西部邁

フェミニズム、マルクス主義、土壌主義

このブログの「吉本隆明の亀山郁夫批判」でも述べたように、ドストエフスキーの唱えた土壌主義というのは、貴族である自分を養い育ててくれた人々(農奴や労働者)に対する恩を忘れないということにすぎない。もっと理屈っぽい言葉で言うなら、そのような人…

早坂暁

早坂暁の追悼番組のひとつである「新・事件 わが歌は花いちもんめ」の録画を、きのう、ようやく見ることができた。今から三十数年前に放送されたものだ。足が動かなくなった七十一歳の老婆(鈴木光枝)――今なら老婆と言わない――が、嫁の手助けで入水自殺する…

絶望

西部邁ではないが、日本など滅びてしまえばいい、と思う今日このごろである。その西部でさえ、自尊心の病に憑かれていた。吉本隆明も同じ。辺見庸も同じ。絶望するしかない。しかし、徹底的な絶望から希望が生まれるというのも本当のことだ。

西部邁の死

西部邁が亡くなった。西部邁は自尊心の病から脱け出したのだろうか。どうもそんな風には思われない。最後まで気にくわないやつを罵っていた。若い頃から西部を尊敬していたので、きわめて残念なのである。

餓死

年金が減らされるそうだ。また消費税が上がって、これまでよりも老人たちの生活が窮迫するそうだ。けっこうなことだ。もっともっと窮迫させて、老人などみな餓死してしまえばいい。どうせ社会の余計者なのだから。 こう書くと、たぶんいっせいにバッシングを…

「謎とき」シリーズがダメな理由(4)

ソシュールが右翼? 今から考えると、離人症から私が癒えはじめたとき、つまり「[file:yumetiyo:森有正、そして小説について.pdf]」で述べたような出来事が私に生じたとき、私は「自尊心の病」から癒えはじめたのだと思う。言い換えると、60年安保で逮捕さ…

西部邁と大審問官伝説

前回西部邁がドストエフスキーと同じ立場に立つ思想家だと述べたが、その言葉の意味を理解することができない人がいるかもしれないので、もう少し説明を加える。 と言っても、この説明はじつに簡単だ。西部の著書のどこを開いてもドストエフスキーの思想に出…

西部邁とドストエフスキー

私が西部邁を尊敬するようになったのには二つ理由がある。 ひとつは西部が『大衆の病理』(NHKブックス、1987)や『白昼への意思――現代民主政治論』(中央公論社、1990)などで述べている大衆批判やメディア批判に深く共感したからだ。ここで批判している…

西部邁を尊敬しているのなら

西田昌司は西部邁を尊敬しているそうだ。西田ほどではないかもしれないが、また右翼ではないが、私も西部邁を尊敬している。これまで西部の書いたものはほとんど読んできた。西部が西田も同席していた場で述べているように(「2009年大晦日特番 『如何にせん…

西田昌司に敢闘賞?

今朝の朝日の朝刊で星浩が「国会「三賞」」のひとつとして、自民党の西田昌司に敢闘賞を贈呈している。贈呈したのは、西田が前原外相の外国人献金問題を暴露し辞任に追い込んだからだ。最初冗談だと思ったが、何度読んでも冗談ではなく、星は本気で贈呈して…