「藤枝静男訪問記」他

 高山学氏から氏の書かれた「藤枝静男訪問記」(『MILKY WAY』No.2、みろくさんぷ、2013/5/15、p.1)と「藤枝静男訪問記・アンコール.pdf 直」(『MILKY WAY』No.3、みろくさんぷ、2013/9/30、p.3)を頂いた。これは高山氏が静岡のフリーペーパーに藤枝静男訪問記を書いていると述べておられたので、私が高山氏に読ませてくれとねだったからである。
 一読して胸騒ぎを覚えた。高山氏の文章にではない。そこに記録されている藤枝静男の言葉に胸騒ぎを覚えたのである。捨てなければよかった。私はそう思い、胸騒ぎを覚えたのだ。これではまるで別れた女に偶然出会い、ああ、別れなければよかった、と思うのに似ている。思いを断ち切ったはずなのに、ふと出会い、やはり思いは断ち切れていなかったと分かる。
 三年前、私はこれまで集めてきた藤枝静男の著書をすべて捨てた。これまで引っ越しするときも捨てないで持ち続けていた、かなりの数の本だ。なぜ捨てたのか。それはもう読み返さないと決めたからだ。もう分かった。藤枝さん、私はあなたのことがようく分かった。もういいです。と思って捨てたのである。
 古本屋は金も払わず黙って持っていった。ひとこと、有り難うございました、ぐらいは言ってくれてもよさそうなものなのに、いかにも変なものを集めやがって、という顔をした。そして、「先生、こういうものは当節誰も読まないんですよ」と言いやがった。「世の中は電子ブック時代ですからな」とも言いやがった。この野郎。古本屋に恨みはない。藤枝静男を忘れるような世の中にハラが立つだけだ。
 高山氏の文章に藤枝静男の吐いた片言隻句が記録されている。
 藤枝静男を訪問した高山氏に藤枝は、自分が午前中に署名した多数の自著に驚きながら、
 「ところで君の作品はどれだったかな」と訊く。老化が進み、記憶力が衰えているのだ。それに対して、高山氏が、
 「いえ僕は今春、地方の大学病院の精神科へ入局する者で先生のファンです、きょうは署名をいただきに参りました」と言うと、藤枝は、
 「精神科はたいへんだなぁ」と言い、さらに、「だいいちなおらないだろう」と言う。そして、「まあ、医者をやるなら、眼科だなぁ」と言う。藤枝は眼科医なのである。
 これこそまさに藤枝静男だ。平野謙が藤枝を評して、自分の書く評論なんかより藤枝が残るよ、と言った藤枝なのである。
 ところで、高山氏が記録された藤枝静男の言葉の中でもっとも印象に残ったのは、
 「自分がやれないことをやろうとしても、できるわけがないだろう」という言葉だ。
 この断念の切れ味、これこそ藤枝静男なのである。このような藤枝に後押しされるような形で、他にやるべきことがある私は藤枝を読むのを断念したのだった。