白蓮

 人間は自分のエゴイズム(私利私欲)を超えてふるまうことはできない。できる人は、人から阿呆あるいは聖人と呼ばれる。この意味で、白蓮は阿呆でも聖女でもなかった。彼女は徹底的にエゴイズムを貫いた、普通の、あまりにも普通すぎる人間である。この普通すぎるということで世間の指弾を受けた。白蓮は世間の愚かさに歯噛みする思いだったろう。
 
 ゆくにあらず帰るにあらず戻るにあらず生けるかこの身死せるかこの身

 この歌に白蓮の若い頃の生が凝縮して表現されていると思う。以下は、『恋の華・白蓮事件』(永畑道子、新評論、1985、6刷)よりの抜き書き。

                  • -

 資武(すけたけ:最初の夫で知的障害があったらしい:萩原の憶測)との、悪夢にも似た五年間を忘れるためにも、学問は、あき子( 白蓮の本名:「あき」は火偏に華)にとって何よりの逃避の世界となっていた。
 のちの伊藤家でも、おそらくこの習いは、つづいたにちがいない。
 のちに伝右衛門(白蓮の二番目の夫で筑紫の炭鉱王)は、あき子を評して、もっとも身近の伊藤八郎氏や伝之祐氏に、ひとこと、印象的なことばを吐いている。
 あき子は、学問をしすぎた。
 さらに、あき子が宮崎家(宮崎滔天の息子であった竜介が白蓮の三番目の夫となった)に身をよせたあと、長男(香織:萩原)を戦火(太平洋戦争のこと:萩原)で失い、平和をねがって反戦の全国行脚に廻っていたころの話だ。同行していた金木愛枝さん(世界連邦神奈川婦人会の会会長)は次のような白蓮を目撃した。
 「地方の宿で、夜ふけになりますとね、白蓮さんは耳の補聴器を外されます。そのあとは、もう、自分ひとりの世界です。ひたすら本を読まれます。誰が話しかけようと、没頭して、勉強されました。何冊もの本の包みを抱えての旅です。あの細いからだで・・・」
 薄幸の時代に身についた習いである。(同上書、p.105)