リルケ

 (略)ある農婦の夫は大酒のみで、彼女を虐待し、息子のほうはろくでなしだった。この農婦が自分の運命を語ったときは感動したよ、とリルケは思い返すように言った。こうした苦しみを背負いながらも、彼女は愛情に満ちて、悲しみにやつれてはいなかった。彼女自身の内面、つまり彼女の人生が、彼女にとっては本質的なものだったのだ。自分の生の転機はこの女性にあったと、リルケは言った。政治家は、いつも他人のために生きようとして、自分自身の本質が萎縮していくのを忘れている。それが政治家の欠点だ、とリルケは指摘していた。それで私は言った、「ロシア人についてのお話し、つまり彼らが、悲惨な状態にあるのに、人生の本質的なものをはなさずにいたということは、確かによくわかりました。けれどもこの世の中には、過重な労働のために自分を見失い、疲れ果てて本質的なものを把握できず、生きがいのある生活がおくれない、つらくて、喜びのない生き方をしている人たちがたくさんいますわ」
 「お分かりでしょう」とリルケは、にこやかに私を見つめながら答えてくれた。
 「ロシア人は急がないんですよ。私たちは今日言いますね。早く早く、もっと早く、いちばん早く、と。極限の、つまりいちばん早い地点に到達するまでには、多分まだ二、三世代かかるでしょうがね。それで終わりです。現在ではもう子供たちが、映画スターの場合だと、四歳半で三百万ドル稼ぎます。それがもっとひどくなって、お腹のなかの子供で行き止まりというわけです。人々の視野がそんなに狭くなって、本当は何千倍もの可能性があるということを理解しないのは悲しいことですね。・・・ところがどこかに、私たち第三者には分からないのですが、そんなつらい生活にも確かな喜びがあって、その喜びが生活を生きがいのあるものにしているところがあったのです。他人と関係してとか、自然に直面してとか。それどころか、自分の部屋の中でさえ、そういう体験は生じるものです。生活に疲れ、人生を無理に終わらせてしまいたいと、私のもとへ助けをもとめてやってくる人々に、いつもこう言ってきました、――『そのためには、つらいことに耐えた甲斐があった、生き甲斐があった、とそう思って喜ぶものですよ』とね」
 私たちはそれから生きる意味について話し合った。最後にリルケはこう言うのだった、――ありがたいことに人は誰も生きる意味を知らないのです。この意味の解明を試みた人たちはことごとく反駁されたものでしたよ、と。(マルガ・ナヴィル=ヴェルトハイマー、「ライナー・マリア・リルケの秘書をして」、椛山則子訳)

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ここでリルケのいう「人生の本質的なもの」とは何か。それは唯一無二の自分の生を生きるということだ。自分の生を他人の生と比較するのではなく、また、政治家のように他人のために生きるのでもなく、自分の生を生きるということだ。これは他人を犠牲にして生きる利己的な生のことではない。それは自分の生をありのままに受け入れ、それを生きるということだ。ベルクソンはそれを生の持続の裡に生きると言った。その通りだと思う。