだ。「「リアリティ」とは何か(2)」で述べたように、作品鑑賞において、鑑賞者の経験が反復・変容される。従って、作品鑑賞においては、鑑賞者の過去の経験も含めた全体が作品と対話を行うのだ。
 この対話において、たとえば亀山が『謎とき『悪霊』』で依拠しているミラー(Miller R. F., Imitations of Rousseau in The Possessed, Dostoevsky Studies, vol.5, 1984)のように、『悪霊』のステパン先生とルソーの類似に気づき、両者の影響関係を比較文学的な手法で論じるのは、私は無意味な研究だと思うが、まあ認めるとしよう。しかし、それは「謎とき」とは違う。ミラーは『悪霊』の「謎」を解いたわけではない。それに、そもそも『悪霊』に「謎」などない。あるのは、『悪霊』の美(あるいは価値)が生まれた根拠が分からないということだけだ。
 同じことを繰り返すが、『悪霊』の美(あるいは価値)を定義しているのは『悪霊』という作品だけだ。『悪霊』がなぜ面白いのかという理由は『悪霊』そのものの中にしかない。それが森の言う、ある作品に「ひかれる根拠」だ。また、その根拠について論じるのが鑑賞者の立場なのである。また繰り返して言うが、このとき作品と鑑賞者の対話が行われ、鑑賞者の経験全体、つまり存在そのものがその対話に参加する。これが私のいう作品鑑賞における鑑賞者の経験の反復・変容なのである。また、このような事態を指して、私は「自分の全存在をかけてドストエフスキーと向き合う」と言うのだ。鑑賞者としてはこれ以外の立場は取り得ないのだ。
 一方、作者の立場はふたつある。ひとつは、いま述べた完成した作品の鑑賞者としての立場で、これは一般読者の立場と同じだ。
 もうひとつは、制作の途上にある作者の立場だ。要するに、どんな風にある作品は書かれたのかを探る作業だ。これは作者としては重要なことで、自分以外の小説家がどんな風に小説を書いているのかを研究するのは非常に参考になる。特にドストエフスキーほどの小説家になると、彼の作品がどのようにして作られていったのかについて強い興味をもつ小説家は多いだろう。だから、多くの小説家たちがドストエフスキーの創作ノートや手紙などを読み込むのである。たとえば、中村真一郎埴谷雄高や木寺黎二との鼎談(昭和23年)で次のようにいう。長いけれど全文引用する。

中村:だから、あれ(ドストエフスキー:萩原)はヴィジオネエル(ポー、ボードレール、朔太郎、梶井基次郎のような幻視者のこと:萩原)だと思う。結局、作家としてヴィジオネエルとはどういうことかというと、小説構成なんかにも非常に大きな力をもってる場面が見えてきて、人間が自動的に動く。しかも、そうしてまわりがだんだん先に進んでいくから、作者がいちばんはじめに手をつけるときには、その人間がどう生きて行くかわからない。だから『白痴』でも、ムイシュキンとラゴージンが同一人で、それがだんだんわかれていくというように、そういうことはヴィジオネエルの一つの特徴だと思う。日本のドストエフスキイの影響を受けている作家には――その点が貧しいのではないか。そういう人間が出て来て、見えてきて、だんだんだんだんそれ自身で動きだしていく。しかも動きだして、わかれていく行き方は、ずいぶん夢やなんかでぼくたちが体験しているものに似ている。論理的に展開していくのではなくして、なにか複雑な、なまな、整理されないままに全部動いていく。それがドストエフスキイの作品に、大きくふくれていきながら、むりがなくて、つくりものの感じを与えない。そういう夢の中にあるような、非常にわかりにくい、全部の無意識がうしろを支えているような発展、そういうものが日本の作家にはない。だから、ドストエフスキイは観念的ではないのに、ドストエフスキイの影響を受けた者は観念的になる(ここは鼎談者である埴谷の『死霊』を批判しているのだろう:萩原)。そういう構想に、ヴィジオネエルのそういう影響を受けていない。もっとも、そういうものは影響を受けられるものかどうかわからないが・・・。だけどドストエフスキイのノート(創作ノートのこと:萩原)をわきに置いて小説を読んだら、でき上がったものだけ読むのと、消してしまった、いくつかの仕事をやったノートをわきに置いて読むのとでは、作品の感じがずいぶん変わってくるんじゃないかと思いますね。だから、ドストエフスキイの作品を読むより、むしろノートを読むことのほうが作家にとっては非常に役に立つんじゃないかと思う。
木寺:賛成だな。(『埴谷雄高ドストエフスキイ全論集』、講談社、昭和54年、p.821)

 この最後の中村の「ドストエフスキイの作品を読むより、むしろノートを読むことのほうが作家にとっては非常に役に立つんじゃないかと思う。」という言葉がすべてを言い尽くしている。
 どんな風にある作品が作られてきたのかということは、小説家だけに参考になることであって、それ以外の者には何の役にも立たない。いや、これから小説家になろうという者にも役に立つだろう。しかし、小説家になる気もない大学の先生や学生にとってそんなものが何の役に立つというのか。だから、講義で、創作ノートや同時代人の証言などを引用しながら、「えーと、作品のここのこの箇所はこういう意味なのではないかと思いますが」などとやれば、学生から「それがどうした?」と言われてもしかたがないのだ。
 まして、その手の論文(読者の立場から論じているのか作者の立場から論じているのか分からないような論文)を大学紀要に載せ、その論文の存在が忘れ去られることをひたすら願うのならともかく、その論文の無意味さに気づかず、小説家や詩人を目指している連中のいる同人誌に持ってきて載せるすれば、罵倒されるのが当然なのだ。
 これまで述べたことを要約する。
1)文学作品を読んだり論じたりするときは、その作品によって定義されている美あるいは価値だけを論じなければならない。
2)ある文学作品がどんな風に作られてきたのかということと、その完成された作品が定義する美あるいは価値とは無関係だ。従って、創作ノートや手紙などによってその完成された作品の「謎とき」をしながらその作品の美あるいは価値を論じてはならない。
3)小説家あるいは小説家志望の者にとってのみ、ある文学作品がどんな風に作られてきたのかということが参考になる。このことを忘れて、ある文学作品がどんな風に作られてきたのかということを研究するとすれば、たんなる研究のための研究になる。
 以上のことを念頭に置きながら、亀山郁夫の『謎とき『悪霊』』批判を続けてゆこう。
 言い忘れたが、以上で私が言いたかったのは、亀山の書くドストエフスキー論は、以上のような、ある種の文学研究者が書く論文のカリカチュアだということだ。ある種の文学研究者の書く論文の特徴を写楽の絵のようにグロテスクに引き延ばせば、亀山のドストエフスキー論になる。