澤地久枝

 「みんな子どもだった」というテレビ番組で澤地久枝が自分の不倫の話をしているのを聞いて、中山あい子の小説「春の岬」を読んだ。これは澤地久枝と不倫関係になった有馬頼義とその夫人をモデルにした小説だ。中に小説の主人公である有馬夫人の親友の冨田夫人という銀座のホステスだった女性が出てくる。この女性の夫である冨田は誰をモデルにしているのか。忍者ものばかり書いている流行作家で、女遊びが激しい。山田風太郎か。
 この小説にはもちろん澤地久枝らしき女性も出てくる。澤地の職業および風貌、肉体まで、本人そのままに描かれている。「訴えられるものなら訴えてみろ!」という風に居直った、やけのやんぱちの、今ならきっと裁判沙汰になっているだろうモデル小説だ。いや、そんなことにならないよう、今ならすべての出版社が出版を断るだろう。あの無頼派色川武大によって「女流焼跡闇市派」と呼ばれた中山だ。何も怖くないぞ、という気迫が行間から伝わってくる。
 しかし、これだけ気迫に満ちて書かれているのに、面白くない。後味も非常に悪い。それは作者がモデル小説という呪縛から抜け出していないからだ。このため、この小説では、不実な夫を恨む女性の恨み言が形を変えながら長々と続くだけだ。同じ恨みをもつ女性読者が読めば溜飲がどんどん下がるのかもしれないが、男である私は、読めば読むほどますます逃げ出したくなるだけだ。読み終わって、女性とはこれほどしつこく恨みをもつものか、と思った。
 小説では、とどめとして、踊りの好きな主人公が「娘道成寺」を舞い、清姫が蛇となって踊り狂う場面でおわる。恐ろしい。しかし、私はこの小説を読んで、中山の他の小説も読みたいと思った。こわいもの見たさからではない。このやけくそで恨みに満ちた作家の正体をつきとめたいという欲望にかられたのだ。「春の岬」はアマゾンの古本で一円で手に入るらしい。これも身の毛がよだつことだ。これほどの怪作が一円とは。

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