分かりやすく話す

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0531.html 
 「学ぶことの意味を探して〜神田一橋 通信制中学の歳月〜」
 昨日放送されたこの番組は予告編を見ただけで、本編を見損ねた。再放送を見よう。
 でも、これまで放送された、これと同種類の番組を見ると、いつも自分がやっているドストエフスキー公開講座の意味について考えてしまう。
 大学の研究者は簡単なことをむつかしく教える癖がある。そんなことになるのは、自分の博識を誇りたいという気持もあるし、理論的に遺漏のないように話したいという虚栄心もあるからだと思う。しかし、大半の学者になるつもりもない聴衆にとって、そんなことはどうでもいいことだろう。長い時間椅子に座って辛抱して聴いたが、なんのことかわけが分からなかった、ということでは困る。
 だから、できるだけ分かりやすく話したい。しかし、公開講座には初めてドストエフスキーを読む人も来られるし、何度も読んだという方も来られる。だから、その両者に満足してもらう話をするのはとてもむずかしい。そうではあるが、やはり私が公開講座を行う目的は、ドストエフスキーの面白さを知ってもらうことだ。何回も読んでいるのにその面白さがあまり分からない人もいるし、一回で深く分かる人もいる。だから、受講生が何度読んでいるのかということはあまり気にする必要はない。私としては、できるだけ分かりやすく話すだけだ。
 日本語が読め、人生経験が二十年以上の人であれば理解できるような話をしたい。