『沖縄ノート』1

 私が学生の頃読んだ大江健三郎の『沖縄ノート』(岩波新書)。当時は大江の記述をそのまま信じ、軍部というのはひどいことをするものだと思っていた。
 ところが、後年、当時の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕氏と渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次の弟である赤松秀一氏が、名誉毀損による損害賠償、出版差し止めと、謝罪広告の掲載を求めて、大江健三郎氏と岩波書店を訴えた訴訟を起こした。要するに、大江健三郎氏が彼ら二人が住民に自決を強いたという記述は事実と異なる、大江氏は彼らの名誉を傷つけた、という理由で訴えたのである。しかし、それは大江氏側の勝訴に終わった。
 一方、今回、上原正稔氏の「パンドラの箱を開ける時」の掲載を拒否した『琉球新報』は、上原正稔氏に訴えられ敗訴した。
 上原氏の「パンドラの箱を開ける時」最終回の次の破線で囲んだ箇所が掲載拒否の理由になったのだと思われる。この記述は大江氏の記述が完全に誤っていることを証明するものだ。だから、『琉球新報』は掲載を拒否したのである。
 私には現地取材をまったくしないまま書いている大江氏の記述より、現地取材をした上原氏の記述の方が正しいように思われる。どうか『世界日報』のPDFファイルを読んで頂きたい(なぜかFireFoxだと読めず、インターネット・エクスプローラーだと読める)。
 言うまでもないことだが、徒党を組むと事実が見えなくなる。というより、自分にとって都合のよい事実だけを集め、都合の悪い事実には目をつむる。個人であれば冷静に事実か否かを判断できる人が、徒党を組むと、仲間に良い顔を見せたいがため本心を偽り、付和雷同する。このような行動パターンには右も左も中道もない。とくに、個人主義の発達していない日本ではこのような行動パターンが日常頻繁に見られる。日本人には自分の頭で考える人がきわめて少ない。長いものに巻かれるという民族性が右にも左にも中道にも染みこんでいる。(続く)

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 戦後、沖縄に救護法が適用されることになったが、救護法は本来、軍人、軍属に適用されるもので、一般住民には適用されないものだ。そこで、村当局は「隊長の命令で自決が行われており、亡くなった人は「戦闘協力者」として遺族に年金を支払うべきだ」、と主張した。
 「そうか、そうだったのか。」全て、納得がいった。(第三面より)(2014/01/14、一部修正)

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