献血の列

 阪神・淡路大震災が起きて二・三日たったころ、梅田から阪急の西宮北口まで電車が通じたという話を聞いて、阪急の六甲まで行った。かみさんの高齢の母親が阪急六甲駅近くのマンションというかアパートというか、その中間ぐらいの住宅にひとりで住んでいたからだ。電話も通じず、生死も不明だった。水と米、それと缶詰などを身動きできないぐらい持って、自宅から京阪の樟葉駅まで歩いた。なぜ歩いたのか、記憶が薄れていて確かなことは言えないが、それは私の住んでいた男山団地から樟葉駅まで歩きながら、水や米などをスーパーで買い集めなければならなかったからだと思う。あのとき、いっせいにスーパーから水や米などが無くなったように記憶している。たまたま残っていたのが「六甲の水」だった。「六甲の水」を京都の八幡市で買って、それを阪急六甲まで運んだ。
 今はどうなっているのか知らないが、当時はくずはモール街という商店街があり、私はその商店街を通って樟葉駅に向かった。しばらく歩くと、とても長い人の列に出くわした。不審に思いながら近づくと、その列の先頭に献血車が停まっていた。老若男女が黙って、心配そうな顔をして献血を待っていた。負傷した被災者のための献血だった。私は思わず落涙した。それだけのことだが、それ以来、私は日本人がそう嫌いではなくなった。日本人にはいろいろと欠点はあるが、控えめな態度で人を思いやるのは日本人の長所だと思う。