再び徒党について 

 私が子供の頃は学習塾というようなものはなく、小学校から帰ってくると、鞄を家の中に放り出し、外で遊んだ。遊ぶところはいくらでもあった。山に行ったり川に行ったり、池に行ったり神社に行ったり・・・という風に、遊べるところではどこでも遊んだ。遊ぶ仲間は五、六人ぐらいで、年齢がばらばらだった。下は学校に入る直前ぐらい(幼稚園に行く子供は少なかった)から上は小学校4年生ぐらいまでだったか。それ以上になると別の遊びをした。そして、暗くなると家に帰り、晩ご飯を食べて、家の手伝いをして、風呂に入って寝た。八時までには寝たように記憶している。これは休日や夏休みも同じで、学校に行かないということだけが違っていた。だから、家で勉強をした記憶がない。家でしたのは、雨の日などに笛を吹いたりギターを弾いたり、絵を描いたりしたということだけだ。困ったのは夏休みの宿題で、夏休みが終わると、二日ぐらいで片付けた。日記など適当に書き込んだ。
 これは中学校に入っても同じで、やはり家で勉強をした記憶がない。ヒマがあると友だちと遊んでばかりいた。だから、自分では協調性はあると思っていたのに、通信簿でいつも協調性がないという評価をもらった。このため、協調性があるとはどういうことだろうかといつも疑問に思っていた。
 この通信簿の意味が分かってきたのは大学に入ってからだ。小学校の先生はやはりよく見ていると感心した。私にはやはり協調性がないのだ。要するに、通信簿で協調性があるとは、徒党を組む能力があるということだ。いまかりにそれを「徒党力」と呼ぼう。私には徒党力がまったくない。このため、学生運動をやっている連中を見るとぞっとして鳥肌が立つような気分になった。これはロシア文学研究をやり始めたときも同じだ。研究者仲間で徒党を組んでいるのを見るとぞっとした。学閥、閨閥、政治閥、宗教閥、酒飲み閥、賭博閥、買春閥、・・・いくらでも徒党はあった。
 とくに一人を徒党を組んで批判したりいじめたりするのを見ると、それが正しかろうが間違っていようが、もうだめだった。そんなことができる人間と自分はとうてい一緒に生きてゆけないと思った。今では遺伝子がそういう人たちと私では違うのではないのかと思っている(冗談だが)。そういう人間は私一人なのかと思っていたが、そうではなく、林達夫とか作田啓一がいた。私が今も作田啓一の研究会に入っているのはそのためだ。
 私は自分のブログで徒党について少し書いた。カテゴリーの「徒党」を引いて読んでもらいたい。私のような徒党を組めない人間もいるのだということを知ってほしい。