奨学金問題

大学で育英奨学金を受けて勉強した人は次の三種類に分かれます。
 1)大学を出てすぐ企業などに就職し、奨学金を返済できる人。
 2)大学院を出てすぐ教育機関(大学や研究所など)に就職したため、奨学金の返済を免除された人。
 3) 大学院を出ても、すぐ教育機関(大学や研究所など)に就職できないため、奨学金の返済が免除されない人。
 1と2のケースは問題ありません。問題なのは、3のケースです。3のケースでは、大学などの非常勤講師を何年勤めても返済免除になりません。これはじつに不合理なことです。なぜなら、非常勤講師であっても、教育・研究に貢献していることは明らかだからです。というより、教育に関して言えば、専任教員よりもはるかに貢献している非常勤講師の方が多いと思います。なぜか。それは多くのコマ数をもたなければ生活していけないからです。このため、否応なしに、教育に貢献することになります。と、こんなことを書いていても、一般の人にはよく分からないでしょうから、私自身を例に挙げて説明します。
 私は親からの仕送りは受けずに大学・大学院と過ごしたのですが、今と違って、当時の大学の授業料は安かったので、さまざまなアルバイトをやり、奨学金はもらいませんでした。しかし、大学院では勉強の時間を確保するため、2年間受け取りました。しかし、残念ながら、今は亡きボス教授と、あることで派手な喧嘩をして、自分の道を閉ざしました。
 それからは25年間、傘張り浪人。当時は、何年か以内に大学に就職できると奨学金は返済免除になったのですが、それが免除になる期間を過ぎても就職できませんでした。
 また何の後ろ盾もなかったので、また、私の出身大学(神戸外大)は小さな大学なので覚悟はしていましたが、学閥の壁がすごかった。その露骨さには赤面させられました。ふだん立派なことを言っている人が、学閥の植民地(ポスト)を守るために獣となりました。それに、私の専門のロシア語・ロシア文学の場合は政治閥もありました。私見にすぎませんが、関西はロシア語・ロシア文学の場合、日本共産党社会党のシンパでないと就職のむつかしい大学が多かったと思います。その逆(自民党シンパでなければだめという場合)もまれにありましたが、私がどこかの政党のシンパになることはありませんでした。これは、私はノンポリでしたが、全共闘の友人が多くいたためです。彼らのノンセクト・ラジカルこそ正しいという考えを支持していました。つまり、日本である政党を支持するということは、あるタコツボに入るということを意味しているのだと思っていました。今もそう思っています。いずれにせよ、当時ソ連から保守反動という烙印を押されていたドストエフスキーを研究している私のような者は、左翼から見て、うさんくさい存在であったと思います。
 話がそれましたが、奨学金の返済は、難行苦行でした。思い出したくないことで、一切忘れたいと思っていたため、記憶は不確かですが、たしか、返済できないと、一年ごとに延滞金が付き、それに利子が付いたように記憶しています。つまり、少し上品なサラ金に金を借りたような状態になりました。当時私は結婚し、子供もでき、食べていくので精一杯だったので、余分な金は一銭もありませんでした。そういう状態の中で、育英会の人からよく電話がかかってきて、返済がとどこおったりすると、イヤミを言われたり、激しくなじられたりしました。奨学金を返済せず、踏み倒す人が多かったからでしょう。係の人が大声をあげて督促するのも無理はないと思いました。しかし、ずいぶん人の心が分からない人たちだと思いました。
 しかし、どうにか、たしか四十?歳で完済しました。どれだけ返したかは記憶していませんが、借りた金をはるかに越える金額の金を返したように思います。サラ金と縁を切ることができた人もこんなすがすがしい気分になるのだな、と思ったのでありました。
 別のところにも書きましたが、私は多いときは、大学で週に25コマ教えていました。専任教員の5倍です。十分以上教育に貢献していると自負しています。これでなぜ奨学金を返済しなければならないのか。不思議に思います。
 いずれにせよ、日本では貧乏人は勉強できないシステムになっています。奨学金ぐらい返済しないでもいいようにすべきです。
 次の記事もお読み下さい。このホームページ作成者の方、有り難うございました。
http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-kawaranoishikoro/archives/67971555.html