こころなきみ

ドストエフスキーが分からなかった頃

わたしはドストエフスキーを分かりたいと思い、神戸の外国語大学に入ったのだが、いくらたってもドストエフスキーが分からなかった。しかし、三十過ぎに離人症になったあと、分かるようになった。この「十字路で」という文章はその三十過ぎの頃を書いた文章…

原風景

もう戻ってゆけない場所がある。戻っていってはいけない場所がある。わたしにとって、それは加古川(大川)に流れ込む美濃川の橋のたもと、正法寺から宗佐と下石野に向かう細い道が交差するところだ。そこには貧しい家が一軒あったはずだ。その家を横目に見…

ドストエフスキーを読んではいけない人

ドストエフスキーの愛読者は世の中のはぐれ者である。また、そうでなければドストエフスキーの愛読者にはなれない。 これは私が「誰がドストエフスキーを読むのか」(1994)という長大な論文で述べたことだ。あまりに長大すぎたので、その内容を圧縮し、「ド…