十字路で

 何年かに一回ぐらい思い出す顔がある。と言っても、なつかしい顔ではない。昔、ある町の十字路で見かけた男の顔だ。十字路と言っても、車が行き交うような十字路ではない。坂の多いその町の、坂を登り切ったところにあった狭い十字路のことだ。車がようやくすりぬけるぐらいの道幅しかない。
 その男はまだ六十にはなっていなかった。夕日を浴びながら、その男は十字路の真ん中に立って叫んでいた。その夕日に照らされた顔のことだ。私はいつもそのときの男の顔を思い出す。
 男は何を叫んでいたのか。男は、作業用の菜っ葉服を着て、無精髭を生やしていた。両手でお盆を支えるような格好をしながら叫んでいた。人や自転車がその男のそばを通り過ぎていった。しかし、私は通り過ぎず、その男から数歩離れた商店の軒下に立って、その男を眺めた。
 男は私に見られていると気付くと、一瞬、叫ぶのをやめた。しかし、すぐさま、さらにはげしく叫び始めた。私はその場を離れた。
 その町は以前、賀川豊彦が活動した貧民街だった。私はその町のアパートで暮らしていた。私にはおむつが外れたばかりの娘がいて、娘が壁を這うなめくじで遊ぶのをやめさせるのに気を配った。妻はパートで働き、私は大学で非常勤講師をしながらロシア文学研究を続けていた。絵に描いたような貧乏暮らしだった。研究のための本が買えないので、大きな図書館が近くにあるそのアパートに住んでいたのである。
 研究と言っても、何をどう研究すればいいのやら、私には何のあてもなかった。自分の好きなある作家がようやく分かり始めただけだった。しかし、その研究をやめるぐらいなら、首を吊る方がましだった。それなのに、どんな風に研究すればいいのか、さっぱり分からなかったのだ。叫びたいのはこちらだった。私もその男といっしょになって、その十字路に立って、叫びたかった。