埴谷雄高

 私は埴谷雄高の書くものを一度も良いと思ったことがない。初めて読んだ埴谷の本は『闇の中の黒い馬』だった。私の好きな中村光夫がラジオで誉めていたので買ったのだ。それに、当時、私の家で居候をしていた従兄弟が「はにや、はにや」といつも神さまのように言っていたからだ。
 その従兄弟は大阪の酸素会社で組合活動をし、首になり、私の家で教員になる勉強をしていた。そのあと試験を受けて中学教師になるとすぐ代々木の党員になり、八鹿高校事件で活躍した。それで疲れ、ガンで若死にした。私が看病をしていると、「何か読むものはないか」と言うので、当時代々木にいじめられていた私は底意をもって、いつも読んでいた貝塚茂樹訳の『老子』を渡した。読んで、「しまった、しまった」と言いながら、亡くなった。悪いことをしたと思った。従兄弟は老子が分かったのだ。ちょっと誇張して書いたが、だいたいこういうことがあった。
 『闇の中の黒い馬』は大きな重い本で、当時の私には高価であった。寝転がって本を読む習慣のある私には不向きの本だった。しかし、ともかく読み終え、落胆した。どこがいいのか、さっぱり分からなかった。そのあと、従兄弟のもっていたマルクス主義関係の本やアナーキズム関係の本を借りたとき、ついでに埴谷の本も何冊か借りた。これも読んだけれど、どこが良いのかさっぱり分からなかった。その後、ドストエフスキーを研究するようになってから埴谷のドストエフスキー関係の本はだいたい読んだが、やはりどこが良いのかよく分からなかった。埴谷が参加したドストエフスキー関係の座談会も読んだが、赤岩栄や椎名麟三に共感できただけだった。今から思うと、埴谷は私が求めるものを何ももっていなかったのだ。それは埴谷が私と同じ死産児だったからだ。埴谷雄高ドストエフスキーをおもちゃにして遊んでいるように見える。ドストエフスキーは埴谷にとっておもちゃだ。死産児がドストエフスキーを論じるとそうなる。