続々・「謎とき」シリーズがダメな理由(3)

タイム・テーブルの話

 『謎とき『悪霊』』は107ページから「運命的な一日」と題して、ワルワーラ夫人とその息子ニコライ(スタヴローギン)の話に移る。このあたりの亀山の説明はいたって平凡で、『悪霊』を読めば分かることが述べられているだけだ。
 ただ、このあと、いつもの「謎とき」が始まる。
 たとえば、亀山はマリアが髪に「バラの造花」が挿しているという点を取り上げ、それを作者がそのことによってマリアに「バラの聖母」のイメージを喚起するためだという。へえ、あのカトリックの聖母のイメージをねえ?どうして?という疑問が湧くが、答は書いてない。私が読み落としたのだろうか。マリアはカトリックなのだろうか。だったら、なぜロシア正教会の教会に来たのか。変じゃないのか。変だから来たのか。
 私はマリアが髪にバラの造花を挿している姿を想像して、狂女にはぴったりの姿だと思うだけだ。
 次に亀山は教会から十字架が運び出されてきたことに注目し、マリアとワルワーラ夫人が教会で出会った日が、ロシア正教会の十字架挙栄祭であったという。これはそうだろうが、驚いたことに、亀山はその日をユリウス暦の9月14日だという(pp.114-115)。しかし、十字架挙栄祭は9月27日と決まっている。19世紀では、ロシアの旧暦(ユリウス暦)とヨーロッパの新暦グレゴリウス暦)の差は12日あるから、たとえば、ユリウス暦の1869年9月27日はグレゴリウス暦の10月9日になる。次に参考のために『ロシア・ソ連を知る事典』(平凡社、1997、pp.217-218)の内容を、私なりにアレンジして紹介する。

ロシアでは10世紀末のキリスト教化によってビザンチンの宇宙開闢紀元がもちいられ、旧約聖書に従って、天地創造を西暦紀元前5508年に定めた。この暦をユリウス歴(いわゆる「旧暦」)に改めたのはピョートル大帝で、7208年12月31日の翌日を、(7208−5508=)1700年1月1日と定めた。ヨーロッパでは1582年以来ユリウス歴に代えてグレゴリウス暦(いわゆる「新暦」)を用いていた。旧暦では新暦より、18世紀で11日、19世紀で12日、20世紀で13日後れる。たとえば、作家のトルストイの誕生日は旧暦で8月28日だが、新暦では9月(12−3=)9日に祝われる。ユリウス歴がグレゴリウス歴に改められたのはロシア革命(1917年の十月革命)後で旧暦の1918年2月1日を2月(1+13=)14日とした。(中村喜和による)

 言うまでもないことかもしれないが、19世紀のロシア正教会ユリウス暦を使い、ヨーロッパのカトリックグレゴリウス暦を使っていた。
 十字架挙栄祭がユリウス暦の9月14日に行われたと亀山がいうのは、亀山によれば、1869年の9月14日がユリウス暦で日曜日に当たるからだ。その日だと、日曜日なので十字架挙栄祭が可能だというのだ。
 要するに、ドストエフスキーは必要があって、現実にはあり得ないが、フィクションとして、十字架挙栄祭をユリウス暦9月14日に設定したと亀山はいう。なぜか。それは、グレゴリウス暦9月14日がカトリックの十字架称賛祝日(ロシア正教の十字架挙栄祭に相当)に当たるからだと亀山はいう。要するに、「グレゴリウス暦ユリウス暦」という風に、暦だけ変えて、日を同じにしたと言うのだ。
 ドストエフスキーはなぜそんなことをしたのか。亀山によれば、ドストエフスキーが本来ユリウス暦1869年9月27日に行われるロシア正教の十字架挙栄祭を、小説では9月14日に行わせたのは、
(1)スタヴローギン(ギリシャ語で十字架を意味する「スタウロス」から派生した姓)の反キリスト的性格を強調するため、つまり、ドストエフスキーカトリックを反キリスト的な堕落した組織だと思っていたため、
(2)『悪霊』の物語にスタヴローギンが登場する日であったため、
(3)娘リュボーフィの誕生日(9月14日)を祝うため、
だということだ。
 (1)と(2)の理屈が分からない。なぜ、マリアとワルワーラ夫人が教会で会った日、そして『悪霊』にスタヴローギンが登場した日が9月14日だと分かるのか。常識的に考えれば、それは9月27日だと当時のロシア人なら思うのではないのか。これはたとえば、私たちにとって、元旦が1月1日ではなく、12月15日だと言うようなものだ。9月14日に十字架挙栄祭が行われたと知れば、当時のロシア人たちは腰を抜かしただろう。いくらフィクションだとはいえ、あり得ない話だ。小説は現実を反復・変容するのだ。
 それに、スタヴローギンという姓がギリシャ語の「スタウロス」から派生したということはジラールを始め多くの人がすでに言っていることだし、スタヴローギンが無神論者だということも『悪霊』を読めば分かるので、変な謎をかけて強調する必要もないだろう。それに、ドストエフスキーが、スタヴローギンの反キリスト的な悪魔的性格を強調する話と愛娘の誕生日を結びつけたりするものだろうか。私ならそんな非常識なことはしない。
 いずれにせよ、私には亀山の言うことがまったく理解できない。
 ところで、亀山はサラースキナの作成した『悪霊』のタイム・テーブル(年表)に従って話を進めているようだが、私が授業で配布するタイム・テーブルは彼女のものとは違う。違うのが当然だ。私はサラースキナではないからだ。読み方が違えば、タイム・テーブルも違ってくる。私は先のマリアとワルワーラ夫人が出会った年を1869年ではなく、1870年と設定した。こうしないと、他の事象とつじつまが合わなくなると考えたのだが、本当のことを言えば、こんなことはどうでもよいことだ。なぜなら、ドストエフスキーが叙述する小説の時間は伸縮自在の仮構の時間であるからだ。読者によってその受けとめ方はそれぞれ異なる。
 だから、私のように、マリアとワルワーラ夫人が初めて会った年が1870年だとすれば、亀山の計算は合わなくなる。しかし、何度も言うが、そんなことはどうでもいい。
 また、たとえ「スタヴローギン」という姓がギリシャ語で「十字架を背負う者」ということを意味している(ルネ・ジラール、『地下室の批評家』、織田年和訳、白水社1984、p.106)と知らなくとも、そんなことは『悪霊』を読めば分かることだ。スタヴローギンという名前が重要なのではなく、スタヴローギンという存在を定義する『悪霊』という作品が重要なのだ。
 従って、何度も言うように、「謎とき」ではなく、「自分の全存在をかけてドストエフスキーと向き合う」ことだけが重要だ。