ため息

 むかし大阪の東成のYMCAアジア青少年センターで不登校や引きこもりの会をやっていたとき、会も終わり、その帰り、いつものように、そのYMCAの館長の金秀男氏と、そのセンターの近くの立ち飲み屋台で酒を飲んでました。
 すると突然金さんが怒り出して。「萩原さん、ため息をつくの、やめてくれませんか」と。私はいつのまにかため息をついて酒を飲んでいたんですね。会の運営に押しつぶされそうになっていました。引きこもりの当事者や親からの相談はひっきりなしにあり、私は私で個人的な悩みをかかえていました。燃え尽き症候群という言葉がいっとき流行りましたが、まあ、そういう状態でしたね。
 金さんにそう言われて、私は驚きました。すると金さんは静かに自分の生い立ちを語り始めました。それは悲しい話でした。私は泣きながら彼の話を聞き終わりました。それ以来、ため息をつくのをやめました。自分一人がため息をつきたいような苦しみの中で生きているわけではない、ということが分かりました。それで自分の苦しみが楽になったというわけではないのですが。不思議ですね。どうしてため息をつくのをやめることができたのか。その理由を考えていると、またため息が出そうになるので、理由は考えないことにしています。
 理屈など頭の中だけの出来事です。身体がその理屈に納得しなければ、理屈は何の意味もありません。それは屁理屈です。だから、下記のブログ主のように、ため息が出るとき「ありがたいなあ」と言って、そのため息が収まるのなら、それはそれでいいんだと思います。それはこのブログ主にいちばん合った方法なんでしょうね。人がとやかく言うことではないと思います。しかし、他人のため息を聞くのはつらいですね。あまり人に迷惑をかけないで生きたいものです。
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