亀山郁夫の暴力

 私が十年ほど前から何とかのひとつ覚えみたいに唱え続けている「物語の暴力」というのは、ある現実を観察し作り上げた物語(あるいは理論)を、ふたたびその現実に適用するとき発生する暴力のことだ。
 簡単に言うと、「物語の暴力」とは、実態をあまり知らないのに、さも知っているかのような顔をして物語や理論を作り上げ、その物語や理論によって現実を操作したり、誰かを批判したりするということだ。
 「物語の暴力」のもっとも分かりやすい例が、冤罪事件だ。私たちはこうと思う込んでしまうと、なかなかその呪縛から身を解き放つことができない。冤罪事件を起こす刑事たちは不正な物語の呪縛に囚われているのだ。そのような例として私は宇和島事件を取り上げた(拙稿「あなたには癒しでも私には暴力」)。
 先日私が京都の児童精神医学会で聞いた中安信夫の症例報告は、自分の「物語の暴力」を正直に告白するものだった。彼はアスペルガー障害(発達障害のひとつ)の未成年を統合失調症(=分裂病)と誤診し、長期にわたり不必要な向精神薬を服用させていたのだ。言うまでもないことだが、向精神薬を長期にわたって服用すれば激しい副作用が出る。中安がそのような誤診をしたのは、彼が案出した、画期的であると自負しているに違いない「初期分裂病論」という「物語」に呪縛されていたからだ。このため、児童精神科医ならすぐ気づくアスペルガーの症状に気づかなかったのだ。ちなみに、中安信夫は児童精神科医ではない。
 中安が立派なのは、この誤診を公式の場で正直に明らかにし、自分が犯したような過ちを他の精神科医が繰り返さないよう警告したことだ。
 しかし、このような「物語の暴力」はなぜ生じるのか。また、どうすれば「物語の暴力」の呪縛から私たちは身を解き放つことができるのか。
 この二つの疑問に対して私は、上野千鶴子自閉症に対する「物語の暴力」を例に挙げながら答えた(拙稿「物語はなぜ暴力になるのか」)。
要するに、上野千鶴子がマザコン少年は自閉症になるという暴論を唱えていたので、なぜそのような暴論が生まれたのかを理論的に解明しながら、そのような暴論を生まないためにはどうすればよいのかについて述べた。
 ここで急いで付け加えておかなければならない。そのような暴論を吐いたにも拘わらず、私は上野千鶴子を立派だと思う。なぜなら、彼女は中安と同様、自分の失策を公式に正直に謝罪し、これからそのような失策を犯さないためにはどうすればよいのか模索してゆきます、と述べたからだ。じっさい、上野はその約束を守り、その後、岩波新書の『当事者主権』のようなものを書いている。
 「物語の暴力」を回避するためにはどうすればよいのか。すでに述べたことだが、その答は言うは易く行うは難い。詳しくは、拙稿「物語はなぜ暴力になるのか」「非暴力を実現するために」を見てほしい。
今あえてその答を言えば、当事者の立場に立つことができれば「物語の暴力」は回避される。
 それでは、文学作品における当事者とは誰か。それは作者であると同時に読者だ。作者と読者の応答によって文学作品におけるテキストの読みが確定してゆく。
 ところが、亀山郁夫の読みには、作者との応答がない。あるのは、亀山の、それもきわめて個性的な読みだけだ。このため、彼のドストエフスキー論は暴力的にならざるをえない。また、その読みよって為された彼の翻訳(『カラマーゾフの兄弟』の翻訳)もまた暴力的にならざるをえない。
 私たちは誰でも間違いを犯す。パスカルが言うように、私たちは弱い一本の葦であり、悲惨の中に生きているのだ。自分が間違いを犯したと分かったときどうするかで自分の人生の意味が決まる。人生を無意味にするもしないも自分の決断なのだ。たとえ悲惨の中にわれわれが生きているとしても、その悲惨から一瞬身をもぎ放すことはできる。私は亀山が中安や上野と同じように、悔い改め、自分のドストエフスキーをめぐる仕事をすべて破棄し、ゼロからやり直すことを望む。
 昔、私が関わった、引きこもりの人たちの会で「ゼロからの会」というのがあった。今もあるのだろうか。私たちは、いつでもゼロからやり直せるのだ。