もはやそれ以上

もはやそれ以上(黒田三郎


もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞いおちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった


かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやり空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと坐っていたことがある


今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか


運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである


もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ


そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差し上げると