浮沈空母とプレスリー踊り

 私は父親が金物の(貧相な)卸商をしていて、そのため、子供のときから両親が客に対して卑屈に振る舞っているのを目にしてきた。両親が、客の娘に対して「まあ、立派なお嬢様ですこと」とか「さすが頭の良い方でいらっしゃる」というようなことを言っているのを聞いて、暗い気持ちになったものである。しかし、私が高校生の頃、父親が病に倒れ、一年ちかく私が父親の代わりに得意先を回ったことがあった。回ったのは近場の中国地方だけである。
 駅を降り、金物の見本の入った重い鞄をもって、真夏の炎暑の中を歩き回り、ようやく得意先を訪ねあてても、玄関先でまるで蠅のように手で追い払われることもあった。あるいは「きょうはないわ」と怒鳴られるだけのこともあった。これとは逆に、お茶を出してもらって、「まあ、高校生なのにおえらいですね」と言われ、注文してくれる得意先もあった。この一年ほどで、私は世間のことが少し分かり、両親のことも少し分かった。変なことを言うようだが、このとき、それまで分からなかった日米関係のことも少し分かるようになったのである。
 何が分かったのか。それは日本が米国に対して私たち一家のような立場に置かれているということだ。要するに、日本は米国との戦争に負け、米国の従属国になったということだ。もっと露骨に言えば、日本は敗戦によって米国に武装解除され、憲法九条をあてがわれ、米国に生殺与奪の権利を握られている植民地になったのだ。つまり、米国は日本にとって、もみ手をしながらおべんちゃらを言わなければつきあえない相手になったのだ。
 中曽根康弘首相がレーガン大統領に、日本は米国の「浮沈空母」だと言ってごまをするのを見たり、小泉純一郎首相がブッシュ大統領一家の前でプレスリーの真似をして踊ったのを見て、日本人の多くは眉をひそめたらしい。しかし、私は、ああ、こりゃ私たち一家と同じだ、と思っただけなのである。生殺与奪の権利を握っているお得意様である米国に、日本がごまをするのは当たり前ではないか、楽しくはないが、そう思ったのである。私たちの代わりに米国にごまをすってくれている中曽根や小泉に私は、同情するとともに深く感謝した。
 私の日本の政治に対する見方はすべて「日本は米国の植民地である」という事実から派生する。だから、60年安保で岸信介吉田茂が米国と結んだ安保条約を日本の独立をすすめる方向に改定したのを良いことだと思うだけだ。また「九条の会」の人たちの正気を疑うだけだ。彼らは日本の武装解除を命じている憲法九条を死守せよという。彼らは日本が永遠に米国の植民地でいろと言うのだ。その他、「日本は米国の植民地である」という事実を忘れた人々に対する批判は無数にあるが、これについてはいずれ述べよう。最後にことわっておくが、私は排外主義者でもなければ右翼思想の持ち主でもない。いまの日本が米国の植民地であることを悲哀をもって認めるだけだ。