餓死

 年金が減らされるそうだ。また消費税が上がって、これまでよりも老人たちの生活が窮迫するそうだ。けっこうなことだ。もっともっと窮迫させて、老人などみな餓死してしまえばいい。どうせ社会の余計者なのだから。
 こう書くと、たぶんいっせいにバッシングを受けるだろう。この人でなし、と。しかし、ここで私のいう老人とは、戦争に行かなかった私のような男性の老人のことだ。今では女性も戦争に行くので問題は残るが、とりあえず女性は除く。つまり、その男性老人の動産・不動産をすべて国庫に収め没収し、年金もなくし、住宅も取り上げ、餓死させればいい。戦中派はどうなのか。身体が弱くて赤紙が来なかった者はどうなのか。そういう細かい話はまた考えることにして、いま私がさしあたり念頭においているのは、昭和20年8月の敗戦日以降に生まれた老人のことだ。そういう老人は年金受給年齢になったとたん餓死させればいい。日本の財政状況は一挙に良くなり、住宅事情も一挙に改善されるだろう。困るのは墓が急に増えることだが、これは骨を海に捨てれば済む。その海辺にカマボコ板の卒塔婆を立てるぐらいでいい。
 これは半分冗談で半分本気だ。しかし、私のこの考えに同調する老人はたぶん少ない。「お前ひとりで勝手にそうしろ」と言われるだけだろう。
 私がこんなことを言うのは、「徴兵制」でも書いたように、自分が軍隊のない国に生まれ、兵隊にもならず、あまりにも幸運な人生を送ってきたからだ。私の知るかぎり、日本のような規模の国の国民で、このように幸運な国民は人類史上たぶん存在しない。だから、その帳尻はどこかで合わせなければならない。いまさら兵隊になるわけにはいかないので、餓死するぐらいでしか帳尻を合わすしかない。
 私の年代の者で私のように思っている者は多いのか。それはよく分からないが、次の西部邁の話によれば、少ないと思わざるをえない。

西部:(略)もう二十年以上前ですけど、日本社会でいわゆる老人福祉ということが問題になった時に、私はある老人の集まりでゴネたことがある。あなた方のお気持ちがわからない、あなた方の同期生は太平洋、中国大陸でずいぶん死んでおられるはずである、自分の友があの青い海の中で、あるいは黒い大地の中で、死んで白骨と化したと思うと・・・自分が生き延びたことに幸せを感じることはいっこうに構わないが、自分の子供たちが老人福祉をあげましょうなどというしゃらくさいことを言ってくれば、私が老人だったら、うるさい、おまえたち如きに何が分かるかとはねつけたい、と言ったんです。国家のこと、国際関係のこと、戦争のこと、人生のこと、死のこと、生きること、何も分かっていないやつらから、老人福祉を貰う筋合いはない、そんなことをするのでは死んだ友人たちに申し訳が立たない、と何故言ってくれないのか。そのひと言があれば、若者の目も覚めるであろう。その時は私はまだ若者でしたから、そう言ったわけです。
波頭:何と答えました。
西部:恐るべき回答でした。何をおっしゃるんですか、西部先生、私たちはあの死んだ人たちのためにも何倍も幸せに生きたいんです、と。あの人たちは不幸せに死にました、あの人たちの分も幸せに生きたいんですと、その老人たちは言いました。
波頭:まるでテレビドラマのようなセリフですね。
西部:「幸せ」と言ったって、老人福祉のことが話題だったんですから、それは「豊かさ」のことに過ぎません。老人と言ったって、あの頃でいえば、今の僕の年くらいじゃないのかな(笑)
 僕はその時に、ああ、戦後というのは異様なんだなと思った。今の日本で、マスコミのみならず普通の会社も含めて、権力機構のトップにいるのは戦争で生き延びた人たちです。死ななかった人たち、死ぬ勇気のなかった人たち、逃げ回っていた人たち、卑怯な人たち。そういう人たちが権力を掌握しているんです。
 それで、今、あなたの言った六0年安保、七0安保、あれに参加した人間たちには、子供心に、日本に卑怯というものがメタンガスのように広がっている、と感じていた者が多いんです。自分は卑怯でなく生きてみたいと思うところがあった。
波頭:その戦争を生き延びた卑怯な者たちに、或いはゴキブリ的に立ち回りのうまい者に徹底的にやられてしまった、と。
西部:私とて、女房、子供と猫その他については面倒見ますが、そのための卑怯ならば少々やりますが、戦後という時代に霧のように立ち込めている卑怯の正当化というものには味方したくない。(略)(『知識人の裏切り』、西部邁波頭亮ちくま学芸文庫、2010、pp.171-172)

 さきにも述べたように、私自身はアメリカから独立しようとした岸信介の結んだ安保条約に、なぜ友人たちが反対するのか理解できなかった。彼らは反米を叫んでいた。ところが岸信介アメリカから独立しようとしていたのだ。つまり、岸を批判する彼らと同じ考えを岸も持っていたのだ。なぜ岸が彼らに批判されなければいけないのか。
 だから、ここで西部が言っていることに同意することはできない。六0年安保のときの西部と同様、彼らの大半はひどい混乱の中にいただけではないのか。ある者は、積もり積もったさまざまな私憤を反安保という形で表現し、ある者は、ともかく権力に反抗したいがために反抗した、という風に。
 しかし、西部の次の言葉、「子供心に、日本に卑怯というものがメタンガスのように広がっている、と感じていた者が多いんです。自分は卑怯でなく生きてみたいと思うところがあった。」という言葉は、私にかぎって言えば当たっている。私自身、1970年、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自衛隊隊員の前で演説し、そのあと盾の会の隊員とともに自決したとき、頭を思い切り殴られたような気持になった。日本はアメリカの植民地なのだ、腰抜けなのだ、日本はいずれは自立しなければならない、しかし、今は無理だ、と思ったのだ。だから、よけい岸の安保条約に反対する友人たちに同調できなかったのだ。
 この日本人(つまり、私)は卑怯だ、という感覚は今も私の中に根強い。 さきにも述べたようにアメリカ人の命を金で買いながら生きている日本人は卑怯なのだ。この恥辱をぬぐいさるためには、餓死する他にないではないか。繰り返すが、これは半分冗談で半分本気だ。